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IBM Watson Health の売却 ── 医療 AI の旗艦が投資会社に渡るまで

2022年1月21日、IBM は Watson Health 事業のうち、医療データと分析の資産を投資会社 Francisco Partners に売却する最終契約を結んだと発表した。対象は MarketScan、Micromedex、Health Insights、Clinical Development、Social Program Management、画像ソフトウェアで、金額は公表されなかった。取引は同年6月30日に完了し、資産はミシガン州アナーバーに本社を置く新会社 Merative になった。クイズ番組での勝利のあと IBM が医療 AI の旗艦として打ち出した事業は、こうして7年足らずで外部に渡った。
Watson が Jeopardy! で勝った経緯と、その直後に医療参入を発表したことは、そちらのページにある。この記事では、Watson Health という事業が作られてから売却されるまでを扱う。
部門の発足と買収 ── 2015〜2016年
IBM が Watson Health 部門の設立を発表したのは2015年4月13日である。発表は、医師・研究者・保険会社・健康関連企業が使える「Watson Health Cloud」を立ち上げると述べ、同時に三つの動きを示した。Apple、Johnson & Johnson、Medtronic との提携、医療データ分析の Explorys と Phytel の買収、そしてボストン地域に本拠を置く専任の事業部門の設置である。発表は、1人が一生のあいだに生み出す健康関連のデータは100万ギガバイトを超えるという IBM の見積もりを掲げていた。
その後も買収が続いた。TechCrunch によれば、IBM は2015年8月に医用画像の Merge Healthcare を10億ドルで、2016年2月には医療データ分析の Truven Health Analytics を26億ドルで買うと発表した。IEEE Spectrum の2019年の調査記事は、Watson Health が2016年半ばまでに医療データ企業4社を総額約40億ドルで買収したとまとめている。
| 時期 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 2015年4月13日 | Watson Health 部門と Watson Health Cloud を発表。Explorys と Phytel の買収も発表 | IBM |
| 2015年8月 | Merge Healthcare の買収(10億ドル) | TechCrunch |
| 2016年2月18日 | Truven Health Analytics の買収を発表(26億ドル) | TechCrunch |
| 2016年9月1日 | IBM が MD Anderson の腫瘍医向け助言システム(試験版・デモ版)の支援を終了 | テキサス大学システムの監査報告 |
| 2017年2月 | テキサス大学システムの監査報告(2016年11月付)が公表される | The Register |
| 2022年1月21日 | データ・分析資産を Francisco Partners に売却する契約を発表 | IBM |
| 2022年6月30日 | 売却完了、Merative が発足 | Francisco Partners |
MD Anderson の挫折
期待と現実の差が最も目に見える形で出たのが、テキサス大学 MD Anderson がんセンターの事業である。MD Anderson は Watson を使った腫瘍医向けの助言システム「Oncology Expert Advisor(OEA)」を開発していた。
テキサス大学システム監査室の特別調査報告(2016年11月付、2017年2月に公表)によると、IBM との契約は2012年6月に結ばれ、当初は6か月・240万ドルの固定料金だったが、12回延長されて料金の合計は3920万ドルに達した。外部企業への支払いは2016年8月31日までに約6210万ドルで、その半分以上はこの事業のために寄付・約束された資金だった。監査は、7件の関連契約のうち競争入札で調達されたのは1件だけで、料金が理事会の承認を要する額をわずかに下回るよう一貫して設定されていたと指摘した。寄付金の会計は1159万ドルの赤字で、まだ受け取っていない寄付を使っていたことになる。
システムは2016年9月の時点で臨床では使われておらず、MD Anderson の外で試験運用されたこともなかった。IBM は2016年9月1日付で試験版とデモ版の支援を終え、契約は患者の治療への使用を禁じていた。新しい電子カルテとの統合も済んでいなかった。
ただし報告書は、目的は調達手続きの評価に限られ、システムの科学的な根拠や機能についての意見と解釈すべきではないと断っている。一方、IEEE Spectrum は2019年、各国の病院が発表した評価を紹介している。インドの Manipal 総合がんセンターでは乳がん638例で専門医との治療推奨の一致率が73%、韓国の嘉泉大学吉病院では大腸がん656例で上位の推奨が専門医と一致したのは49%だった。
売却の中身
2022年1月の発表で、IBM ソフトウェア部門の上級副社長 Tom Rosamilia は、この契約を、IBM がプラットフォーム型のハイブリッドクラウドと AI の戦略に一段と集中するための明確な次の一歩だと説明した。同時に、Watson と AI 事業全体、そして医療 IT の顧客とパートナーへの関与は続けるとも述べている。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発表 | 2022年1月21日 |
| 買い手 | Francisco Partners(運用資産300億ドル超の投資会社) |
| 対象 | Health Insights、MarketScan、Clinical Development、Social Program Management、Micromedex、画像ソフトウェア |
| 金額 | 非公表 |
| 完了 | 2022年6月30日 |
| 新会社 | Merative(本社:ミシガン州アナーバー) |
| CEO | Gerry McCarthy(元 eSolutions CEO) |
| 共同出資 | True Wind Capital、Sixth Street |
Francisco Partners によれば、Merative の製品は Health Insights、MarketScan、Clinical Development、Social Program Management と Phytel、Micromedex、Merge の画像ソリューションの6つの製品群にまとめられた。Watson Health の責任者だった Paul Roma は Francisco Partners の上級顧問に移った。IBM の発表では、既存の経営陣は新会社でも同様の役割を続け、生命科学・医療機関・画像・保険・雇用主・政府の顧客に引き続きサービスを提供するとされた。
何が問われたか
IBM の発表が「データと分析の資産」と呼んだとおり、売却の中心は、AI の推論エンジンよりも、買収で集めたデータベースと分析製品だった。
Watson Health の歩みは、医療 AI をめぐる評価の分かれ目として引かれ続けている。IEEE Spectrum は、Jeopardy! の時期に IBM Research の最高医療科学者で、2014年に IBM を去った Martin Kohn の言葉を伝えている。Kohn は、強力な技術を持っていると証明するだけでは十分ではないと述べ、それが実際に役立ち、患者の生活を良くすることを示せと求めた。一方 IBM 側では、Jeopardy! の時期から Watson を率いた John E. Kelly III が同じ記事で、医療に AI を持ち込むのは難しい課題だが取り組んでいると語り、学びながら製品を変えてきたと説明している。
利害を受けた側も多い。MD Anderson では寄付金が使われ、海外の病院は Watson の名を掲げて患者に AI によるがん治療を宣伝していたと Spectrum は書く。経営陣と顧客は Merative に引き継がれ、IBM 自身はハイブリッドクラウドと AI の戦略に集中すると説明した。その後の IBM の動きは IBM のページにある。
同じ時期の医療 AI の別の例として、規制当局の審査を経た IDx-DR と EndoBRAIN、電子カルテに組み込まれた予測モデルが外部検証で期待を下回った Epic の敗血症予測モデル、大規模言語モデルによる医療 QA の Med-PaLM がある。全体の流れは AI と社会の年表 を参照のこと。
よくある質問
- IBM は Watson Health をいつ、誰に売ったのですか。
- 2022年1月21日に、Watson Health のデータ・分析資産を投資会社 Francisco Partners に売却する最終契約を発表しました。金額は公表されていません。取引は2022年6月30日に完了しました。
- Merative とは何ですか。
- Francisco Partners が IBM から買った資産をまとめて作った独立企業です。本社はミシガン州アナーバーで、Health Insights、MarketScan、Micromedex、Merge の画像ソリューションなど6つの製品群を持ちます。
- MD Anderson と Watson の事業はどうなったのですか。
- テキサス大学システムの監査によれば、MD Anderson がんセンターは腫瘍医向け助言システムに IBM と PwC への支払いで約6200万ドルを費やしましたが、システムは臨床で使われず、MD Anderson 以外で試験運用されることもありませんでした。監査は調達手続きを対象にしたもので、科学的な価値は評価していません。
- IBM は Watson をやめたのですか。
- 医療のデータ・分析資産は手放しましたが、売却の発表で IBM は Watson と AI 事業、医療 IT の顧客への関与を続けると述べました。Watson の名はその後も IBM の AI 製品に残っています。
出典
一次資料Francisco Partners to Acquire IBM's Healthcare Data and Analytics Assets — IBM, Jan 21, 2022
売却の最終契約、対象資産、金額非公表、第2四半期の完了予定、Tom Rosamilia と Francisco Partners のコメント、経営陣の継続
取引の完了、Merative の発足とアナーバー本社、CEO の Gerry McCarthy、6つの製品群、True Wind Capital と Sixth Street の出資
Watson Health 部門と Watson Health Cloud の設立、Apple・Johnson & Johnson・Medtronic との提携、Explorys と Phytel の買収
2016年半ばまでに4社を約40億ドルで買収、インド・韓国の病院での一致率、Martin Kohn の評価
Truven の26億ドル買収と、前年8月の Merge Healthcare 買収(10億ドル)
監査報告の本体。2012年6月の IBM 契約と12回の延長(3920万ドル)、外部企業への支払い約6210万ドル、競争入札は7件中1件、承認基準をわずかに下回る料金設定、寄付金会計の1159万ドルの赤字、臨床未使用、IBM の支援終了(2016年9月1日)、科学的評価は対象外。大学サイト上の元 URL は2026年10月時点で404
テキサス大学システムによる MD Anderson の Oncology Expert Advisor 監査の内容(約6200万ドル、承認基準をわずかに下回る料金設定、臨床未使用、科学的価値は評価外)
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