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Xerox Alto ── 売られなかった機械が、机の上のコンピュータを定義した

Computer History Museum に展示された Xerox Alto I(1973年)── 縦長のディスプレイと本体キャビネット
出典The wub (Wikimedia Commons) · CC BY-SA 4.0 · Commons で見る

メタデータ

日付
年代
1970s
Tier
T1
出典数
07
関連項目
04
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1972年12月19日、 Xerox パロアルト研究所(PARC)の計算機科学研究室に一通の社内メモが回った。 差出人は Butler Lampson、 件名は "Why Alto"。 Chuck Thacker らが設計した個人用計算機を 10〜30台 作るべきだ、 という提案である。 費用は1台あたり約1万500ドル、 2.5メガバイトのディスクを使えば約9,700ドルまで下がる。 動機の筆頭に挙がっていたのは、 Alan Kay が教育研究のために15〜20台の「暫定的な Dynabook」を必要としている、 という事実だった。

機械は1973年初頭に設計され、 最初の1台はその年の3月に動いた。 名前は Alto。 6年後に書かれた設計報告書 CSL-79-11 は、 これを「パーソナルコンピューティングの実験として1973年初頭に設計された小型計算機システム」と定義している。

紙一枚ぶんの画面と3ボタンのマウス

設計報告書が挙げる標準構成は、 いま読むと目を疑う。

構成要素内容
ディスプレイ875走査線のラスタ表示。 可視走査線808本、 1行あたり608画素。 画面は縦長で、 面積はほぼ紙1枚分
入力装置キーボード、 3ボタンのマウス、 5指で和音のように押すキーセット
ストレージ2.5メガバイトのカートリッジ式ディスク(Diablo Model 31)
ネットワークEthernet インタフェース(3メガビット/秒)
プロセッサマイクロプログラム式。 複数の命令セットのエミュレータを走らせる
メモリ16ビット語で64K語、 256K語まで拡張可能

ディスプレイの表示を保つだけで、 平均15メガビット/秒のメモリ帯域を食う。 1973年に、 1台のユーザのためだけにこれを注ぎ込むという判断そのものが実験だった。

紙のように見える画面

Alto の上で走ったソフトウェアが、 この構成の意味を決めた。 文書編集システム Bravo は、 画面で見えている書体・字送り・改ページのまま印刷できる編集を実現した。 のちに WYSIWYG と呼ばれる考え方である。 Alan Kay の研究室が育てた Smalltalk は、 オブジェクト指向 を言語仕様ではなく生きた実行環境として提示し、 1980年に Smalltalk-80 として外へ出た。 描画プログラム Draw、 レーザプリンタへの印刷サービス、 電子メール、 ネットワーク越しの対戦ゲーム ── いずれも Alto と Ethernet が揃って初めて成立した。

「製品ではない」ことの意味

Alto は一度も製品として販売されていない。 これは失敗の記述ではなく、 設計条件の記述である。 Lampson のメモが最初から求めていたのは量産ではなく、 研究室が日常的に使える台数だった。 それでも台数は増え続け、 設計報告書は1979年夏の時点で「約1,000台の Alto が、 計算機科学の研究者・技術者・秘書によって日常的に使われている」と記す。 CHM によれば、 初期の市場調査として大学・ホワイトハウス・下院・Atlantic Richfield 社にも配られた。 復元にあたった Ken Shirriff は総製造台数を約2,000台としている。

Xerox が Alto の系譜を商品にしたのは1981年4月、 Xerox 8010 Star Information System としてである。 アイコンとフォルダによるデスクトップ比喩を商用機で最初に採用した機械だが、 導入価格は16,595ドルだった。

1979年12月、 Apple が来た

この事件は、 IT 史のなかでも語り直されるたびに形を変えてきた。 確かなことだけを並べる。

  • Apple の一団が PARC を訪れたのは 1979年、 2回である。 Steve Jobs が加わったのは12月の回で、 最初の訪問は Jef Raskin が手配した
  • Xerox のベンチャー投資部門はその時期に Apple へ出資しており、 見学はその関係のもとで行われた。 株式の条件については報道ごとに数字の揺れがある
  • 見せられたのは Alto と Smalltalk の実演である。 デモにあたった一人が Larry Tesler で、 のちに Apple へ移る

そして、 移らなかったものも多い。 Alto のマウスは3ボタン、 Macintosh は1ボタン。 アイコンとフォルダのデスクトップは Alto ではなく Star(1981年)のものである。 画面上端に固定されるプルダウンメニュー、 ドラッグ&ドロップ、 ゴミ箱は Apple 側の設計だ。 Stanford の「Making the Macintosh」プロジェクトは、 Lisa と Macintosh がすでにビットマップ画面と対話的な操作を前提に進んでいたこと、 PARC の成果は論文や公開デモを通じて相当程度知られていたことを指摘している。 PARC が発明し、 Apple が製品にしたという要約は、 前半も後半も雑である。 前半には Douglas Engelbart の SRI が抜けており、 後半には「研究室の試作を数千ドルの箱に落とす」という、 それ自体が困難な仕事が抜けている。

チューリング賞、 そして SRI へ

Alto の設計者 Chuck Thacker は2009年に ACM チューリング賞を受け、 Butler Lampson は1992年に受けている。 Xerox は2023年、 PARC を非営利研究機関 SRI International へ寄贈した。 Macintosh が1984年に2,495ドルで届けたものの原型は、 その11年前、 売り物にする気のない机の上で動いていた。

出典

  1. 三次資料Xerox Alto — Wikipedia

    取得日: 2026-08-12

最終更新:

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