詳述 · 17件の出来事
オープンソースの歴史
1960年代
この年表の共有の歴史は、 売ることを許されなかった一つの OS から始まる。 1969年に Bell 研究所が Multics から手を引いたあと、 新しい計算機を求める提案は通らず、 Thompson は使われていない PDP-7 の上でファイルシステム、 シェル、 エディタ、 アセンブラを書き始めた。 この実験を共有の系譜に乗せたのは技術ではなく法である。 1956年の同意判決で通信以外の新規事業を禁じられた AT&T は UNIX を売れず、 1970年代にはソース付きで大学へ送り出すことになる。
1970年代
1970年代、 ソースごと届いた UNIX は、 受け取った側が手を入れて送り返すものになった。 バークレーには1974年に第4版のテープが届き、 1975年秋には Thompson がサバティカルで訪れて第6版を立ち上げる。 院生の Joy と Haley は Pascal 処理系を磨き、 ex エディタを作った。 Joy はそれを 1BSD として約30本、 無償で郵送する。 受け取った側も修正してテープを返し、 双方向の流れが非公式に動き出した。 この系譜は1980年代に TCP/IP とソケットを載せる。
Poul-Henning Kamp (Wikimedia Commons) · Beerware License · Commons ↗ カリフォルニア大学バークレー校の大学院生 Bill Joy が 1977 年から編集していた「First Berkeley Software Distribution(1BSD)」が配布された。 AT&T Bell 研究所の UNIX 第6版に載せる追加物であって、 単独の OS ではない。 中身は Pascal 処理系と、 その中に紛れ込ませた ex エディタで、 出た本数は 1 年かけて約30本。 ここから 2BSD の vi と C シェル、 4.2BSD の TCP/IP とソケット、 SunOS、 FreeBSD / NetBSD / OpenBSD、 macOS の基盤に至る半世紀の系譜が始まる。 1992-1994 年の USL v. BSDi 訴訟は和解で決着し、 「コードを再配布する権利」がライセンスで担保されるという現代 OSS の前提を形作った。
1980年代
1980年代、 共有は慣習から契約の条文へ移された。 MIT AI 研究所の仲間が企業に引き抜かれ、 プリンタ制御プログラムのソースを NDA を盾に拒まれた Stallman は、 1983年、 UNIX 互換のシステムを書いて無償で配ると Usenet に投稿する。 1985年に FSF を設け、 1989年の GPLv1 で、 再配布に同じ条件を引き継がせる縛りをライセンスに書き込んだ。 BSD や MIT の寛容な系統とは別の道である。 道具はそろうが、 動くカーネルを欠いたまま1990年代に入る。

Ruben Rodriguez (Wikimedia Commons) · CC BY 4.0 · Commons ↗ MIT 人工知能研究所の Richard Stallman が、 Usenet ニュースグループ net.unix-wizards と net.usoft に「new UNIX implementation」という件名で投稿し、 「Free Unix!」の一行から始まる本文で、 「GNU(GNU's Not Unix)」と呼ぶ UNIX 互換システムをゼロから書き、 自由に再配布できる形で公開すると宣言した。 実際の着手は 1984年1月、 GNU マニフェストは 1985年、 Free Software Foundation(FSF) 設立も 1985年、 1989年 GPLv1、 1991年 GPLv2 ── Linux カーネルが 1992年にこの GPL を採用したことで、 GNU と Linux が結合し、 現代の OSS 経済圏が成立する。 「フリーソフトウェア」という思想と法的フレームワークの起点。
1990年代
1990年代、 共有コードが Web の土台に入り、 「無償」と「ソース公開」の違いが見えてきた。 Linux は1992年に GPL へ移り、 GNU の道具と組み合わさる。 Mosaic は非商用なら無償だったが、 オープンソースではない。 停滞した NCSA HTTPd を管理者たちが引き継いだ Apache は、 1996年に首位の Web サーバとなる。 1998年、 ブラウザ戦争に敗れた Netscape が主力製品のソースを開いた。 カーネル開発の道具は次の十年に作り直される。
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Apache Software Foundation (Wikimedia Commons) · Apache License 2.0 · Commons ↗ NCSA HTTPd の開発が停滞したことを受けて、 Brian Behlendorf ら8人の Web 管理者が独立して維持・拡張を続け、 1995年4月に Apache HTTP Server 0.6.2 を公開した。 名前の由来は NCSA HTTPd へのパッチ集 ── 「a patchy server」。 1996年には世界最大シェアの Web サーバとなり、 2019年に Nginx に抜かれるまで20年以上首位を守り続けた。 1999年に Apache Software Foundation 設立、 Apache License 2.0(2004年)は現代 OSS の最も広く採用される寛容ライセンスの一つに。
Mozilla Foundation (Wikimedia Commons) · CC BY 3.0 / MPL 2.0 · Commons ↗ Internet Explorer に追い込まれた Netscape Communications が、 次世代 Communicator のソースコード公開と現行クライアントの即日無償化を発表。 2月23日に mozilla.org がプロジェクトとして立ち上がり、 3月31日に Netscape Public License 1.0(新規ファイルは MPL 1.0) でコードが公開された。 商用主力製品をオープンソース化する初の本格的事例で、 Eric Raymond の論文「伽藍とバザール」が経営判断に影響を与えたと Netscape の CTO 自身が認めている。 ここから Mozilla Suite、 2002年 Mozilla 1.0、 2004年 Firefox 1.0、 そして現在の Mozilla Foundation / Corporation 構造に至る系譜が始まる。
2000年代
2000年代の主役は個々のプログラムではなく、 コードを持ち寄るための道具だった。 Linux カーネルの開発が頼っていた BitKeeper の無償版が止まると、 Torvalds は分散型のバージョン管理を自ら書き、 着手から13日でカーネル本体を取り込む。 3年後に公開された GitHub は Git をブラウザから扱えるようにし、 Fork や Pull Request で他人の変更を受け入れる手順を日常の操作にした。 共同作業が一つの商用サービスに集まると、 その持ち主は誰かが次の十年の問いになる。
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Jason Long (Wikimedia Commons) · CC BY 3.0 · Commons ↗ Linux カーネル開発で使われていた BitKeeper の無償版提供停止を受けて、 Linus Torvalds が独自の分散バージョン管理システムを設計・実装。 2005年4月3日に開発開始、 7日に最初の self-hosting コミット、 4月16日には Linux カーネル本体(2.6.12-rc2) が Git リポジトリに取り込まれた ── 13日、 Torvalds 自身の言葉では「about 10 days」。 SHA-1 ハッシュによる内容アドレッシング、 軽量ブランチ、 分散リポジトリという設計が標準となり、 GitHub・GitLab・Bitbucket の基盤、 そして現代ソフトウェア開発の不可欠インフラとなった。
GitHub (Wikimedia Commons) · CC BY 4.0 · Commons ↗ Tom Preston-Werner、 Chris Wanstrath、 PJ Hyett、 Scott Chacon の4人が、 2008年4月10日に GitHub を一般公開(ベータは2008年2月から)。 Git のコマンドラインの難しさを Web UI で隠蔽し、 Pull Request・Fork・Issue・Star というソーシャル機能を被せたことで、 OSS の開発・発見・採用が爆発的に加速。 2018年に Microsoft が75億ドルで買収(既存イベント github-acquisition-2018)、 2024年末には1億5000万人の開発者・5億1800万プロジェクトを抱え、 現代ソフトウェア開発の事実上の公共インフラとなった。
2010年代
この年表の2010年代は、 共同作業の集まる場所の持ち主が替わった一件だけだ。 2018年6月、 Microsoft が自社株75億ドル相当で GitHub を買うと発表すると、 OSS コミュニティは強く反発した。 買い手は、 2001年に当時の CEO が Linux を知的財産のがんと呼んだ会社だ。 GitHub は Nat Friedman を CEO に独立運営を続け、 2021年には Copilot を試験公開する。 GPL のコードを AI の学習に使えるかという議論は今も続く。
2020年代
2020年代、 30年にわたり C とアセンブリ以外を使わずにきた Linux カーネルが、 二つ目の言語を受け入れた。 理由はメモリ安全性で、 狙いは既存コードの書き換えではなく新しく書くドライバである。 6.1 が受け入れたのは土台のみで、 6.8 で参照実装のドライバが一本入り、 GPU 向けは 6.15 からだった。 その間に DMA をめぐる対立が起き、 Torvalds の裁定を経ても複数の開発者が去った。 2025年末に Rust は試行扱いを外れたが、 ソース行数では1%に満たない。 大きな共同体が不文律を改める代償の記録である。
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