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ゲームボーイ ── 白黒液晶の携帯機

初代ゲームボーイ(DMG-01)の本体。緑がかったモノクロ液晶、十字キー、A・B ボタンが見える
出典Evan-Amos · Public domain · Commons で見る ↗

メタデータ

日付
年代
1980s
Tier
T1
出典数
06
関連項目
01
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ゲームボーイの日本での発売日は1989年4月21日、発売時の価格は12,500円だった。北米では3か月あまり後の1989年7月31日に発売されている。最初に発売されたのは日本である。任天堂 IR の資料も、ゲームボーイの最初の発売を1989年4月21日・日本としている。

地域発売日価格出典
日本1989年4月21日12,500円任天堂 IR(日付)、ブルーバックス(価格)
北米1989年7月31日89.99ドルiMore(日付)、英語版 Wikipedia(価格)
欧州1990年9月28日──英語版 Wikipedia

同時発売は4本、テトリスは6月

日本で本体と同時に発売されたソフトは、『スーパーマリオランド』『アレイウェイ』(ブロック崩し)『ベースボール』『役満』(麻雀)の4本だった。

いまゲームボーイと聞いて多くの人が思い浮かべる『テトリス』は、同時発売ではない。ファミ通によれば日本での発売は1989年6月14日で、通信ケーブルを使った対戦モードを備え、以後のパズルゲームで対戦型を定番にしたと評されている。講談社ブルーバックスのサイトによれば、日本で最も売れたゲームボーイ用ソフトはテトリスの424万本だった。

北米以降は事情が違った。英語版 Wikipedia によれば、テトリスは日本以外のすべての地域で本体に同梱されている。北米の購入者は、箱を開けたその日からテトリスを遊べた。

控えめな部品で作る

ゲームボーイの設計は、最新の部品を追うものではなかった。英語版 Wikipedia によれば、開発を率いたのは任天堂開発第一部の横井軍平と岡田智で、横井は枯れた技術を安く使うことを重んじ、岡田はソフトを差し替えられるカートリッジ方式と、のちにポケモンの交換を可能にする通信ケーブルを推した。

項目内容出典
画面モノクロ液晶、160 × 144 ドット、4階調。コントラストを調節できるファミ通、英語版 Wikipedia
画面の大きさ2.6インチiMore
CPUSharp SM83、約4.2MHz英語版 Wikipedia
メモリ8KB の RAMiMore
電源単3電池4本、最大約30時間英語版 Wikipedia
通信通信ケーブルで2台をつなぐファミ通、英語版 Wikipedia

12,500円という価格は、翌年の スーパーファミコン の半分である。

夏に100万台

講談社ブルーバックスのサイトによれば、ゲームボーイは発売直後から爆発的に売れ、1989年の夏には早くも100万台を超えて、店頭の在庫が底をついた。

ファミ通は、ゲームボーイがおよそ13年にわたって現役で売られ、後継のゲームボーイアドバンスに引き継がれたと振り返り、その長寿を支えたシリーズの一つとしてポケモンを挙げている。任天堂 IR の資料によれば、ゲームボーイアドバンスの発売は2001年3月21日である。

1億1,869万台 ── ゲームボーイカラーを含む

任天堂 IR が公表する「ゲームボーイ」の累計は次のとおり。ファミ通はこれを「ゲームボーイファミリー」の数字として紹介し、iMore も後継のゲームボーイカラーを合わせた数字だと書いている。初代のモノクロ機だけの数字ではない点に注意が要る。

地域本体ソフト
日本3,247万台1億5,706万本
米大陸4,406万台1億9,061万本
その他4,216万台1億5,344万本
合計1億1,869万台5億111万本

英語版 Wikipedia によれば、モノクロのゲームボーイだけでは、1998年後半までに6,442万台が売れていた。

発売10年後の山

任天堂 IR の地域別資料は、1997年4月に始まる年度(1998年3月期)からの年度別の数字を載せている。ゲームボーイ(カラーを含む)の本体の全世界販売は次のとおりで、資料の数字は1万台単位である。

年度期間本体(全世界)
1998年3月期1997年4月〜1998年3月1,037万台
1999年3月期1998年4月〜1999年3月1,299万台
2000年3月期1999年4月〜2000年3月1,745万台
2001年3月期2000年4月〜2001年3月1,886万台
2002年3月期2001年4月〜2002年3月470万台

公表されている範囲で最も多く売れたのは2001年3月期の1,886万台で、1989年の発売から11年以上たっていた。この期間の数字にはゲームボーイカラーが含まれており、初代のモノクロ機だけの推移ではない。2002年3月期に470万台へ急減したのは、2001年3月21日にゲームボーイアドバンスが出た直後の年度である。ソフトも2001年3月期の7,619万本が公表範囲での最大だった。

地域別に見ると、本体の4分の3近くは日本の外で売れている。ファミコン が北米では NES として2年あまり遅れて売り出されたのに対し、ゲームボーイは日本と北米の差が3か月あまりで、最初から世界で売る製品として出ていた。

系譜

任天堂の携帯機はこのあと、2001年のゲームボーイアドバンスを経て、2004年の ニンテンドーDS で二画面とタッチパネルへ進む。さらに据置機と携帯機の境目をなくしたのが2017年の Nintendo Switch である。

家庭用機の側の系譜は ファミコン と スーパーファミコン、企業については 任天堂、全体の流れは ゲーム機の年表 を参照。

よくある質問

ゲームボーイの発売日はいつですか。
日本では1989年4月21日に12,500円で発売されました。北米は1989年7月31日です。日本が最初の発売地域でした。
ゲームボーイの同時発売ソフトは何でしたか。
日本では『スーパーマリオランド』『アレイウェイ』『ベースボール』『役満』の4本です。『テトリス』は少し遅れて1989年6月14日に発売されました。日本以外ではテトリスが本体に同梱されました。
ゲームボーイは何台売れましたか。
任天堂 IR によれば、ゲームボーイカラーを含むゲームボーイの本体は全世界で1億1,869万台、ソフトは5億111万本です。
ゲームボーイは何で動きましたか。
単3電池4本です。英語版 Wikipedia によれば、最大で約30時間遊べました。画面はモノクロの液晶で、コントラストを調節できました。

出典

  1. 一次資料Consolidated Sales Transition by Region (XLSX) — Nintendo IR

    発売日1989年4月21日(日本)と地域別の販売台数

    取得日: 2026-10-05

  2. 一次資料Dedicated Video Game Sales Units — Nintendo IR

    取得日: 2026-10-05

  3. 二次資料4月21日 任天堂が「ゲームボーイ」を発売(1989年) — ブルーバックス(講談社)

    発売時の価格12,500円、同年夏に100万台突破

    取得日: 2026-10-05

  4. 二次資料Original Game Boy gets torn down by iFixit on 30th anniversary — iMore

    北米発売日1989年7月31日

    取得日: 2026-10-05

  5. 三次資料Game Boy — Wikipedia

    取得日: 2026-10-05

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