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任天堂
1889年に山内房治郎が京都で花札の製造を始めた企業。1947年に株式会社丸福として法人化し、1951年に任天堂骨牌株式会社、1963年に現社名へ改称した。玩具・アーケードを経て1983年のファミリーコンピュータで家庭用ゲーム機に参入し、以後ゲームボーイ、ニンテンドーDS、Wii、Nintendo Switch と、性能競争から降りた設計で市場そのものを組み替える動きを繰り返してきた。2026年3月期の連結売上高は2兆3,130億円で、うち76.9%が日本国外。

組織情報
- 設立
- 1889
- 状態
- 稼働中
- 活動期間
- 1889–
- 関連事象
- 05
- 名称
- ENNintendo Co., Ltd.JA任天堂
任天堂株式会社は、 1889年に山内房治郎が京都で花札の製造を始めた企業である。 1947年に株式会社丸福として法人化し、 1951年に任天堂骨牌株式会社、 1963年に現在の社名へ改めた。 本社は京都市南区上鳥羽、 資本金100億6,540万円、 連結従業員数8,666名、 代表取締役社長は古川俊太郎(いずれも2026年3月時点)。 創業から137年のうち、 ゲーム専用機を売ってきたのは後半の43年にすぎない。
沿革 / History
前半の94年は紙とプラスチックの会社だった。 1902年に日本初のトランプ製造へ着手、 1953年にプラスチック製トランプの量産を国内で先駆け、 1962年に大阪証券取引所第二部と京都証券取引所へ上場する。 翌1963年の社名変更を境に玩具へ広がった。 英語版 Wikipedia はこの転換を、 1950年から2002年まで社長を務めた三代目・山内溥によるものとし、 1979年の米国子会社設立にも触れる。 1980年の「ゲーム&ウオッチ」で電子玩具へ軸足を移し、 1983年のファミリーコンピュータで家庭用機に参入した。
以後の43年は、 落ちては別の土俵で建て直す反復である。 スーパーファミコン4,910万台に対しニンテンドウ64は3,293万台、 ゲームキューブは2,174万台と据置機は縮み続けたが、 二画面のニンテンドーDS(1億5,402万台)とWii(1億163万台)が性能競争の外側で客層を広げ直した。 その反動が Wii U の1,356万台 ── IR の表に載る据置機で最小 ── であり、 立て直しの最中の2015年7月11日に社長・岩田聡が在職のまま死去する。 君島達己を挟んで2018年に古川が就任し、 Switchは1億5,659万台、 Switch 2 は発売から約13か月で2,368万台に達した。
主要製品・事業 / Products and Services
| 機種(任天堂 IR の表記) | 本体 | ソフト |
|---|---|---|
| ファミリーコンピュータ | 6,191万台 | 5億1万本 |
| スーパーファミコン | 4,910万台 | 3億7,906万本 |
| ゲームボーイ | 1億1,869万台 | 5億111万本 |
| ニンテンドウ64 | 3,293万台 | 2億2,497万本 |
| ニンテンドーゲームキューブ | 2,174万台 | 2億858万本 |
| ゲームボーイアドバンス | 8,151万台 | 3億7,742万本 |
| ニンテンドーDS | 1億5,402万台 | 9億4,876万本 |
| Wii | 1億163万台 | 9億2,185万本 |
| ニンテンドー3DS | 7,594万台 | 3億9,231万本 |
| Wii U | 1,356万台 | 1億360万本 |
| Nintendo Switch | 1億5,659万台 | 15億6,195万本 |
| Nintendo Switch 2 | 2,368万台 | 5,817万本 |
数値は任天堂 IR が言う全世界での連結累計販売数量(2026年6月末時点)で、 出荷と最終購入のどちらかを名指す指標ではない。 行は地域も派生機もまたぐ。 同じ表を任天堂は英語版で "NES" と表記するが、 1983年7月15日に日本で出たファミコンと、 1985〜86年に北米へ展開した NES は別の機械である。 DS・3DS の行にも Lite / DSi / New が束ねられている。
ゲーム専用機以外は「IP関連収入等」── 映像、 スマートデバイス向けコンテンツ、 ロイヤリティ、 直営店物販 ── として一括計上され、 2026年3月期は735億円(前年比-9.7%)、 売上全体の3.2%にすぎない。 宇治市のニンテンドーミュージアムも、 任天堂が全世界で13億ドル以上と述べる『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(2023年)の続編 ── 決算説明資料によれば2026年4月1日に世界公開を開始し4週間で興行収入8億ドル超 ── も、 売上構成ではこの1行の内側にある。
重要事件 / Key Events
- 1889年: 山内房治郎が京都市下京区で花札の製造を開始。
- 1947年: 京都市東山区に株式会社丸福を設立(1951年に任天堂骨牌、 1963年に現社名)。
- 1983年7月15日: ファミリーコンピュータを日本で発売。 同年、 東京証券取引所第一部に上場。
- 2000年: 本社を京都市南区上鳥羽(現在地)へ移転。
- 2015年7月11日: 代表取締役社長・岩田聡が死去(2002年5月就任)。
- 2024年9月18日: 株式会社ポケモンと共同で、 株式会社ポケットペアを特許権侵害で東京地方裁判所に提訴。
- 2024年10月2日: ニンテンドーミュージアム(宇治市)開館。
- 2025年6月5日: Nintendo Switch 2 発売。
- 2026年5月8日: Switch 2 の値上げを公表。 日本語専用機は5月25日に49,980円→59,980円、 米国は9月1日に449.99ドル→499.99ドル、 欧州も同日に改定(My Nintendo Store 価格)。
業績指標 / Key Metrics
- 売上高(2026年3月期): 2兆3,130億円(前期比+98.6%) / 営業利益 3,601億円(+27.5%) / 当期純利益 4,240億円(+52.1%)
- 粗利率: 61.0% → 39.3%(-21.7pt)。 専用機売上に占めるハード比率が43.7%→66.7%へ上がったことが主因
- デジタル売上: 4,076億円、 専用機ソフト売上の54.6%
- 地域構成: 日本 23.1% / 米大陸 40.4% / 欧州 23.8% / その他 12.7%
- 年間プレイユーザー数: 1億人超(2025年4月〜2026年3月、 任天堂推計)
- 連結従業員数: 8,666名(うち任天堂単体 3,084名、 2026年3月時点)
影響と批判 / Influence and Criticism
任天堂の設計思想は「一番速い機械を作らない」ことにある。 Wii と DS は同時代の他社機に処理性能で劣ったまま歴代上位の数字を出し、 Switch は据置と携帯の区別そのものを解いた。 代償は世代交代のたびの互換性・オンライン・サードパーティ環境の遅れで、 Wii U のように市場が応答しない世代も生じる。 2026年3月期に粗利率が21.7ポイント落ちたのも、 立ち上げ年にハードが専用機売上の三分の二を占めたためで、 本体を薄利で置き自社ソフトで回収する構造は変わっていない。
知的財産の行使は近年いっそう明示的である。 2024年9月18日の提訴でポケットペアに求めたのは、 著作権ではなく特許権に基づく差止と損害賠償だった。 ニュースリリースは「長年の努力により築き上げてきた当社の大切な知的財産を保護するため」今後も措置を講じると述べる。 特許を選ぶ判断と、 エミュレータや ROM 配布への継続的な法的対応は、 保護と萎縮のどちらに働くかで評価が割れる。 逆方向の争点だった Joy-Con のドリフトは、 米国の集団訴訟(2019〜2020年提起)が2024年5月に取り下げられたと Nintendo Life が報じ、 司法判断が示されないまま終わった。
2027年3月期の主題は外部環境である。 任天堂はメモリを中心とする部品価格の上昇と関税措置の影響としておよそ1,000億円を売上原価に織り込み、 あわせて Switch 2 の値上げを公表した。 発売2年目に主力機を値上げする判断は、 京都の一企業が半導体市況と通商政策の従属変数であることを、 決算資料の側から示している。
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