T1#research#standard#market

Ethernet の提案 ── 建物の中を1本のケーブルで結ぶ

Computer History Museum に展示された Xerox PARC の初期 Ethernet 同軸ケーブルとトランシーバ
出典Sascha Pohflepp (Wikimedia Commons, via Flickr) · CC BY 2.0 · Commons で見る

メタデータ

日付
年代
1970s
Tier
T1
出典数
08
関連項目
02
Tags
#research#standard#market

1973年5月22日、 Xerox パロアルト研究所(PARC)の Robert Metcalfe が、 社内に一通のメモを回した。 内容は、 Alto を建物の中で相互に接続するための放送型ネットワークである。 Computer History Museum の記録によれば、 Metcalfe 自身がこの文書を "Ether Acquisition" と呼び、 手書きの書き込みと手描きの図が入っていた。 それまで彼はこの構想を「ALTO ALOHA ネットワーク」と呼んでいたが、 このメモで名前を変えることを提案する ── Ether(エーテル)へ。

ALOHA から来たもの

名前の前半にあった ALOHA は比喩ではない。 ハワイ大学の ALOHA システムは、 島々に散ったコンピュータを無線パケットで結んだ実験網で、 「送りたいときに送る。 ぶつかったら適当に待って送り直す」という、 それまでの通信工学からすれば乱暴な方式を採っていた。 Metcalfe はハーバードの博士論文でこの方式のモデルを検討し、 その改良を論文に組み込んでいる。

Ethernet は、 この考え方を無線から同軸ケーブルの上へ移した。 加えて2つを足す。 送る前に線が空いているか聴く(carrier sense)。 送っている最中もぶつかっていないか監視し、 ぶつかったら即座にやめる(collision detection)。 そして再送までの待ち時間を、 衝突のたびに平均を倍にしていく乱数で決める ── 二進指数バックオフである。 中央の交換機も、 トークンを回す親局も置かない。 混雑の調停は、 送ろうとしている局それぞれの手元で確率的に行われる。

なぜ「エーテル」なのか

1976年の論文は名前の由来をはっきり書いている ── Ethernet の名は、 かつて電磁波がその中を伝わると考えられていた歴史上の luminiferous ether(光を伝えるエーテル)から採られた。 19世紀の物理学が捨てた概念である。 皮肉ではなく設計思想の表明だった。 共有される媒体は受動的で、 制御を持たず、 ただそこにある。 そして媒体が同軸ケーブルであることは本質ではない ── のちに Ethernet がツイストペアへ、 光ファイバへ、 そして無線へ載り替えていったとき、 この名前は結果的に正しかったことになる。

4つの別物を区別する

Ethernet の年号がしばしば取り違えられるのは、 4つの異なる出来事が全部「Ethernet の誕生」と呼ばれるからである。

何が起きたか性格
1973年5月22日Metcalfe のメモ提案。 社内文書であって仕様書ではない
1976年7月Metcalfe と David Boggs の論文(CACM 19巻7号 395–404頁)公開された設計と実測。 1kmの同軸に100ノードを載せた稼働網の経験に基づく。 最大256局、 3Mbps
1980年9月30日DEC・IntelXerox の共同仕様 Version 1.0(通称 Blue Book)業界仕様。 10Mbps、 最大局間距離2.5km、 最大1,024局
1983年6月23日承認 / 1985年12月31日発行IEEE 802.3公的標準。 CSMA/CD アクセス方式と物理層の規定

速度も一致しない。 Alto に載った実験用 Ethernet のインタフェースは、 1979年の Alto 設計報告書で「3メガビット/秒の通信設備」と書かれている。 ACM の発表によれば実際の速度は 2.94Mbps ── Alto のクロックから導かれた半端な値である。 10Mbps は1980年の DIX 仕様で初めて現れる。 そして DIX 仕様の前書きは、 自分の前身を「Xerox が1975年に設計・実装した Experimental Ethernet」と呼んでいる。 メモから動くネットワークまでには、 やはり数年かかっている。

標準になるまで

Xerox は1975年に Metcalfe・Boggs・Thacker・Lampson を発明者として特許を出願し、 1977年に取得している。 1980年の DIX 仕様が重い意味を持つのは、 この特許があったからだ ── Xerox が「抱え込む」ではなく「開く」を選んだ、 という選択だったのである。

Metcalfe は1979年6月に Xerox を離れ、 3Com を創業した。 彼が次にやったのは、 発明の売り込みではなく競合他社との合意形成である。 DEC と Intel を引き込んだ DIX 連合は、 Xerox が単独で持っていた技術を3社の共同仕様として公開し、 それが IEEE 802 委員会に持ち込まれて 802.3 になった。

この順序には意味がある。 同時期、 IBM は Token Ring を、 GM 系は Token Bus を推していた。 技術的には Token Ring のほうが高負荷時の予測可能性で優れているという議論があり、 IEEE 802 は勝者を決めずに 802.3・802.4・802.5 を並立させた。 決着をつけたのは規格委員会ではなく、 安価な NIC と、 それを刺せる IBM PC 互換機の物量である。

Metcalfe は2022年の ACM チューリング賞を受けた。 受賞理由は「Ethernet の発明・標準化・商業化」 ── 発明だけでは足りない、 と授賞理由そのものが述べている。

衝突検出は消え、 フレームは残った

TCP/IP がインターネットの共通語になったとき、 その下でフレームを実際に運んでいたのはたいてい Ethernet だった。 1本の太い同軸に全員がぶら下がる形は、 やがてハブへ、 スイッチへ、 全二重へと置き換わり、 衝突検出そのものが不要になる。 それでもフレーム形式と48ビットの MAC アドレスは、 1980年の Blue Book から現在の 800GbE まで生き残っている。 ARPANET が遠距離を、 Ethernet が建物の中を担当するという役割分担は、 半世紀を経ても崩れていない。

出典

  1. 三次資料Ethernet — Wikipedia

    取得日: 2026-08-12

最終更新:

共有