T1#consumer

Windows 95 発売

出典Microsoft (Wikimedia Commons) · Public domain (logo, below threshold of originality) · Commons で見る

メタデータ

日付
年代
1990s
Tier
T1
出典数
09
関連項目
03
Tags
#consumer

1995年8月24日の午前0時。深夜の販売開始のために、北米・欧州の家電量販店の前には列ができていた。日本語版の発売は3か月遅れの11月23日で、その深夜には秋葉原に数万人が集まり、風船と仮装の混じる祭りのような騒ぎになったと UPI は伝えている。

PC が家電になった瞬間として、しばしば語られる夜である。

「Chicago」は4つのプロジェクトだった

Windows 95 の開発コードネームは Chicago だが、この名が付いたのは後からである。Raymond Chen の回想によれば、主要コンポーネントはすでにそれぞれ別のプロジェクトとして走っており、「誰かがそれらを1つの巨大プロジェクトにまとめると決めた時点で」個別のコードネームを持っていた。

コンポーネントコードネーム
16ビット DOS カーネルJaguar
32ビット DOS カーネルCougar
Win32 カーネルPanther
ユーザインタフェースStimpy

獰猛な猫が3匹と、アニメの猫が1匹。出荷された製品の形は、この出自から直接説明がつく。Windows 95 は「32ビット OS に互換レイヤを足したもの」ではなく併合であり、以下に挙げる設計上の妥協はいずれも、その継ぎ目である。

32ビット化は、アプリケーションにとって何だったのか

技術的には、Windows 95 は Windows 3.1 と Windows NT の中間地点だった。プロテクトモードでの 32 bit 処理、長いファイル名、Plug and Play によるハードウェア自動認識。Microsoft 自身のアーキテクチャ文書は、その到達点を「MS-DOS の別コピーを不要にする、完全に統合された32ビットのプロテクトモード OS」と要約している。

アプリケーションから見ると、3つのことが同時に変わった。

アドレッシング。 Windows 3.1 のアプリケーションはセグメント方式の16ビットメモリに住んでいた。アドレスはセグメントとオフセットの組であり、1セグメントは最大64KB。大きなデータ構造を扱うたびにこの境界が制約として効いた。Windows 95 は各プロセスに「2GB の固有な仮想アドレス空間」を与えた ── 32ビットアドレスでアクセスするフラットで線形な空間で、デマンドページングによる仮想記憶の上に乗る。下位2GBがアプリケーション専有、上位2GBが共有。セグメント計算はプログラマの語彙から消えた。

スケジューリング。 Windows 3.1 のマルチタスクは協調的で、OS は「アプリケーションに対し、定期的にメッセージキューを確認し、他の実行中アプリケーションに制御を返すことを要求」していた。確認を怠るプログラムは、Microsoft 自身の言い方で CPU を「独占(hog)」する。Windows 95 は Win32 アプリケーションをプリエンプティブにスケジュールし、スレッドを与えた ── Win32 プロセスはユーザが入力している裏で別スレッドがページ組みを進められる。Win16 アプリケーションでは、同等のことをやりたければ自前で仕組みを作るしかなかった。

継ぎ目。 以上はすべて Win32 コードにのみ当てはまる。Windows 95 のシステム VM は1つだけで、そこにシステムプロセスと、Win16・Win32 の両方のアプリケーションが同居する。個別の VM を与えられるのは MS-DOS アプリケーションだけである。そして「互換性上の理由から、Windows 95 は Win16 ベースのアプリケーションを協調的にマルチタスクする」。つまり旧資産を1本走らせれば、その隣人たちは 3.1 の水準の安定性に戻った。さらに、16ビット値と32ビット値を相互変換するカーネルの翻訳層 ── サンキング(thunking) ── は、32ビットのシステムライブラリ自身の経路上にも置かれていた。

長いファイル名は併合の別の部分から来ている。階層化されたインストール可能ファイルシステム(VFAT、CDFS、ネットワークリダイレクタ)が、MS-DOS の 8.3 形式に代えて「最大255文字」の指定を可能にした。

だが、人々を列に並ばせたのは、これらの進歩ではなかった。それは、Microsoft が初めて Windows を「コンピュータマニア以外の人にも面白そうに見える形」で売ったことだった。

  • 青空と雲 ── 起動画面と箱、広告に一貫して使われたブランドイメージ(デスクトップの既定の背景は無地のティールで、雲の壁紙は同梱の選択肢のひとつだった)
  • 左下のスタートメニューと、その横のタスクバー
  • 起動音(Brian Eno が作曲)。Microsoft の発注書は「3.25秒」を指定していたが、上がってきたのは約6秒のアンビエントだった
  • ゴミ箱、マイコンピュータ、ネットワークコンピュータの3つのアイコン

これらは、後の20年、Windows がいかに変わろうとも「Windows らしさ」の核心として残り続けた。

「Start Me Up」

Microsoft は Windows 95 の広告に Rolling Stones の "Start Me Up"(1981年)を起用した。使用料は長く $800万〜$1400万と報じられてきたが、当時の COO Bob Herbold は2011年になって「約300万ドル」だったと述べている。数字そのものより、桁が一人歩きしたこと自体が、この launch の熱量を示している。

「スタート」ボタンを押すと OS が始まる ── というメッセージを、いきなり世界的なロックバンドの楽曲とともに展開した。ソフトウェアの発売を、車や香水と同じ広告の作法で売り出した。

Internet Explorer

Windows 95 のパッケージ本体には Internet Explorer は入っていなかった。IE 1.0 は同日発売の有料アドオン Microsoft Plus! に同梱される形で登場した ── 別売りではあるが、発売が遅れたわけではない。

1年後の Windows 95 OSR2(1996年、OEM 向け)では IE 3.0 が標準搭載され、その先には Internet Explorer をめぐる Microsoft と Netscape の対立、そして1998年5月18日に米司法省と20州の司法長官が起こした反トラスト訴訟が控えていた。Windows 95 は、「OS と Web ブラウザの関係」をめぐる十年がかりの法廷闘争の出発点でもあった。

700万本

Microsoft 自身の集計では、Windows 95 は発売から5週間で700万本を売った。発売1周年の1996年8月には、同社は「全世界で4000万本が出荷された」と発表している。

同じ発表でより興味深いのは、製品ではなく生態系を記述している二次的な数字のほうだ。

  • 400社超の PC メーカーがライセンスして出荷しており、Intel 系 PC の上位100社はすべて含まれる
  • 組立業者まで含めると 20,000社超が出荷
  • Plug and Play 対応機器は 3,000種超
  • Windows 95 上で動作するソフトウェアは 4,406本(Computer Select 調べ)
  • IDC は1996年出荷 PC の 67% が Windows 95 を搭載すると予測し、インストールベースを同年7,000万、1997年に1億3,200万と見込んだ

パッケージソフトウェア単体として、それまでに例のない販売規模だった。Bill Gates は1995年から2007年まで、13年連続で『Forbes』世界長者番付の1位を維持することになる。

その出発点が、深夜の店頭に並んだ列だった。

出典

  1. 一次資料Launch of Windows 95 — Microsoft News (company announcement archive)

    取得日: 2026-08-08

  2. 三次資料Windows 95 — Wikipedia

    取得日: 2026-08-08

最終更新:

共有