1956年夏T1
ダートマス会議 ── 「人工知能」の命名
1956年夏、ニューハンプシャー州ダートマス大学で開かれた約8週間のワークショップで、John McCarthy・Marvin Minsky・Claude Shannon・Nathaniel Rochester ら10名が「artificial intelligence」という言葉を提案・採用した。具体的な技術的成果よりも、後の数十年にわたるこの分野の独立した呼称と研究者ネットワークを生んだことが歴史的意義となる。
メタデータ
- 日付
- 1956年夏
- 年代
- 1950s
- Tier
- T1
- 参照年表
- IT全史 ── 計算機が世界を編み変える · AIの歴史
- 出典数
- 02
- 関連項目
- 03
ダートマス会議 ── 「人工知能」の命名
1955年8月31日、John McCarthy(マッカーシー)はロックフェラー財団に対して、ある研究集会の助成申請書を書いた。冒頭はこう始まる ── 「我々は、1956年の夏、ダートマス大学で2ヶ月にわたる10人の研究者による人工知能に関する研究を実施することを提案する」。
「人工知能(Artificial Intelligence)」という言葉が、公式の研究計画書に初めて登場した瞬間だった。
なぜダートマスだったか
マッカーシーは当時、ダートマス大学の助教だった。28歳。彼が会議の場にダートマスを選んだのは、自身の所属機関だったからにすぎない。だが、参加者の顔ぶれは特異だった。
- Marvin Minsky(プリンストン)── 後に MIT AI ラボを創設
- Claude Shannon(ベル研)── 情報理論の創始者
- Nathaniel Rochester(IBM)── IBM 701 の設計者
- Allen Newell、Herbert Simon(カーネギー工科大)── 後の Logic Theorist 開発者
- Arthur Samuel(IBM)── チェッカーで学習プログラムを書いた人物
申請書には「学習や知能の他の特徴の側面が原理的には精密に記述でき、それを機械にシミュレートさせることができるという仮説に基づいて研究を進める」と書かれていた。
実際に起きたこと
会議は1956年6月から8月にかけて開催された。「2ヶ月」と書かれていたが、全員が同時に滞在したわけではなく、入れ替わり立ち替わりという形だった。
技術的な成果としては、Newell と Simon が Logic Theorist というプログラムを持ち込んだことが知られている。これは数学の定理を自動的に証明するソフトウェアで、ホワイトヘッドとラッセルの『プリンキピア・マテマティカ』にある定理のいくつかを、それまで誰も知らなかった経路で証明することに成功していた。
しかし、会議全体としては、参加者の多くが後に振り返って「期待したほどの統合は起きなかった」と語っている。
それでも歴史的だった理由
ダートマス会議が「人工知能の誕生」と呼ばれるのは、技術ではなく、語彙と人脈の確立による。
- 語彙: 「artificial intelligence」という呼称が公式採用された。それまでこの領域は「自動機械」「思考機械」「サイバネティクス」など、複数の呼び方が競合していた。
- 人脈: 会議の参加者と、そこから派生したネットワークが、その後20年間の MIT、スタンフォード、CMU、IBM の AI 研究の中核を担うことになる。
1956年から1970年代半ばまでの「第一次 AI ブーム」を駆動したのは、まさにこのネットワークだった。彼らが書いた論文、彼らが指導した学生、彼らが調達した DARPA の研究費 ── これらが「AI」という学問領域を作り上げていった。
そして、第一次の冬(1970年代後半)、第二次のブーム(1980年代エキスパートシステム)、第二次の冬(1990年代前半)、そして第三次の現在進行形のブーム(2012年以降の深層学習)── そのすべての底流に、ダートマスで採用された一つの語彙が流れている。