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Apple II ── 拡張スロットとカラー画面を持って現れた完成品

メタデータ
- 日付
- 年代
- 1970s
- Tier
- T1
- 出典数
- 11
- 関連項目
- 04
- Tags
- #consumer#market
1977年4月15日から17日、 サンフランシスコ市民公会堂とブルックスホールで第1回 West Coast Computer Faire が開かれた。 主催は Jim Warren と Bob Reiling。 マイクロコンピュータという趣味がまだ「基板を買ってきて自分で組む」ものだった時代に、 一般の来場者へ向けて開かれた最初の大規模な催しである。 Apple がここで見せたのが Apple II だった。 同じ会場には Commodore の PET もあった。
展示と出荷は別である
Apple II の年表がしばしば1本にまとまってしまうので、 分けておく。
| 日付 | 何が起きたか |
|---|---|
| 1977年4月15–17日 | 第1回 West Coast Computer Faire で 公開。 製品としての完成度を見せる場だった |
| 1977年6月10日 | 出荷開始。 Computer History Museum の記録による |
| 1978年1月 | Disk II を CES で 実演。 出荷は同年 |
| 1979年10月17日 | VisiCalc の Apple II 版が店頭に並ぶ |
価格は4KB 構成で 1,298ドル で、 48KB のフル構成では2,638ドルだった。
蓋を開けずに使える機械
同時代の競合と比べたときの Apple II の特徴は、 派手な性能ではなく開けなくても使えることにある。
- プラスチックの筐体。 Steve Jobs は金属や木の箱ではなく成形プラスチックを求めた。 引き受けたのは HP から独立したばかりのフリーランス工業デザイナー Jerry Manock で、 Faire までの数週間でベージュの ABS 筐体をまとめた。 外から見えるネジは無い
- カラー。 MOS 6502 を1.023MHz で動かしているのは偶然ではなく、 これが NTSC のカラー副搬送波周波数のちょうど7分の2だからである。 Steve Wozniak は、 かつて Atari のためにハードウェアで作った Breakout をソフトウェアで書き直したかった。 だから先に色を足し、 次に音のためにスピーカーを、 次にパドル回路を足した ── 計画ではなく、 その都度の必要から積み上がった構成である
- ROM の BASIC。 電源を入れれば BASIC が使える。 Wozniak はアセンブラを使わず、 紙の上で命令を書いて手で機械語に直した
- 8本の拡張スロット。 Apple II History によれば、 Jobs はプリンタとモデムで2本あれば足りると考えていた。 Wozniak は HP での経験から、 利用者は空いたスロットを必ず何かで埋めると主張して8本を守った。 製造原価は上がった
最後の判断が、 のちに効いてくる。 PET も TRS-80 も4KB からの拡張が容易ではなかったのに対し、 Apple II はカードを挿すだけで拡張できた。 サードパーティの周辺機器市場が成立したのは、 この8本があったからである。
磁気テープからの脱出
出荷時の外部記憶はカセットテープだった。 これは遅く、 そして失敗する。 1977年のクリスマス休暇に Wozniak は Randy Wigginton とフロッピーディスクの制御装置を作り上げる。 CHM によれば、 Wozniak は8個の集積回路でコントローラを設計した ── 他社が専用ハードウェアでやっていたことを、 プログラムされた論理でやってのけたのである。 1978年1月の CES で実演され、 その年のうちに Disk II として出荷された。
ディスクを扱うソフトウェアのほうは自社では書かなかった。 CHM が公開した契約書によれば、 Apple は1978年4月10日に Shepardson Microsystems と13,000ドルで契約し、 Paul Laughton が書いた。 DOS 3.1 が出たのは同年6月である。
VisiCalc ── 会社が買う理由
Apple II を趣味の機械から業務の道具へ移したのは、 Apple 自身の製品ではなかった。 1979年10月17日、 Dan Bricklin と Bob Frankston(Software Arts)が作り Personal Software(のちの VisiCorp)が売った表計算ソフト VisiCalc の Apple II 版が店頭に並ぶ。 価格は100ドルを切っていた。
表計算は、 それまで計算機に触れる理由が無かった職種 ── 経理、 財務、 経営企画 ── に、 触れる理由を与えた。 数字を1つ変えると全部が計算し直される。 手作業では現実的でなかった「もし〜だったら」の反復が、 数秒で回るようになる。 VisiCalc は6年間で70万本以上を売った。 そして重要なのは、 それが Apple II でしか動かなかった時期があるということだ。 会社は表計算を買い、 付属品としてコンピュータを買った。
「1977年の三位一体」について
Apple II・Commodore PET・TRS-80 の3機種は、 のちに "1977 trinity" と呼ばれる。 この呼び名は Byte 誌が広めたとされることが多いが、 元の記事は特定されていない。 後世の整理であって、 当時の言葉ではないと考えるのが妥当である。
3機種の前後関係は、 「発表」と「出荷」で答えが変わる。
| 機種 | 発表 | 出荷 |
|---|---|---|
| Commodore PET 2001 | 1977年1月、 Winter CES で試作機を公開 | 1977年10月に最初の100台(一般向けは12月) |
| Apple II | 1977年4月、 West Coast Computer Faire | 1977年6月10日 |
| TRS-80 Model I | 1977年8月3日、 ニューヨークでの記者会見 | 1977年11月に最初の出荷 |
発表が最も早いのは PET、 買った人の手元に最初に届いたのは Apple II である。 ただし販売台数では TRS-80 が先行した ── Radio Shack の店舗網は Apple の販売店網とは桁が違い、 ある分析では1982年まで Apple II の5倍を売ったとされる。 1981年に TIME がパーソナルコンピュータ市場を扱ったとき、 筆頭に置かれたのは Apple ではなく Tandy だった。 「最初」という語は、 どの指標を選ぶかで持ち主が変わる。
Macintosh と並走した16年
Apple II の系譜は16年続いた。 IIGS が1992年12月、 IIe が1993年11月に終息するまでに、 シリーズ全体でおよそ500万〜600万台が出荷されたとされる。 Macintosh が1984年に登場したあとも、 教育市場と既存の資産を抱えた顧客のために Apple II は売られ続けた ── 会社の中で新旧が並走する、 Apple にとって最初の経験でもあった。
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