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Engelbart のデモ ── 対話型計算機の90分

1968年12月、実演の準備をする SRI の Douglas Engelbart ── 自作コンソールとヘッドセット
出典SRI International (Wikimedia Commons) · CC BY-SA 3.0 · Commons で見る

メタデータ

日付
年代
1960s
Tier
T1
出典数
06
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02
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1968年12月9日、 サンフランシスコ市民講堂。 12月9日から11日まで開かれた Fall Joint Computer Conference のセッションのひとつとして、 Stanford Research Institute(SRI)の Douglas Engelbart が壇上に座った。 発表題目は "A Research Center for Augmenting Human Intellect"(人間の知性を増強する研究センター)。 論文は William K. English との共著で、 AFIPS の会議録第33巻395–410頁に収められている。

ただし彼は論文を読み上げなかった。 約90分、 動いている系を見せた。

四半世紀ぶんの項目が、 一度に動いた

スクリーンに映っていたのは、 その後の四半世紀が実装することになる項目の一覧だった。

  • マウス ── 画面上の位置を指すための箱型の装置。 手元のコンソールにはマウス、 キーボード、 そして左手用の5鍵キーセットが並ぶ
  • 画面上の複数ウィンドウと表示制御 ── 同じ文書を別の粒度で同時に見る
  • リンクによるジャンプ ── 文書内・文書間の参照をたどる。 後に「ハイパーテキスト」と呼ばれる操作
  • 構造化された編集 ── 文章を階層(アウトライン)として扱い、 折り畳み、 並べ替える
  • 共同作業 ── 約50km 離れた同僚と同じ画面を共有し、 音声と映像でやりとりしながら同じ文書を編集する

個々の要素に先行研究はある。 だが、 これらがひとつの動く系として同時に示されたことに、 この90分の意味がある。

回線の話

実演は録画ではない。 会場に計算機は無かった。

Engelbart が操作していたのは、 メンローパークの SRI にある SDS 940 上の NLS(oN-Line System)である。 1968年の論文によれば、 この計算機は24ビット語65Kのコア記憶を持ち、 12台の CRT ワークステーションを同時に扱っていた。 常用していたのは研究員10名。

会場から SRI へは、 リースした電話回線に自作の1200ボーモデムを載せてキーボードとマウスの入力を送る。 SRI から会場へは、 マイクロ波回線で映像を返し、 大型の Eidophor 投影機でスクリーンに映す ── 油膜を変調して光を反射させる、 車ほどの大きさの装置である。 SRI 側の同僚(Bill Paxton、 Jeff Rulifson ら)の顔は、 別のマイクロ波回線で送られてスクリーンの一角に窓として現れた。

Bill English は論文の共著者であり、 この実演の技術面を仕切った主任技師である。 そして1964年、 Engelbart の構想をもとにマウスの最初の試作機を作ったのも彼だった。 特許(US 3,541,541「X-Y position indicator for a display system」、 出願1967年6月21日、 登録1970年11月17日)の発明者は Engelbart、 譲受人は Stanford Research Institute である。

誰が金を出していたか

1968年の論文は資金源を明記している ── Advanced Research Projects Agency(ARPA)、 NASA(契約 NAS1-7897)、 そして Rome Air Development Center(契約 F30602-68-C-0286)。 冷戦期の米国防関連予算が、 文書編集と共同作業の研究に流れていた。

思想の側の出発点は、 それより6年前の SRI 報告書「Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework」(AFOSR-3223、 1962年10月)にある。 計算機を計算の道具ではなく、 人間の思考能力を拡張する装置として設計するという枠組みで、 デモはその枠組みの実演だった。

名前は後から付いた

Mother of All Demos」という呼び名は、 当日会場で使われたものではない。 広く行われている説明は、 Steven Levy が1994年の著書 Insanely Great でこのデモを描写した際の一言に由来するというもので、 その翌年、 デモの聴衆の一人だった Andries van Dam が MIT の Vannevar Bush Symposium で Engelbart を紹介する際に同じ言い回しを使って広まった、 とされる。 帰属は完全には確定していない。 いずれにせよ「mother of all 〜」という言い回し自体が1991年の湾岸戦争前後に流行したもので、 1968年に付けられた名前ではありえない。 当時の聴衆が何と呼んだかではなく、 四半世紀後の業界が何と呼びたかったかを示す名前である。

聴衆の規模も資料によって振れる。 Doug Engelbart Institute は約2,000人、 Wikipedia は約1,000人とする。 一致しているのは、 立ち見が出るほど埋まっていたことと、 終了時に総立ちの拍手が起きたことである。

ARC から PARC へ、 そして机の上へ

翌1969年、 SRI の Augmentation Research Center は ARPANET の2番目のノードになる。 同年10月29日、 UCLA から最初のホスト間通信が送られた宛先がまさにこの SDS 940 であり、 ARC はその後ネットワークの Network Information Center を担った。 対話型のワークステーションと、 それを結ぶネットワークは、 同じ研究室から出ている。

ARC の人材は1970年代に Xerox PARC へ流れ、 そこで Alto と Smalltalk になり、 Macintosh を経て一般の机に届いた。 Engelbart 自身の NLS はその流れの中で商品にはならなかった。 彼が見せたかったのは製品ではなく、 人間と計算機が組んで働くという作業様式そのものであり、 その大半は約半世紀かけて日常になった ── ただし彼が最も重視した共同作業の部分は、 いちばん遅れて届いた。

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