詳述 · 24件の出来事
半導体・ハードウェアの歴史
1940年代

John von Neumann / Internet Archive scan of Samuel N. Alexander's copy (Wikimedia Commons) · Public Domain · Commons ↗ ペンシルベニア大学ムーア校で、John von Neumann の名だけを著者に掲げた未完の草稿『First Draft of a Report on the EDVAC』が配布された。装置を CA(中央演算)・CC(中央制御)・M(記憶)・I(入力)・O(出力)に分け、命令と数値を同じ記憶に置く構成を、真空管やディレイラインといった工学的細部を剥ぎ取った論理の言葉で記述した文書である。草稿ゆえに前方参照は空欄のままで、引用文献は McCulloch と Pitts の神経回路の論文ただ1本。Eckert と Mauchly は着想の帰属に異議を唱え、無制限に配布されたこの草稿は後に法廷で先行公開と判断され、彼らの特許主張を無効にした。

U.S. Army Photo (Wikimedia Commons) · Public Domain · Commons ↗ ペンシルベニア大学ムーア校で、陸軍兵器局の弾道計算のために作られた ENIAC が報道陣に公開された(正式な献納式は翌15日)。真空管17,468本、重量約30トン、毎秒約5,000回の加算。ただし公開時点でプログラム内蔵方式ではなく、問題ごとにケーブルを差し替えスイッチを回して配線する機械だった。デモの弾道計算プログラムを書いたのは Betty Snyder と Jean Jennings であり、機械を操作していた6人の女性プログラマは当日の報道からほぼ完全に抜け落ちている。「世界初の電子計算機」ではない ── Colossus も Atanasoff-Berry Computer も先行する。ENIAC が最初だったのは、汎用にプログラム可能な電子計算機として実際に完成し使われ、そして公衆に知られたことである。
1950年代

U.S. Census Bureau (via Wikimedia Commons) · Public domain · Commons ↗ 米国国勢調査局が UNIVAC I の1号機を1951年3月31日に受領した。設計したのは ENIAC の J. Presper Eckert と John Mauchly で、彼らの会社 Eckert-Mauchly Computer Corporation は資金難から1950年2月に Remington Rand へ売却されており、UNIVAC I は買収先の製品として世に出た。世界初の商用計算機ではない ── 同じ1951年2月に Ferranti Mark 1 がマンチェスター大学へ納入されている。UNIVAC I が最初だったのは、米国で作られた商用電子計算機として、そして米国の民生官庁が受け取った計算機として、である。1号機は受領後もフィラデルフィアの工場に留まり、国勢調査局の建物に運び込まれたのは1952年12月だった。1952年11月4日の大統領選挙夜、CBS の中継に登場した UNIVAC が Eisenhower の地滑り的勝利を早々に弾き出したが、その予測は放送されなかった。

Arnold Reinhold (Wikimedia Commons user ArnoldReinhold) · CC BY-SA 3.0 · Commons ↗ IBM が記者会見で IBM 305 RAMAC を発表した。中核部品の IBM 350 ディスク記憶装置が、商用として最初のハードディスクドライブである。直径24インチの円盤を積み重ねて100の記録面を作り、毎分1200回転させ、上下に動く一対のヘッドで任意のレコードへ平均0.6秒で到達した。容量は500万文字。1文字6ビットで数えると3.75MB、1文字を1バイトと数えれば5MB という、換算の仕方で答えが変わる数字である。テープでは目的のレコードに着くまでリールを読み進めるしかなかったのに対し、RAMAC はどこにでも同じ時間で届いた。在庫や勘定を締めのバッチではなくその場で引ける、という業務上の変化がここから始まる。305 システムのリース料は月額3,200ドルだった。

Florian Schäffer (Wikimedia Commons user MAbW) · CC BY-SA 4.0 · Commons ↗ Texas Instruments の Jack Kilby が、1本のゲルマニウム棒(7/16×1/16インチ、約11.1×1.6mm)にトランジスタ・コンデンサ・抵抗の素子を作り込み、細い金線(flying wire)で結んだ移相発振回路を上司たちの前で動作させた。最初の動作する集積回路である。翌1959年1月23日には Fairchild Semiconductor の Robert Noyce が、Jean Hoerni の平面プロセスを前提にシリコン上で配線まで一体化するモノリシック IC を独立に構想。特許出願は Kilby が1959年2月6日、Noyce が同年7月30日で、量産技術として支配的になったのは Noyce の平面型だった。Kilby は2000年にノーベル物理学賞を受賞している(Zhores Alferov、Herbert Kroemer と同時受賞)。
1960年代

ArnoldReinhold (Wikimedia Commons) · CC BY-SA 3.0 · Commons ↗ IBM が単一のアーキテクチャで価格・性能の全域を覆う計算機ファミリ System/360 を発表した。同日の Data Processing Division press release は、165都市で10万人以上が発表会に参加したこと、中央処理装置が速度と記憶容量の19通りの組合せを持つこと、40種類以上の周辺機器が同時に用意されたことを記す。売り物は速度ではなく互換性で、あるモデル向けに書いたプログラムが同じ入出力構成のまま上位機でも動く ── 買い替えのたびにソフトウェアを捨てる商習慣を終わらせた。IBM 自身が開発費を4年間で50億ドルとしており、当時の同社年間売上を超える賭けだった。納入開始は小型機が1965年第3四半期、最大構成が1966年第1四半期と告知され、発表された6モデルのうち60・62・70は出荷されないまま65・75に置き換えられる。基本ソフト OS/360 の遅延は Fred Brooks の『人月の神話』を生んだ。

Max Roser, Hannah Ritchie / Our World in Data (Wikimedia Commons) · CC BY 4.0 · Commons ↗ Fairchild Semiconductor の研究開発部長 Gordon Moore が、Electronics 誌に「集積回路に集積できる素子数は毎年およそ倍増する」という予測を寄稿。 1959-64年の実績からの外挿だった。 1975年、 Moore は IEEE の会合でこれを「2年で倍増」へ下方修正しており、 今日「ムーアの法則」として流通している2年という数字はこの改訂版である(半導体産業のロードマップ的指標となったのも改訂後)。1968年、Moore は同僚の Robert Noyce と共に Intel を共同創業。
1970年代

the Science Museum (Science Museum Group), via Wikimedia Commons · CC BY 4.0 · Commons ↗ Intel の Ted Hoff と Stan Mazor が構想し、Federico Faggin がシリコンゲート MOS で設計、ビジコン(日本の電卓メーカー)から派遣された嶋正利が加わって仕上げた4 bit プロセッサ。2,300 個のトランジスタを 10μm プロセスで約12mm² に収め、クロックは 740 kHz。命令サイクルは 10.8μs で、毎秒約9万3千命令を実行した。1971年3月にビジコンへ初出荷され、電卓 141-PF に載る。11月15日に Electronic News 誌の広告で一般に発表された。単一チップの CPU を商品として買えるようにした最初の例である(Four-Phase の AL1 や F-14 の MP944 など先行例はあるが、いずれも一般に販売された汎用品ではなかった)。8 bit の 8008 は 4004 の派生ではなく Computer Terminal Corporation 向けの別設計だが、そこから 8080・8086 を経て x86 へ至る。

The wub (Wikimedia Commons) · CC BY-SA 4.0 · Commons ↗ Xerox パロアルト研究所(PARC)が1973年初頭に設計した実験機。ビットマップ表示のブラウン管を紙と同じ縦長に立て、3ボタンのマウスと5指のキーセットを添え、Ethernet でつなぐ ── 現在のワークステーションの構成要素がほぼすべて揃っていた。Bravo は画面の見た目のまま印刷できる文書編集を、Smalltalk はオブジェクト指向の実行環境を、この機械の上で実現した。Alto は一度も製品として売られていない。それでも1979年夏には約1,000台が研究者・技術者・秘書の日常業務で動いていた。1979年12月に Apple の一団がここで受けたデモが、Lisa と Macintosh に流れ込む。

The wub (Wikimedia Commons) · CC BY-SA 4.0 · Commons ↗ 1977年4月15日から17日、サンフランシスコ市民公会堂とブルックスホールで開かれた第1回 West Coast Computer Faire で Apple II が公開された。ケースを開けずに使え、テレビにつなげばカラーで表示し、BASIC が ROM に入り、8本の拡張スロットを持つ。出荷は同年6月10日、4KB 構成で1,298ドル。Steve Wozniak の設計は Breakout をソフトウェアで書きたいという動機から色と音を得た。1978年の Disk II が磁気テープからの脱出を、1979年10月の VisiCalc が「業務で使う理由」を与え、Apple II は趣味人の機械から会社の備品になった。
1980年代

The wub (Wikimedia Commons) · CC BY-SA 4.0 · Commons ↗ IBM が最小・最廉価の計算機として発表した機械。 発表資料は「わずか1,565ドルから」と記し、 標準メモリ16,384バイト、 83キーのキーボード、 出荷は10月からとした。 決定的だったのは仕様のほうである ── 既製部品を買い、 回路図と技術参考資料を公開し、 Microsoft には他社にも同じ OS を売る権利を残した。 IBM が独占的に握ったのは ROM に焼かれた BIOS ただ一つで、 1982年に創業した Compaq がクリーンルーム方式でそこを書き直すと、 互換機産業の扉が開いた。 IBM 社史の引く歴史家 James Cortada によれば、 同社の PC 市場シェアは1982〜83年の約80%から10年後には20%へ落ちる。 2005年、 IBM は PC 事業を Lenovo に売却した。

Peter Howkins · CC BY-SA 3.0 · Commons ↗ 英国ケンブリッジの Acorn Computers で、Sophie Wilson と Steve Furber の設計した最初の RISC(Reduced Instruction Set Computing)プロセッサ ARM1 の実シリコンが届き、1985年4月26日、電源を入れたその場で正しく動いた。当時の名は Acorn RISC Machine。3ミクロンプロセスにわずか25,000トランジスタという小ささで、これが低消費電力という決定的な性格を生んだ。ただし ARM1 自体は製品用チップではなく、BBC Micro 向けのセカンドプロセッサ「ARM Evaluation System」に載る評価用にとどまる。実際に家庭用機に載ったのは後継の ARM2 で、1987年6月の Acorn Archimedes が最初だった。設計チームは1990年11月、Acorn・Apple・VLSI Technology の合弁 Advanced RISC Machines Ltd. として独立し、以後 ARM は組込みとモバイルの事実上の標準となる。Arm の公表では、同社アーキテクチャのチップは累計3,500億個以上が出荷されている。
よくある質問
- 最初に ARM を積んだ家庭用計算機は何か
- 1987年6月の Acorn Archimedes で、載っていたのは ARM1 ではなく後継の ARM2 です。ARM1 は製品用チップではなく、BBC Micro 向けのセカンドプロセッサ「ARM Evaluation System」に載る評価用でした。
- ARM は何の略か
- 当時は Acorn RISC Machine の略でした。設計チームが Acorn・Apple・VLSI Technology の合弁 Advanced RISC Machines Ltd. として独立したのは1990年11月です。
2000年代

Hyins (Wikimedia Commons) · Public domain · Commons ↗ NVIDIA が、GPU をグラフィックス API を経由せずに汎用の並列計算機として扱うためのハードウェア/ソフトウェア・アーキテクチャ CUDA(Compute Unified Device Architecture)の 1.0 を公開。2006年11月の G80(GeForce 8800)発表で構想が示され、2007年2月に公開ベータ、6月23日付の Programming Guide 1.0 をもって正式版となった。対応ハードウェアは GeForce 8 シリーズ、Quadro FX 5600/4600、および Tesla。当初の主用途は科学技術計算だったが、5年後の AlexNet(2012年、GTX 580 2枚を CUDA で駆動)が示した深層学習との相性が、NVIDIA を AI 計算インフラの中核企業へ変えていく起点となった。
2010年代
- EVT.016T1AlexNet ── 深層学習時代の幕開けAIの歴史IT全史 ── 計算機が世界を編み変える詳細を読む →
- EVT.017T2iPhone 5s ── Touch ID と 64bit プロセッサ A7iPhone の歴史携帯電話・スマートフォンの歴史

曾成訓 (Wikimedia Commons) · CC BY 2.0 · Commons ↗ 台湾積体電路製造(TSMC)が 7nm プロセス(N7)の量産を開始。「7nm」はノードの呼称であって、ダイ上の実測寸法を指すものではない。年内に 7nm はウェハ売上の9%を占め、EUV を用いる N7+ は研究開発から製造へ移った(TSMC 2018年 Form 20-F)。最初に量産出荷された主要な採用例は Apple A12 Bionic(iPhone XS、2018年9月)で、Apple はこれを「スマートフォン初の7nmチップ」と称した。Intel が10nm 移行に苦戦する間に、TSMC は最先端ロジック製造で支配的な地位を固め、Apple・AMD・NVIDIA・Qualcomm の先端チップの多くを引き受けるようになる。
よくある質問
- 「7nm」はダイ上の実際の寸法ですか。
- いいえ。ノードの呼称であって、ダイ上の実測寸法を指すものではありません。
2020年代

Sonic8400 · CC BY-SA 4.0 · Commons ↗ Apple が、自社設計の ARM ベース SoC「M1」と、それを載せた最初の3機種(MacBook Air、Mac mini、13インチ MacBook Pro)を発表。5nm プロセスに160億トランジスタ、高性能4+高効率4の8コア CPU、最大8コア GPU、16コア Neural Engine を1チップに統合し、メモリまで同じパッケージに載せる構成をとった。Apple は「従来世代の Mac 比で CPU 最大3.5倍、GPU 最大6倍、機械学習最大15倍、バッテリー駆動時間最大2倍」と主張した(同社自身の測定による数値)。2006年から続いた Intel 時代がこれで終わったわけではなく、Apple は「Intel 版 Mac も開発中」と明言しており、移行が完了したのは Mac Pro が Apple Silicon 化された2023年6月である。それでも、iPhone・iPad から始まったチップ内製化の十数年が、ついに Mac にまで届いた節目だった。
よくある質問
- M1 の発表で Intel 版 Mac は終わったのか
- 終わっていません。Apple は同時に「Intel 版 Mac も開発中」と明言しており、移行が完了したのは Mac Pro が Apple Silicon になった2023年6月です。
- 「CPU 最大3.5倍」という数字はどこから来ているのか
- Apple 自身の測定による、従来世代の Mac との比較値です。GPU 最大6倍、機械学習最大15倍、バッテリー駆動時間最大2倍も同じ出所で、独立した検証値ではありません。

极客湾Geekerwan (Wikimedia Commons) · CC BY 3.0 · Commons ↗ 3月22日の GTC で NVIDIA が Hopper アーキテクチャと、その最初の GPU である H100 を発表。800億トランジスタ、TSMC 4N プロセス、PCIe Gen5 と HBM3 を初めて採用(NVIDIA の主張)、メモリ帯域3TB/s。FP8 を扱う Transformer Engine を備え、SXM モジュールは80GB の HBM3、PCIe カードは80GB の HBM2e を積む。性能はいずれも NVIDIA が「前世代」(Ampere 世代の A100)との比較として、精度の条件を示さずに公表した数字で、3950億パラメータの Mixture of Experts 学習で「最大9倍高速」、Megatron 530B のチャットボット推論で「最大30倍のスループット」。量産開始は9月20日に発表され、パートナー各社のシステムは10月から出荷された。ChatGPT 公開(同年11月)以降の需要急増で、H100 は生成AI 時代の事実上の標準学習・推論プロセッサとなる。以後 H200(2023年)、Blackwell B200(2024年)、Blackwell Ultra(2025年)と続き、2026年5月31日には後継の Vera Rubin が量産段階に入ったと発表された。

Daniel Torok / The White House (Wikimedia Commons) · Public domain (US Federal Government work) · Commons ↗ GTC 2024 で NVIDIA が次世代 GPU アーキテクチャ「Blackwell」と、 その最初の製品 B200 を発表した(発表であって出荷ではない)。 2080億トランジスタ、 TSMC のカスタム 4NP プロセスで作った2枚のダイを 10TB/s のチップ間リンクで結び、 1個の論理 GPU として動かす。 性能は NVIDIA 公称値で、 GPU 単体が FP4 で20 PFLOPS(2:4 スパース時。 デンスは10 PFLOPS)、 発表時のメモリ仕様は HBM3e 192GB。 ラック規模の GB200 NVL72(Grace CPU 36個+Blackwell GPU 72個)は NVIDIA 公称1.4 エクサフロップス、 同数の H100 に対し LLM 推論で最大30倍・消費電力とコストを最大25分の1という主張だった。 CoWoS-L パッケージの歩留まり問題で量産は2024年12月にずれ込んだが、 生成AI 計算インフラの中核となった。

NVIDIA Corporation (Wikimedia Commons) · Apache License 2.0 (trademark applies) · Commons ↗ 6月18日、 NVIDIA の時価総額が約3兆3400億ドルに達し、 Microsoft と Apple を抜いて一時的に世界一位となった。 ゲーム用 GPU メーカーから、 AI 計算インフラの中核企業への変貌が市場評価に反映された節目。 2022年末の ChatGPT 公開直後の時価総額は約3640億ドルだったため、 約一年半で9倍以上の成長。 同年11月5日には終値で Apple を抜いて首位を奪還し、 ジェンスン・フアン(Jensen Huang) は AI 業界で最も影響力のある経営者の一人となった。



