人物 :: PERSON
ビル・ゲイツ
Microsoft の共同創業者(1975年、Paul Allen と)。Altair 8800 用の BASIC を皮切りに、MS-DOS、Windows、Office で PC 市場の OS とアプリケーションの両方を支配する戦略を主導した。2000年に CEO を Steve Ballmer に譲り、2008年からは Bill & Melinda Gates Foundation を中心とした慈善活動に軸足を移している。2025年5月、財団を2045年末に閉鎖し、残る資産約2,000億ドルを使い切ると発表した。

プロフィール
- 生年
- 1955
- 存命
- 存命
- 在世
- 1955–
- 関連事象
- 04
- 名称
- ENBill GatesJAビル・ゲイツ
ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世(William Henry Gates III、 1955年10月28日生)は、 1975年に Paul Allen と共に Microsoft を共同創業し、 PC ソフトウェア市場で OS とアプリケーションの両方を支配する戦略を主導した米国の実業家・慈善活動家である。 1995年から2007年まで13年連続で『Forbes』誌の世界長者番付の首位を占め、 その後も何度か首位に返り咲いた。 2008年からは Bill & Melinda Gates Foundation を中心とした慈善活動に軸足を移している。 2025年5月、 残る個人資産のほぼ全て ── 約2,000億ドル ── を投じ、 財団を2045年12月31日に閉鎖すると発表した。
法律家の父と、 銀行の取締役になった母
ゲイツは1955年10月28日、 ワシントン州シアトルに生まれた。 父 William H. Gates Sr. は著名な法律家。 母 Mary Maxwell Gates は First Interstate Bank of Washington の取締役に就いた最初の女性であり、 全米 United Way の執行委員長を務めた最初の女性でもあった ── その執行委員会で同席していたのが IBM 会長の John Opel である。 この面識は、 1980年に Microsoft が IBM の OS 受注を得た経緯としばしば結び付けて語られる。 なお、 彼女が IBM の取締役だったという記述が見られるが、 それは誤りである。
私立進学校 Lakeside School 在学中、 同校がリースした General Electric の時分割システムを通じて初めて計算機に触れる。 校内コンピュータ・クラブで2学年上の Paul Allen と出会ったのが13歳のときである。 二人は Lakeside の時間割作成プログラムから始まり、 高校在学中にすでに地元企業のソフトウェア請負仕事をこなしていた。 Paul Gilbert を加えて作った Traf-O-Data は、 道路の交通量計測器が打ち出す紙テープを処理する事業で、 ハードウェアができる前にソフトウェアを書くために、 Allen は PDP-10 上で Intel 8008 を模擬するプログラムを書いた。 3年後、 同じ手口が Microsoft の最初の製品を生む。
1973年、 ハーバード大学に入学し応用数学と計算機科学を学ぶ。 1975年、 Popular Electronics 誌の表紙を飾った MITS Altair 8800 を見た Allen と二人で、 Altair 用の BASIC インタプリタを実装することを決めた。 ゲイツはハーバードを離れ、 復学しなかった。
最初の製品は Altair BASIC だった
Altair BASIC(1975年)
Microsoft の最初の製品は、 Intel 8080 上の Altair 8800 のための BASIC インタプリタである。 ゲイツと Allen は、 ゲイツの寮の同居人 Monte Davidoff を加え、 ハーバードの Aiken 計算研究所にあった PDP-10 上に 8080 のエミュレータを作り、 公開されていた 8080 の仕様書だけを頼りにその上でインタプリタを書いた。 二人とも実物の Altair に触れたことはなかった。 Allen は実機で一度も走らせないまま紙テープを持ってアルバカーキへ飛び、 そして動いた。 Microsoft 自身の記録では、 Altair BASIC は1975年2月に完成し最初の顧客に売られている。
創業そのものは段階的で、 書類は仕事に何年も遅れた。 日付の詳細は Microsoft 設立の記事で扱う。 1975年4月4日が慣例的な創業日だが、 「Micro-soft」 の名が文書に現れる最初は同年7月29日の書簡であり、 商号 Microsoft のニューメキシコ州登録は1976年11月、 法人化に至っては1981年6月である。
1976年2月3日付の1ページの書簡 ── 「Open Letter to Hobbyists」 ── でゲイツは、 Altair BASIC のテープが自由に複製・共有されている状況を窃盗だと論じた。 論点は逸失利益ではなく、 そのままでは誰も良いソフトウェアを書く余裕を持てなくなる、 という点にある。 ソフトウェアを独立した商品として販売するという発想を最初に世に問うた文書として位置付けられる。
MS-DOS と IBM PC(1981年)
1980年、 IBM が IBM PC(model 5150)の OS を探して最初に訪ねたのは Microsoft だった。 ゲイツの紹介を受けて IBM は Digital Research の CP/M-86 に回る。 「IBM はまず Digital Research と交渉し、 決裂したから Microsoft に来た」という語りは順序を取り違えている。 DRI との交渉が決裂したのは事実で、 IBM はそのあと Microsoft に戻ってきた。 Microsoft は Seattle Computer Products の Tim Paterson が書いた 86-DOS(旧称 QDOS、 Quick and Dirty Operating System)をライセンスし、 1981年7月27日に5万ドルで全権利を買い取る。 これは 1981年8月12日、 PC DOS 1.0 として IBM PC と共に出荷された。
この契約の鍵は、 Microsoft が同じソフトウェアを MS-DOS の名で他社にも売る権利を保持した点にある。 直後の Compaq などの互換機ブームが、 IBM ではなく Microsoft を OS 市場の覇者にしたのは、 まさにこの一点の交渉によるものだった。 ゲイツの戦略眼を示す典型例として、 ビジネス史で繰り返し論じられる場面である。
Windows と Office(1985年-)
Windows 1.0 は1985年に出荷された。 当初は MS-DOS の上に被せた GUI シェルにすぎなかったが、 1990年の Windows 3.0、 1995年の Windows 95 で爆発的に普及する。 並行して Office スイート(Word、 Excel、 PowerPoint)が、 自社プラットフォーム上の優位を利して Lotus 1-2-3 と WordPerfect を駆逐した。
1980年代から90年代を通じてゲイツは、 Windows のインターフェース仕様を第三者より先に Office 側へ流すことで構造的優位を保った、 と繰り返し追及された ── 独占禁止法訴訟では宣誓の上で。
米国対 Microsoft 独占禁止法訴訟(1998-2001年)
1998年5月、 米国司法省と20の州司法長官が Microsoft をシャーマン反トラスト法違反で提訴した。 焦点は、 Windows に Internet Explorer をバンドルして Netscape を競争市場から駆逐したか否かである。 連邦地裁の Thomas Penfield Jackson 判事は1999年11月に事実認定、 2000年4月に法律判断を出して独占の違法な維持を認定し、 同年6月に会社の二分割(OS 部門と応用ソフト部門)を命じた。
2001年6月、 控訴裁は分割命令を破棄し、 訴訟は和解に至る。 だがゲイツ本人の証言ビデオ ── 平易な単語の意味について検察官と長時間言い争う、 不機嫌で回避的な姿 ── は、 彼のパブリックイメージを長く損ねる結果になった。 2000年1月、 彼は CEO の座を Steve Ballmer に譲り、 最高ソフトウェアアーキテクト(CSA)に肩書を変更している。
受賞・栄誉
- 2005年 ── 名誉ナイト・コマンダー勲章(KBE、 英国)
- 2010年 ── Bower Award for Business Leadership(フランクリン研究所)
- 2016年 ── 米国大統領自由勲章(オバマ大統領より)
- 2017年 ── レジオン・ドヌール勲章コマンドゥール(4月21日、 エリゼ宮でオランド大統領より Melinda Gates と共に受章)
ACM チューリング賞、 ノーベル賞は受賞していない。
2014年に会長、 2020年に取締役を退く
ゲイツは2014年に Microsoft 取締役会長を退任、 2020年には取締役そのものからも退いた。 以降は Bill & Melinda Gates Foundation と関連の投資会社 Cascade Investment、 そして個人著作(Gates Notes ブログ、 2022年の『How to Prevent the Next Pandemic』、 2025年の自伝『Source Code』など)に時間を割いている。
2021年に Melinda French Gates との離婚を発表(27年の婚姻関係)。 離婚協議の最中、 ジェフリー・エプスタイン ── 2008年にフロリダ州の未成年に関わる罪で有罪を認め、 2019年に連邦の性的人身売買容疑の公判を待つ間に獄中死した金融家 ── との複数回の面会・出張をめぐる報道、 および2000年に Microsoft 社内で別の女性社員と関係を持った件を取締役会が問題視していたことが公にされ、 ゲイツの公共的なイメージは更に傷ついた。 ゲイツ本人は不適切な行為を概ね否定しているが、 Melinda は離婚理由の一つにエプスタイン関連の問題を挙げている。
Gates Foundation の前倒し閉鎖(2025年5月発表)
2025年5月、 財団25周年の節目に、 ゲイツは Bill & Melinda Gates Foundation を2045年12月31日に閉鎖すると発表した。 今後20年間に約2,000億ドル ── 市況次第だが、 残る個人資産のほぼ全て ── を投じる計画である。 当初の財団憲章ではゲイツ死後20年が閉鎖期限とされていたが、 これを大幅に前倒しした形である。
発表文でゲイツはこう書いている ── 「解決すべき緊急の問題があまりに多く、 人々を助けるのに使えるはずの資源を私が抱え続けているわけにはいかない」(原文は英語)。 2025年6月2日、 アディスアベバのアフリカ連合本部(Nelson Mandela Hall)での演説では、 この2,000億ドルの過半をアフリカの保健と開発に振り向けると述べた ── 「私は先ごろ、 自分の富を今後20年で手放すと約束した。 その資金の過半は、 ここアフリカで皆さんが直面する課題への取り組みを助けるために使われる」(原文は英語)。 相手として選ぶのは、 自国民の健康と福祉を優先する政府だ、 とも付け加えている。
財団の優先テーマは依然として、 ポリオの根絶(野生株の常在国は現在アフガニスタンとパキスタンの2か国のみ)、 結核・マラリア・HIV、 そして気候適応農業である。 GAVI、 Global Fund、 CEPI への巨額拠出も継続している。
OS を握り、 ハードは他社に任せる第三の型
ゲイツが体現したのは、 「OS とアプリケーションを同じ会社が握り、 ハードウェアは商品化された他社に任せる」 という、 Apple とも IBM とも異なる第三のビジネスモデルである。 これが20世紀末の PC エコシステムを規定し、 その遺産は今も Microsoft Azure と Microsoft 365 の収益構造に貫流している。
慈善活動家としては、 Gates Foundation は史上最大規模の私的助成機関であり、 GAVI(ワクチン同盟)、 ポリオ根絶、 マラリア対策など公衆衛生分野で、 WHO や World Bank に比肩する影響力を持つに至った。 同時に、 私的個人が公衆衛生政策の優先順位を実質的に決められるという構造そのものへの批判 ── 民主的正統性の欠如、 知財で保護された介入への偏り、 農業種子産業との近さ ── も継続して投げかけられている。
ゲイツ自身は批判をある程度受け入れつつ、 「私的資金で実証された介入を、 後で公的機関が大規模化する」 というモデルを擁護し続けている。 2045年に財団が閉じる時点で、 そのモデルがどう評価されるかは未だ開かれた問いである。
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