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Compaq
1982年2月、Texas Instruments 出身の Rod Canion・Jim Harris・Bill Murto がテキサス州ヒューストンで創業。IBM PC の BIOS をクリーンルーム方式で書き直し、100% 互換の Compaq Portable を1983年3月に出荷した。1983年に53,000台・売上1億1,100万ドルを記録し、1986年には当時最年少で Fortune 500 に入る。同年の Deskpro 386 は Intel 80386 を IBM より先に載せ、互換機メーカーが標準を先導しうることを示した。1998年に Digital Equipment Corporation を約96億ドルで買収。2001年9月に Hewlett-Packard との合併が発表され、2002年5月3日に完了して法人として消滅した。ブランドは2013年に北米・欧州で終了している。

組織情報
- 設立
- 1982
- 解散
- 2002
- 存続
- 20 年
- 関連事象
- 01
- 名称
- ENCompaq Computer CorporationJACompaq
Compaq Computer Corporation は、 1982年2月にテキサス州ヒューストンで創業された計算機メーカーである。 創業者は Texas Instruments 出身の Rod Canion・Jim Harris・Bill Murto の3人。 IBM Personal Computer と完全に互換な機械を、 IBM の著作物を写さずに作るという一点に会社の全体重を賭け、 それに成功したことで PC 互換機という産業そのものを開いた会社である。 2002年5月3日、 Hewlett-Packard との合併により法人としては消滅した。
沿革 / History
互換の証明(1982〜1983年)。 IBM は PC の回路設計と BIOS のソースリストを技術参考資料として公開していたが、 公開は複製の許可ではない。 リストは著作権で保護されており、 写せば侵害になる。 Compaq が取った手順が、 のちにクリーンルーム方式と呼ばれるものである ── IBM のリストを読んだ技術者が各機能呼び出しと割り込みの仕様書を書き、 法務がそれを検査し、 IBM のコードに一度も触れていない別チームが仕様書だけを頼りに実装する。
成果物の Compaq Portable は1982年11月に発表され、 1983年3月から2,995ドルで出荷された。 ブラウン管と着脱式キーボードを取っ手つきの筐体に収めた、 重い「可搬型」である。 売り文句は携帯性ではなく互換性だった ── IBM PC 向けに書かれたソフトウェアがそのまま動く。 1983年、 創業後初のフル年度で53,000台・売上1億1,100万ドル。 当時の米国企業の初年度売上記録である。
標準を追う側から、 作る側へ(1986〜1989年)。 1986年、 Compaq は売上3億2,900万ドルで史上最年少の Fortune 500 入りを果たす。 同じ年の Deskpro 386 は、 Intel 80386 を搭載した最初の PC だった ── IBM より先である。 互換機メーカーが標準の後を追うのではなく、 先を行きうることをこの機械が示した。 1987年に IBM が独自の Micro Channel Architecture を持ち出して主導権を取り戻そうとしたとき、 Compaq は他8社と「Gang of Nine」を組み、 対抗規格 EISA をまとめた。 IBM が公開した設計から生まれた産業が、 IBM の閉じた設計を拒否した瞬間である。
巨大化と終焉(1998〜2002年)。 1998年、 Compaq は Digital Equipment Corporation を約96億ドルで買収し、 IBM に次ぐ世界第2位の計算機メーカーになった。 しかし PC は利益の薄い商品になっており、 Dell の直販モデルが価格で削ってきた。 2001年9月、 Hewlett-Packard との合併が発表される。 2002年1月に欧州委員会の承認、 3月に HP 株主総会での採決を経て、 5月3日に完了した。 HP の2002会計年度 Form 10-K は「2002年5月3日、 当社は Compaq の発行済株式のすべてを取得した」と記し、 取得価額の総額をおよそ 242億ドル としている。 Compaq ブランドは HP の廉価ラインとして残り、 2013年に北米・欧州で終了した。
意義 / Significance
Compaq が発明したのは製品ではなく経路である。 「互換機は作れる、 しかも合法的に作れる」ことが一社によって実証されると、 それは技術的偉業ではなく購買可能な部品になった。 Phoenix Technologies のような独立系ベンダーが互換 BIOS を誰にでも売り始め、 参入障壁は資本と流通だけになる。 その結果として起きたことは二つある ── PC の価格が下がり続けたことと、 IBM が自ら作った市場のシェアを失ったことである。
同時に、 Compaq 自身もその論理から逃れられなかった。 互換性が誰にでも買えるものになった以上、 互換機メーカーもまた交換可能になる。 IBM の PC 事業を20年遅れで襲った圧力が、 Compaq には10年で届いた。
関連事項 / Related
- IBM Personal Computer 5150(1981年) ── 公開された技術参考資料と、 唯一閉じていた BIOS
- MS-DOS 1.0(1981年) ── 非独占ライセンスが互換機に OS を供給した
関連する出来事
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