人物 :: PERSON

アラン・ケイ

Xerox PARC で Smalltalk を主導し、オブジェクト指向プログラミングの概念を体系化した。1972年に「Dynabook」というノート大・4ポンド未満の携帯計算機の構想を論文として発表し、後のラップトップ・タブレット端末の思想的原型となる。2003年 ACM チューリング賞、2004年京都賞・Draper 賞受賞。「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」という発言で知られる。

アラン・ケイのポートレート(Dynabook の試作機を手に)
出典Marcin Wichary (Wikimedia Commons) · CC BY 2.0 · Commons で見る

プロフィール

生年
1940
存命
存命
在世
1940–
関連事象
02
名称
ENAlan KayJAアラン・ケイ

アラン・カーティス・ケイ(Alan Curtis Kay、 1940年5月17日生)は、 1970年代に Xerox PARC で Smalltalk を主導し、 オブジェクト指向プログラミングを「思想」 として体系化した米国の計算機科学者である。 同時期に「Dynabook」 ── ノートより大きくない、 4ポンド未満の携帯用個人計算機 ── という構想を提示し、 ラップトップ/タブレットの数十年先を予言した。 2003年 ACM チューリング賞受賞。 「未来を予測する最善の方法は、 それを発明することだ」 という箴言で広く知られる。

3歳で字が読め、 就学前に150冊

ケイは1940年5月17日、 米国マサチューセッツ州スプリングフィールドに生まれた。 父は義手・義足を設計する生理学者、 母は音楽家であり画家でもあった。 3歳で字が読め、 就学前に150冊ほどを読んでいたという。 のちに家族はニューヨーク市に移り、 ケイは Brooklyn Technical High School に通った。 ジャズギターは職業として弾いた時期があり、 生涯続けている。

大学に入ったが卒業前に中退して米国空軍に入る。 そこで適性検査に通って IBM 1401 のプログラマとなり、 Burroughs B500 など複数の機種を扱った。 データの表現の仕方を知らない手続きでプログラムを組めるという、 後のオブジェクト指向につながる着想をここで得たと本人は述べている。 除隊後にコロラド大学ボルダー校に戻り、 1966年に数学と分子生物学の学士号を取得。 ユタ大学大学院に進み、 1968年に修士号、 1969年に計算機科学の博士号を得た。 ユタ大学では Ivan Sutherland、 David Evans の下で計算機グラフィックスに触れ、 Edward Cheadle と共に技術者向け小型計算機「FLEX」を設計している。 博士論文は『The Reactive Engine』。

PARC で Learning Research Group を率いる

Xerox PARC と Smalltalk(1971-1980年代初頭)

1971年、 ケイは前年に設立された Xerox PARC(Palo Alto Research Center)に加わり、 Learning Research Group を率いることになる。 当時の PARC の他の研究員 ── Robert Taylor、 Butler Lampson、 Charles Thacker、 Dan Ingalls、 Adele Goldberg ── と共に、 後の個人計算機文化の原型がほぼ全てここで生まれた。

Smalltalk は1971年から72年にかけて Dan Ingalls によって最初に実装され、 Smalltalk-76 を経て、 1980年の Smalltalk-80 として結実する。 Smalltalk のオブジェクト指向は、 C++Bjarne Stroustrup、 1985年)や Java(1995年)が継承した「クラスとメソッドの静的集合」 ではなく、 「メッセージを送り合う独立した小さな計算機の網」 という、 より生物学的な隠喩に基づく。 ケイ自身の定義は狭い。 2003年7月に Stefan Ram へ送った電子メールにこうある ── 「私にとって OOP が意味するのは、 メッセージング、 局所的な保持と保護と状態=過程の隠蔽、 そしてあらゆるものの極端な遅延束縛、 それだけである。 Smalltalk と LISP でならそれができる」(原文は英語)。 1998年10月10日の Squeak メーリングリストへの投稿では、 自分の造語そのものを悔いている ── 「ずっと以前にこの主題に『オブジェクト』という語を当ててしまったことを申し訳なく思う。 そのせいで多くの人が、 より小さいほうの考えに注意を向けてしまうからだ。 大きな考えは『メッセージング』のほうである」(同)。

Xerox Alto(1973年)は、 ビットマップ画面、 マウス、 WYSIWYG 編集、 Ethernet、 そして Smalltalk を統合した機械であり、 実用に足る最初のネットワーク接続型個人計算機として挙げられる。 Steve Jobs が1979年に Apple チームと PARC を訪問して受けた衝撃 ── そして Lisa/Macintosh の GUI 設計に直結した一連の借用 ── の出発点である。

Dynabook 構想(1968-1972年)

ユタ大学時代に厚紙で作ったタブレット型の模型がその出発点であり、 PARC 入所後の1972年に「A Personal Computer for Children of All Ages」 と題する論文として公になったのが「Dynabook」 構想である。 論文自身の言葉ではこうである ── 「大きさはノートより大きくないこと。 重さは4ポンド未満。 表示装置は本に近いコントラスト比で、 印刷品質の文字を少なくとも4000字提示できること。 まずまずの品質の動的な図形描画ができること」(原文は英語)。 記憶装置としては、 取り外し可能な100万文字(普通の本の500ページ相当)以上を、 数時間分の音声ファイルと引き換えに持つ、 とある。 目的は、 使う者が「自分のテキストとプログラムのファイルを、 好きなときに好きな場所で保持し編集できる」ことだった。

Dynabook は製品として作られることはなかったが、 後の ThinkPad、 iBook、 iPad、 Surface などのラップトップ/タブレット系統のほぼ全てが、 この1972年論文への漸近的接近である。 ケイ自身は2013年のインタビューで iPad を厳しく評した ── 「iPad の UI の多くは、 無数の点で非常に貧しい」。 より根本的な批判は流通の側にあった。 Apple は「世界のどこかの子供が作った Etoy を、 別の子供がダウンロードすることを許さない」 のであり、 これは「1960年代・70年代の ARPA-IPTO/PARC 共同体の当初の意図から、 これ以上ないほど遠い」(いずれも原文は英語)。

キャリアの軌跡

  • 1981-1984年 ── Atari Chief Scientist
  • 1984-1997年 ── Apple Computer フェロー(Advanced Technology Group)
  • 1997-2001年 ── Walt Disney Imagineering の Disney フェロー
  • 2001年- ── Viewpoints Research Institute 創設者・社長
  • 2002-2005年 ── Hewlett-Packard シニアフェロー
  • UCLA、 京都大学、 MIT、 ニューヨーク大学で教職・客員

Etoys、 Squeak、 STEPS(1996-2012年)

Squeak(Smalltalk の現代的なオープンソース実装)は Apple 在職中にケイの研究チームが作ったもので、 1997年にチームごと Disney に移ってからも開発が続いた。 子供向けプログラミング環境 Etoys はその上に載る。 これは One Laptop Per Child(OLPC)の XO 端末(2007年)のソフトウェア環境に採用されている。

2006年11月から2012年10月にかけて、 ケイは NSF から533万ドル余(award IIS-0639876)を受けて Viewpoints Research Institute で STEPS プロジェクトを主導した。 問いは「個人計算機の体験 ── OS、 アプリケーション、 支援ソフトウェアを含めて ── は本質的に何行のコードなのか」であり、 ケイは20億行から2000行までの選択肢を並べたうえで、 「たとえば2万行だとしたらどうか ── それは400ページの本1冊程度であって、 1000冊の蔵書(2000万行)でも1万冊(2億行)でもない」と書いている。 成果は OMeta、 Nile、 Frank といった DSL 群と、 毎年の報告書『Steps Toward the Reinvention of Programming』として公開された。 2万行という数字は問いの立て方であって達成の宣言ではない ── 商業的な後継製品も生まれていない。

受賞・栄誉

  • 1987年 ── ACM Software System Award(Smalltalk に対し、 Adele Goldberg・Dan Ingalls と共同)
  • 1999年 ── Computer History Museum フェロー
  • 2001年 ── Berlin University of the Arts の学際的芸術・科学賞、 J-D Warnier Prix d'Informatique、 NEC C&C 賞
  • 2003年 ── ACM チューリング賞。 顕彰文は「現代のオブジェクト指向プログラミング言語の根底にある多くの考えを切り開いたこと、 Smalltalk を開発したチームを率いたこと、 そして個人計算機への根本的な貢献に対して」
  • 2004年 ── 京都賞
  • 2004年 ── Charles Stark Draper 賞(Butler Lampson、 Robert Taylor、 Charles Thacker と共同)
  • 2008年 ── ACM フェロー

米国芸術科学アカデミー、 全米工学アカデミー、 王立技芸協会の各フェローでもある。

子供のための言語という長年のテーマ

ケイは Viewpoints Research Institute の社長として、 「子供のための、 そして大人もそれを通じて学べる、 強力で簡潔な計算機の言語と環境」 という長年のテーマに取り組んできた。 VPRI は2018年に活動を終えたとされるが、 2024年の SPLASH 会議は彼を「Viewpoints Research Institute 社長、 UCLA 計算機科学科 客員教授」として紹介しており、 肩書としては継続している。

登壇も続いている。 2024年2月21日には UCLA の CS Connection Lab で講演し、 Xerox PARC のような機関を現在再現できるのか、 という問いを軸に、 ARPA の研究資金の考え方 ── 計画ではなく人に出す、 問題を解くより問題を見つける ── を論じた。 同2024年の SPLASH では「Interview with Alan Kay」が組まれている。 繰り返し語られるのは、 現在の計算機教育がプログラミングを職業訓練へ矮小化し、 思考の道具としての計算機を教えていない、 という批判である。

GUI、 オブジェクト、 個人計算機、 子供の四軸

ケイの影響は、 GUI、 オブジェクト指向、 個人計算機の理想像、 そして「子供のためのプログラミング」 という四つの軸で計測される。 GUI と個人計算機については、 1979年の Jobs の PARC 訪問が Apple Lisa/Macintosh の設計を導き、 そこから Microsoft Windows、 そして近代 GUI の系譜が派生した。 オブジェクト指向については、 Smalltalk の遺伝子は C++、 Objective-C、 Java、 Ruby、 Python のクラス機構に薄く広く分布しているが、 ケイ自身が重視した「メッセージング中心」 の姿勢は、 Erlang/OTP と Actor モデルの系譜に最も忠実に継承されたと評される。

教育用プログラミングの系譜では、 Logo、 Smalltalk から Scratch、 Etoys、 Snap!、 Microsoft MakeCode へ至る流れの精神的祖父であり、 2026年現在も彼の1972年論文は初等計算機教育の議論で引かれ続けている。

「未来を予測する最善の方法は、 それを発明することだ」 は、 ACM が彼の信条(credo)として記録している一句である。 半世紀後の現在、 ノートパソコン、 タブレット、 GUI、 そしてオブジェクト指向と共に、 この一句もまた、 彼が発明したものの一つになっている。

関連する出来事

  1. Xerox Alto ── 売られなかった機械が、机の上のコンピュータを定義した
  2. Smalltalk-80 ── オブジェクト指向の規範

出典

  1. 二次資料Alan Kay — SPLASH 2024 profile (affiliation as of 2024)

    取得日: 2026-08-10

  2. 三次資料Alan Kay — Wikipedia

    取得日: 2026-08-10

最終更新:

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