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ムーアの法則 ── Gordon Moore

メタデータ
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- 1960s
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- 半導体・ハードウェアの歴史
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ムーアの法則とは、集積回路1個に載る素子の数が一定の周期で倍増するという経験則である。最初に示したのは Fairchild Semiconductor の研究開発部長だった Gordon Moore で、1965年4月19日号の Electronics 誌に載った論文「Cramming More Components onto Integrated Circuits(集積回路にもっと多くの部品を詰め込む)」がその初出にあたる。このとき Moore が示した周期は1年だった。今日よく引かれる「2年」は1975年に本人が改めた数字であり、広く流布する「18か月」はそもそも Moore の数字ではない。
1965年の論文が実際に測っていたもの
論文は短く、中心の主張は後に広まった標語よりずっと狭い。Moore が数えていたのは、作れる限り最大のチップではない。見ていたのはコストである。単純な回路では、部品1個あたりのコストは部品数にほぼ反比例して下がる。しかし部品を増やしていくと歩留まりの低下がそれを上回り、コストは再び上がり始める。したがって、ある時点ごとに部品1個あたりのコストが最小になる点があり、1965年にはそれが1回路あたり約50部品だった ── 論文はそう説明する。5年先を見ると、最小コストの点は1回路あたり約1000部品に移り、1970年には部品1個の製造コストが当時の10分の1になるだろう、とも書いている。
Moore が外挿したのは、この最小点の位置の推移だった。論文の言葉では、最小コストとなる複雑さは「およそ毎年2倍」の率で増えてきた。少なくとも10年はこの率がほぼ一定で続くと見られ、そうであれば1975年には、最小コストで作れる集積回路1個あたりの部品数は6万5000に達する、というのが予測の骨子である。
語り直しの中で落ちやすい点が二つある。第一に、IEEE Spectrum で Chris Mack が指摘するように、ここでいう「部品」はトランジスタだけでなく抵抗・コンデンサ・ダイオードを含んでいた。トランジスタ数が標準の物差しになったのは、MOS 回路が主流になった後のことである。第二に、予測の土台となったデータはごく少なかった。Computer History Museum(CHM)によれば、Moore は1959〜64年の5つの点に直線を引いており、その分析は1964年の Fairchild 社内文書にまとめられ、雑誌向けに書き直された。
チップの話にとどまらない予言
この論文は今読むと、驚くほど先を見ている。Moore は、集積回路が家庭用コンピュータ ── 少なくとも中央の計算機につながる端末 ── や、自動車の自動制御、個人が持ち歩ける通信機器をもたらすと書いた。また、計算機の構成そのものが変わり、メモリが中央に集められるのではなく機械全体に分散して置かれるようになるとも述べている。いずれも論文の主題ではなく、彼が描いた経済性から導かれる帰結として書かれていた。
1975年の改訂 ── 2年で倍増
10年後、予測はほぼ当たっていた。Spectrum によれば、Moore が1968年に Fairchild を離れて Robert Noyce と共同創業した Intel は、1975年の時点で約3万2000素子の CCD メモリを出そうとしていた。予測の6万5000まで2倍の差である。
1975年の IEEE 国際電子デバイス会議(IEDM)で、Moore はこの傾向を要因に分解した。倍増を支えてきたのは、部品の微細化、チップ面積の拡大、そして無駄な面積を詰める「回路とデバイスの工夫」の三つだという。そのうえで、当時登場しつつあった高密度のメモリアレイを見て、工夫の余地はほぼ尽きると判断し、今後の率を「毎年ではなく2年ごとの倍増」へ遅めた。
業界の物差しになったのは、この改訂版である。CHM はこれを自己成就的な予言と呼ぶ。技術者はこの曲線に遅れないことを求められ、それに合わせて計画を立てた。なお「ムーアの法則」という名前は Moore 本人が付けたものではなく、CHM は Carver Mead による命名としている。
Moore は1995年にもう一度この予測を点検している。CHM によれば当時の Intel Pentium は500万個近いトランジスタを持っており、Moore の結論は、この傾向はすぐには止まらない、というものだった。
「18か月」はどこから来たか
広く流布する「18か月」は、Moore のどちらの論文にも出てこない。法則の40周年にあたる2005年4月、The Register が伝えた Moore の発言によれば、2年ごとの倍増はコンピュータの処理能力でいえば18か月ごとの倍増を意味する、と指摘したのは Intel の幹部 David House だった。Spectrum はさらに事情を補っている。設計が単純なメモリチップは実際にロジックより速く集積度を上げ、マイクロプロセッサのほうは1970年代初めからおおむね2年周期をたどった。「18か月」を Moore の予測として引くのは、部品数と性能という別々の指標を混ぜることになる。
物理法則ではない
ムーアの法則は、自然が要求することではなく、ひとつの産業が成し遂げてきたことを記述している。Moore 自身、同じ2005年の発言で、こうしたことが永遠に続くわけではないと述べ、あと2〜3世代は続くと見込み、根本的な限界に達するまで10〜20年としていた。法則が長く続いたのは、彼が挙げた三要因のうちトランジスタの微細化に負うところが大きい。微細化は数十年にわたり、チップを世代ごとに高密度にするだけでなく性能も高めた ── Spectrum はこの点を詳しく論じている。
この論文以外の Moore の経歴は Gordon Moore、彼が共同創業した会社については Intel を参照。論文から6年後、Intel は計算機の中央処理装置を1チップに収めた Intel 4004 を世に出す。全体の流れは ハードウェアの年表 にある。
よくある質問
- ムーアの法則とは何か
- 集積回路1個に載る素子(トランジスタなど)の数が一定の周期で倍増するという経験則です。Gordon Moore が1965年に毎年の倍増として示し、1975年に2年ごとの倍増へ改めました。物理法則ではなく、業界の実績から引いた傾向線です。
- ムーアの法則はいつ発表されたのか
- 1965年4月19日号の Electronics 誌に載った Moore の論文「Cramming more components onto integrated circuits」です。元になったのは前年の Fairchild 社内向け文書でした。
- 倍増は18か月か、2年か
- Moore 自身の数字は1965年が1年、1975年の改訂が2年です。18か月は、Intel の David House がコンピュータの処理能力の倍増期間として示したもので、Moore はそれを House の指摘として認めています。
- 「ムーアの法則」と名付けたのは誰か
- Computer History Museum によれば、名付けたのは Carver Mead です。Moore 本人の命名ではありません。
出典
「最小コストの複雑さは毎年およそ2倍」、少なくとも10年続く、1975年に6万5000素子、現状は50素子で最小コスト、Fairchild の研究開発部長(1959年〜)
1959〜64年の5点、1964年の社内文書、1975年 IEDM での「2年で倍増」への改訂、Carver Mead による命名、1995年の再検討
二次資料Mack, C. — The Multiple Lives of Moore's Law, IEEE Spectrum (30 March 2015)
約64から6万5000へ、1975年の Intel の CCD メモリ約3万2000素子、1975年改訂の三要因(微細化・チップ面積・device cleverness)
二次資料Moore's Law is 40 — The Register (13 April 2005)
Moore が18か月の数字を Intel の David House に帰している
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