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ゴードン・ムーア

物理化学の博士号を持つ化学者から半導体産業の経営者になった人物。1957年に Shockley 半導体研究所を離れた8人の一人として Fairchild Semiconductor を創業し、研究開発を率いた。1965年4月19日、Electronics 誌の記事で「最小コストを与える集積度はおよそ年に2倍の割合で増えてきた」と観測を記す。1968年7月18日に Robert Noyce と Intel を創業し、1975年から1987年まで CEO、1987年から1997年まで会長。2000年に Gordon and Betty Moore Foundation を設立した。

ゴードン・ムーアのポートレート(2004年)
出典Science History Institute (staff photographer), via Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0 · Commons で見る

プロフィール

生年
1929
没年
2023
在世
94 年
関連事象
01
名称
ENGordon MooreJAゴードン・ムーア

ゴードン・アール・ムーア(Gordon Earle Moore、 1929年1月3日 ── 2023年3月24日)は、 半導体産業でただ一人、 産業の速度を言葉にした人物であり、 かつその速度を実際に出す会社を30年近く経営した人物でもある。 1965年の一本の記事 で知られるが、 記事を書いたことより、 記事の通りに産業を走らせ続けたことのほうが難しかった。

経歴

サンフランシスコ生まれ。 最初の10年をサンタクルーズ北方の農村ペスカデロで過ごした。 サンノゼ州立大学に2年在籍したのちカリフォルニア大学バークレー校へ移り、 1950年に化学の学士を取得。 1954年に Caltech で博士号を得た。 専攻は物理化学で、 赤外分光を扱っている。 ムーアは電子工学の出身ではない。 半導体産業の最重要人物の一人が、 材料と反応の側から入ってきたという事実は、 のちの Intel の性格 ── 製造プロセスを競争力の中心に置く会社 ── と無関係ではない。

学位取得後はジョンズ・ホプキンス大学応用物理研究所で2年余り研究化学者を務めた。 William Shockley の講演を聴いたことが転機となり、 1956年、 マウンテンビューに開かれたばかりの Shockley 半導体研究所に、 シリコントランジスタ製造を担う化学者として加わる。

Fairchild と「8人」

Shockley の技術判断と経営姿勢に不満を持った8人は、 1957年に揃って研究所を去った。 投資銀行 Hayden Stone と防衛企業 Fairchild Camera and Instrument を介して設立されたのが Fairchild Semiconductor である。 シリコンバレー最初のスピンオフであり、 以後この地で繰り返される起業の型を作った。

ムーアは1957年から研究開発を率いた。 5年のうちに Fairchild はシリコントランジスタとダイオードを量産に乗せ、 Jean Hoerni のプレーナプロセスを産業標準にし、 シリコンプレーナ型の集積回路を生んだ。

1965年の記事が実際に言ったこと

1965年4月19日、 Electronics 誌に載った記事の題は "Cramming more components onto integrated circuits"。 中心の一文は The complexity for minimum component costs has increased at a rate of roughly a factor of two per year ── 最小コストを与える集積度は、 これまでおよそ年に2倍の割合で増えてきた ── という過去についての観測であり、 これが少なくとも10年は続くとして、 1975年には最小コストのチップに65,000素子が載るだろうと外挿した。

ここで注意すべき点が三つある。 第一に、 記事に「法則(law)」という語は無い。 この名前を広めたのは Caltech の Carver Mead である。 第二に、 記事の数字は1年であって2年ではない。 2年への改訂は1975年の IEEE IEDM での講演で、 今日流通しているのは改訂版のほうである。 第三に、 よく引かれる「18か月」はムーアの数字ではない。 Intel の David House が、 素子数が2年で倍になり素子自体も速くなることから、 チップの性能はおよそ18か月で倍になると述べたものであり、 ムーア自身は自分がそう言ったことはないと否定している。

そして最も重要なのは、 これが物理法則ではないということだ。 経験則であり、 やがて業界が自分に課した目標になった。 ムーアが会長時代に半導体工業会の技術ロードマップを主導したことは、 その性格を端的に示している ── 法則は観測されるものから、 達成すべき工程表へ変わった。

Intel

1968年7月18日、 ムーアは Robert Noyce と Intel を設立した。 資金は Arthur Rock がまとめ、 最初の採用は Fairchild で研究開発の右腕だった Andy Grove である。 ムーアは1975年まで副社長(EVP)、 1975年から1987年まで社長兼 CEO、 1987年から1997年まで会長を務め、 以後は名誉会長。

CEO 期の判断のうち最も重いのは、 創業以来の主力だったメモリから撤退し、 マイクロプロセッサへ賭け直したことである。 Intel の17年におよぶメモリ会社としての時代 は、 このとき終わった。

受賞・栄誉

  • 1984年 IEEE Computer Society Computer Pioneer Award
  • 1988年 全米工学アカデミー Founders Award
  • 1990年 米国国家技術賞
  • 2002年 大統領自由勲章
  • 2008年 IEEE Medal of Honor

影響

2000年、 ムーアは妻 Betty とともに Gordon and Betty Moore Foundation を設立し、 数十億ドル規模の資産を科学研究・環境保全・ベイエリアの地域事業に振り向けた。 Caltech と Conservation International への寄付は特に大きい。

2023年3月24日、 94歳で死去。 彼が1965年に外挿した10年は、 結果として60年続いた。 微細化の物理的な限界 が近づくたびに「ムーアの法則は終わった」と言われてきたが、 終わりうるものだという点こそ、 ムーアが書いたのが法則ではなく観測だったことの証拠である。

関連する出来事

  1. ムーアの法則 ── Gordon Moore

最終更新:

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