T1
CP/M ── 8ビットマイコンの OS 標準

メタデータ
- 日付
- 年代
- 1970s
- Tier
- T1
- 参照年表
- OSの歴史
- 出典数
- 06
- 関連項目
- 03
CP/M(Control Program for Microcomputers)は、Gary Kildall が Intel の8ビット・マイクロプロセッサ向けに書いたディスク・オペレーティングシステムで、8ビットマイコン市場の共通の OS となった。「1974年」という日付は、売り出された製品ではなく最初に動いた試作版を指す。2014年に設置された IEEE マイルストーンは、Kildall がカリフォルニア州 Pacific Grove で CP/M の最初の実働プロトタイプを示したのを1974年とし、Computer History Museum(CHM)はディスケットからの最初の起動をその年の秋に置いている。最初のライセンス販売は1975年で、CHM は商用 OS として完全に仕上がった時期を1976年としている ── Kildall と妻の Dorothy McEwen が、のちの Digital Research となる会社を興した年である。資料の食い違いは見かけほど大きくない。1974年が試作、1975年が最初の販売、1976年が商用製品である。
| 年 | 段階 | 出典 |
|---|---|---|
| 1972年 | Kildall が Intel のためにシステム記述言語 PL/M を開発。初期の CP/M はこれで書かれた | CHM |
| 1974年 | Pacific Grove で最初の実働プロトタイプ。秋にディスケットから起動 | IEEE マイルストーン、CHM |
| 1975年 | Omron of America や Lawrence Livermore 研究所との最初の商用ライセンス | CHM |
| 1976年 | 商用 OS として仕上がる。BIOS の分離が生まれ、Intergalactic Digital Research を設立 | CHM |
| 1981年9月 | CP/M のライセンス販売が25万本を超える | Wikipedia |
| 1982年 | Digital Research の年換算売上が2,000万ドルを超える | CHM |
| 2014年 | 4月25日、Pacific Grove に IEEE マイルストーンの銘板 | IEEE |
1972〜74年 ── 海軍大学院の教官と Intel の請負仕事
1970年代初め、Kildall は海軍大学院(NPS)で計算機科学を教えながら、非常勤で Intel の仕事をしていた。Intel は 4004 でマイクロプロセッサの時代を開いた会社である。Kildall は1972年、Intel のために高水準のシステム記述言語 PL/M を作った。彼が Intel のチップ向けに書いた道具は遅い紙テープに頼っており、CHM によれば1974年、彼はマイクロプロセッサの設計者が紙テープの代わりにフロッピーディスクを使えるようにするプログラムを書いた。
難しかったのはハードウェアである。8インチのフロッピードライブをマイコンにつなぐにはコントローラが要り、Kildall は当時 UC Berkeley で教えていた大学時代の友人 John Torode に頼んだ。CHM のために David Laws が Kildall の回想録をもとに書いた記述によれば、2人がようやくそれを動かしたのは1974年秋のある日の夕方、Pacific Grove の Kildall の自宅裏の作業場だった。CP/M を紙テープからディスケットに読み込み、ディスケットから起動すると、プロンプトのアスタリスクが現れた。(Laws はドライブを Memorex 製としているが、Wikipedia などは Shugart 製としている。語り手によって細部が異なる点の一つである。)
1975〜76年 ── プログラムから製品へ
CP/M は Intel の製品ではなかった。CHM は、Kildall がこのプログラムを自由に自分で売ることができたと記している。最初のライセンスは1975年に売れ、初期の契約は Omron of America と、プログラムの監視に CP/M を使った Lawrence Livermore 研究所に結ばれた。
CP/M を標準にしたのは、広まる過程で生まれた設計上の決断だった。当時のマイコンは機種ごとにディスクもコンソールも違った。新しい機械に移植していくなかで、ハードウェアに依存する部分は BIOS(Basic Input/Output System) として切り分けられた。CP/M を新しい計算機に載せるとき、メーカーが書き直すのは BIOS だけでよく、OS の残りの部分も、その上で動くすべてのプログラムもそのまま使えた。IEEE の銘板は、OS とともに BIOS を Kildall の発明として挙げている。この分離によって、同じアプリケーションがまったく違う機械の上で動いた。Digital Research は1982年、CP/M が450種を超えるコンピュータ・システムにライセンスされたと述べている。
1976年、Kildall と Dorothy McEwen は商機を追うために Intergalactic Digital Research を設立し、名前が使えるようになると Digital Research Inc.(DRI)に縮めた。初期の大型契約の一つは、NPS の元学生 Glenn Ewing が持ち込んだ、マイコンメーカー IMSAI のディスクシステム向けのライセンスである。初期のソースコードについての CHM の記事は、その料金を一括2万5,000ドルとしている。CHM によれば、CP/M は標準として受け入れられ、Altair、Amstrad、Kaypro、Osborne をはじめ初期のパーソナルコンピュータ・メーカーの大半が採用した。
1980年 ── IBM、Microsoft、そして不調に終わった会談
CP/M について最もよく語られるのは、IBM PC を逃した話である。IBM がまず Kildall を訪ねて冷たくあしらわれた、というおなじみの語りは順序を取り違えている。CHM の記述では、IBM の調達チームは BASIC インタプリタのライセンスを受けるために Microsoft を訪ね、Kildall と面識のあった Bill Gates が、OS については DRI へ行くよう勧めた。
DRI で IBM のチームは、午前中に Dorothy McEwen と同社の弁護士 Gerry Davis と会い、秘密保持契約の条件を詰めた。顧客に会うため自分の飛行機でオークランドへ飛んでいた Kildall は、予定どおり午後に戻って技術的な話し合いに加わった。CHM の記述は決裂の原因を金銭に置く。IBM は CP/M を買い切りたがり、DRI は既存の事業を守るために1本ごとのロイヤルティを求めた。秘密保持契約や納期を重く見る語りもあり、当事者たちの証言は一致していない。
その後 Gates は、CP/M の見た目と操作感をまねて書かれた OS を Seattle Computer Products から買い取り、IBM には一括払いの非独占ライセンスで PC DOS として提供し、他社には MS-DOS としてライセンスする権利を手元に残した。Digital Research の16ビット版 CP/M-86 も PC 向けに用意されたが、勝負を決めたのは価格だった。1981年8月12日に PC を発表した IBM は、PC DOS を40ドル、CP/M-86 を240ドルとし、ほとんどの顧客は安いほうを選んだ。
CP/M が残したもの
DOS が CP/M から受け継いだのは市場だけではない。Wikipedia によれば、ドライブ文字や8.3形式のファイル名といった慣習は CP/M から MS-DOS を経て Windows に受け継がれた。CHM はのちに Digital Research の初期の CP/M ソースコードを研究用に公開し、IEEE の銘板は Pacific Grove の Lighthouse Avenue にある DRI の旧本社の前に立っている。
ほかの OS との位置関係は オペレーティングシステムの年表 にある。CP/M が動いたマイコンは、Apple II と同じ時代の機械である。
よくある質問
- CP/M はいつ作られたのですか。
- 最初の実働プロトタイプは1974年です。IEEE マイルストーンは1974年の Pacific Grove とし、Computer History Museum はディスケットからの最初の起動を同年秋に置いています。最初のライセンス販売は1975年、商用 OS としての完成は1976年です。
- IBM は IBM PC の OS を最初に Digital Research へ買いに行ったのですか。
- いいえ。IBM の調達チームは BASIC のライセンスのためにまず Microsoft を訪ね、Bill Gates の紹介を受けて Digital Research に回っています。
- なぜ IBM PC では CP/M-86 でなく PC DOS が広まったのですか。
- 価格差が趨勢を決めました。IBM は PC DOS を40ドル、CP/M-86 を240ドルとし、ほとんどの顧客は安いほうを選びました。
- CP/M の BIOS とは何ですか。
- 機種ごとに異なるディスクやコンソールを扱う部分を切り分けた層です。移植するときは BIOS だけを書き直せばよく、OS の残りとアプリケーションはそのまま動きました。IEEE の銘板は BIOS を Kildall の発明として挙げています。
出典
1974年の Pacific Grove での最初の実働プロトタイプと BIOS を記す銘板文、2014年4月25日の設置
1974年秋の最初の起動、Torode、1975年の最初の販売、Intergalactic Digital Research、IBM との会談、40ドル対240ドル
PL/M(1972年)、1975年の Omron と Lawrence Livermore、1976年の商用化と BIOS、IMSAI の2万5,000ドル、1982年の売上
三次資料CP/M — Wikipedia
1981年9月の25万本、1982年の450機種、Shugart 製ドライブとする記述、ドライブ文字と8.3形式
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