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ジョン・マッカーシー

「artificial intelligence」という語を掲げた1955年8月31日付のダートマス会議提案書の筆頭著者。LISP の設計者(1958年着手、1960年に CACM で公表)。タイムシェアリングの提唱者であり、自由記憶の自動回収に「ガベージコレクション」という名を与えた人物でもある。Stanford AI Lab を1966年から1980年まで率い、1971年に ACM チューリング賞を受賞した。

ジョン・マッカーシーのポートレート
出典null0 (Wikimedia Commons, via Flickr) · CC BY-SA 2.0 · Commons で見る

プロフィール

生年
1927
没年
2011
在世
84 年
関連事象
03
名称
ENJohn McCarthyJAジョン・マッカーシー

ジョン・マッカーシー(John McCarthy、 1927年9月4日 ── 2011年10月24日)は、 20世紀計算機科学の前提を二度書き換えた研究者である。 一度目は1955年、 翌年の研究集会を申請する文書に「artificial intelligence」という語を掲げたこと。 二度目は1958年、 関数型プログラミング言語 LISP の設計。 どちらも、 名前と概念がそのまま70年生き残っている。

経歴

マッカーシーはマサチューセッツ州ボストンに生まれた。 父 John Patrick はアイルランド移民の労働組合オルグ、 母 Ida Glatt はリトアニア系ユダヤ人移民で、 両親とも1930年代に米国共産党の活動家だった。 少年期をロサンゼルスで過ごし、 近所にあった Caltech の数学教科書を独学で読破したため、 1944年に Caltech へ入学した際は数学の最初の2年分を免除されている。

Caltech で数学学士(1948年)。 Princeton 大学で数学博士(1951年)、 学位論文は偏微分方程式に関する「Projection operators and partial differential equations」で、 指導教官は Donald C. Spencer(Solomon Lefschetz とする資料もあるが、 Princeton の目録と Mathematics Genealogy はいずれも Spencer を挙げる)。

ACM のチューリング賞受賞者記録に載る職歴は次のとおり ── Princeton 講師(1951-53年)、 Stanford 数学助教授(1953-55年)、 Dartmouth College 数学助教授(1955-58年)、 MIT 通信科学助教授(1958-62年)、 Stanford 数学教授(1962-65年)、 Stanford 計算機科学教授(1965-2011年)。 Stanford AI Lab(SAIL)は1963年に設立され、 マッカーシーは1966年から1980年までその所長を務めた。 Stanford を退いたのは2000年である。

ダートマス会議と「人工知能」命名

1955年8月31日付で、 マッカーシー(Dartmouth College)、 Marvin Minsky(当時 Harvard University)、 Nathaniel Rochester(IBM)、 Claude Shannon(Bell Telephone Laboratories)の4名が、 ロックフェラー財団に助成申請を出した。 表題は「A Proposal for the Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence」。 有名な "We propose that a 2 month, 10 man study of artificial intelligence be carried out during the summer of 1956 at Dartmouth College in Hanover, New Hampshire." は、 その本文の冒頭近くにある計画の記述であって、 会議の実績でも参加者名簿でもない。

提案書は問題を七つの側面(自動計算機、 言語の使用、 ニューロン網、 計算量の理論、 自己改善、 抽象化、 ランダム性と創造性)に分けている。 1956年夏に実際に開かれた集会 は参加者が入れ替わる形で進み、 確定した名簿は残っていない。 技術的成果よりも、 分野に独立した名前と研究者ネットワークを与えたことが歴史的意義である。

LISP の設計

LISP(LISt Processor) は、 宣言文を与えると常識的に振る舞う機械「Advice Taker」の実験環境として1958年に MIT で設計が始まり、 1960年4月の Communications of the ACM 誌 3巻4号 184–195頁の論文「Recursive Functions of Symbolic Expressions and Their Computation by Machine, Part I」で公表された。

三つの革新が同時に入っている ── コードとデータを同じ表現で扱うこと、 再帰関数を評価モデルの中心に置くこと、 そして自由記憶リストの自動回収である。

ただし、 現在の Lisp の姿は設計どおりではない。 マッカーシーが人間の書く記法として想定していたのは M 式で、 S 式はその内部表現にすぎなかった。 Steve Russell が論文中の eval を IBM 704 の機械語に落として動かしてしまったため、 S 式がそのまま表層構文として定着した。 自動回収についても、 1960年の論文が使っている語は reclamation であり、 「garbage collection」という呼び名は後から付いた ── ただしその命名者がマッカーシー自身であることは動かない。

LISP は AI 研究の主要言語として1960年代から1980年代まで君臨し、 Maclisp、 Common Lisp、 Scheme、 Clojure を生んだ。 マッカーシーはこの時期、 ALGOL 60 の設計にも関わり、 1959年8月に再帰と条件式の採用を提案している。

タイムシェアリングと「ユーティリティとしての計算」

第三の貢献はタイムシェアリング ── 一台の大型計算機を複数ユーザーが同時利用する仕組み ── である。 マッカーシー自身の記録によれば、 1957年から MIT でこの話をしており、 1959年1月1日付で計算センター所長 Philip Morse に宛てた覚書で、 IBM が MIT とニューイングランドの大学群に供与を約束していた IBM 7090 をタイムシェアリング機にすることを提案した。 MIT の CTSS(1961年)、 BBN のシステム、 Dartmouth Time-Sharing System はいずれもこの流れにあり、 UNIX(1969年) も同じ系譜の上にある。

1961年の MIT 創立百周年記念講演で、 マッカーシーはさらに踏み込んだ。 "computing may someday be organized as a public utility just as the telephone system is a public utility" ── 計算はいつか、 電話網と同じように公共ユーティリティとして提供されるかもしれない、 という一節である。 電力ではなく電話に喩えていることに注意したい。 加入者は電話線でサービス会社に接続し、 実際に使った容量の分だけ払えばよい、 という具体像まで語られている。 AWS(2006年)が現れるのは45年後、 「クラウドコンピューティング」という語が普及する遥か前の構想だった。

受賞・栄誉

  • 1971年 ACM チューリング賞。 ACM の記録に載る citation は受賞講演「The Present State of Research on Artificial Intelligence」に言及する形式的な一文である
  • 1985年 IJCAI Award for Research Excellence
  • 1987年 米国工学アカデミー会員、 1989年 米国科学アカデミー会員
  • 1988年 京都賞(先端技術部門)
  • 1990年 米国国家科学賞
  • 1999年 Computer History Museum Fellow
  • 2003年 Benjamin Franklin Medal(計算機・認知科学)

影響

マッカーシーは2011年10月24日、 Stanford の自宅で84歳で死去した。 同月5日に Steve Jobs、 12日に Dennis Ritchie が他界しており、 2011年10月は計算機の巨人を三人続けて失った月として記憶されている。

技術的遺産は二重に走り続けている。 ひとつは LISP とガベージコレクションの系譜 ── 現代の高級言語のほぼ全てが受け継ぐ抽象化レベル。 もうひとつは AI そのもの。 マッカーシー自身が掲げた「人間レベルの汎用知能」という目標は、 深層学習革命(2012年 AlexNet) を経て ChatGPT(2022年) に至るまで、 半世紀以上にわたって分野の北極星であり続けた。 マッカーシー自身は論理ベースの記号処理を好み、 1978年から1986年にかけては非単調推論の circumscription を展開している。 統計的学習の側に立ったことは最後までなかったが、 「AI」という看板を掲げ続けたことが、 第二、 第三のブームへの橋になった。

関連する出来事

  1. ダートマス会議 ── 「人工知能」の命名
  2. LISP ── 関数型と AI の祖
  3. ALGOL 60 報告 ── 言語を文法で定義するということ

出典

  1. 三次資料John McCarthy (computer scientist) — Wikipedia

    取得日: 2026-08-10

最終更新:

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