1983年9月27日T1
GNU プロジェクト発足 ── Stallman の自由ソフトウェア宣言
MIT 人工知能研究所の Richard Stallman が、 Usenet ニュースグループ net.unix-wizards と net.usoft に「Free Unix!」と題する投稿を行い、 「GNU(GNU's Not Unix)」と呼ぶ UNIX 互換システムをゼロから書き、 自由に再配布できる形で公開すると宣言した。 1985年に Free Software Foundation(FSF) 設立、 1989年 GPLv1、 1991年 GPLv2 ── Linux カーネルがこの GPLv2 を採用したことで、 GNU と Linux が結合し、 現代の OSS 経済圏が成立する。 「フリーソフトウェア」という思想と法的フレームワークの起点。

メタデータ
- 日付
- 1983年9月27日
- 年代
- 1980s
- Tier
- T1
- 参照年表
- オープンソースの歴史
- 出典数
- 04
- 関連項目
- 00
GNU プロジェクト発足 ── Stallman の自由ソフトウェア宣言
1983年9月27日、 MIT 人工知能研究所のハッカー Richard Stallman が、 Usenet のニュースグループ net.unix-wizards と net.usoft に「Free Unix!」と題する投稿を流した。
Starting this Thanksgiving I am going to write a complete Unix-compatible software system called GNU (for Gnu's Not Unix), and give it away free to everyone who can use it. (この感謝祭から、 私は GNU と呼ぶ完全な UNIX 互換ソフトウェアシステムをゼロから書き始める。 そして使える全ての人に自由に与える。)
これが GNU プロジェクトの発足宣言である。 「自由に再配布・改変できるソフトウェア」を、 思想ではなく実装と法的フレームワークの両輪で社会に提示するという、 約40年にわたる運動の起点となった。
なぜ Stallman は怒っていたか
1970年代の MIT AI 研は、 ハッカー文化の象徴だった。 PDP-10 を共有し、 ソースコードを互いに読み書きし、 改造を共有する ── 「コードは知識の一形態であり、 知識は共有されるべきもの」という前提が成立していた。
それを Stallman は、 二つの出来事で破壊された。
1. Symbolics 社の設立(1979-1982年): MIT AI 研のメンバーが Lisp Machine の商用化のため独立し、 内部コードを企業秘密として持ち出した。 共有されていたコードの流れが止まり、 ハッカーコミュニティが分裂した。
2. プリンタドライバ事件: Stallman が Xerox の新型プリンタのドライバを改造しようとしたところ、 ソースコードが NDA(秘密保持契約)付きでしか提供されなかった。 「目の前のバグを直す権利」が、 企業の所有権という法的構築物によって奪われている ── これが Stallman を決定的に動かした。
1983年、 Stallman は MIT を辞めて GNU プロジェクトに専念する。 大学を辞めたのは、 「MIT が GNU のコードに知的所有権を主張する余地を残さない」ためでもあった。
GNU マニフェスト(1985年)
1985年3月、 Stallman は雑誌 Dr. Dobb's Journal に GNU マニフェストを発表する。 ここで定式化された 「フリーソフトウェアの4つの自由」:
- 実行: どんな目的にも使う自由
- 研究: ソースコードを読み、 動作を理解する自由
- 再配布: コピーを他人に渡す自由
- 改変・再配布: 改造したものを再配布する自由
ここで言う「フリー」は 「自由(freedom)」であって「無料(free of charge)」ではない。 「free as in speech, not as in beer」 ── Stallman が繰り返し強調する区別である。
同年、 Free Software Foundation(FSF) を設立。 GNU プロジェクトの法的・財政的な器となる。
GPL ── ライセンスとしての自由
思想だけでは「企業が GNU のコードを取り込み、 改造したものを閉じて配布する」事態を防げない。 Stallman は法的なメカニズムを設計した。
コピーレフト(copyleft): 著作権法を反転させた発想。 「再配布する場合は、 同じ条件で再配布せねばならない」という条項をライセンスに組み込むことで、 派生物にも自由を法的に強制する。
- GPLv1(1989年): 最初の統一版 GNU General Public License
- GPLv2(1991年): バイナリ配布時にソース提供を必須化、 特許条項の整備
- GPLv3(2007年): Tivoization 対策(ハードウェアロックでの自由阻害への対応)、 特許条項のさらなる強化
GPL は「リーシブル(伝染的)ライセンス」と呼ばれる。 GPL コードを取り込んだ派生物は GPL を継承せねばならない ── この性質が、 オープンな知的共有財を法的に守る盾となった。
GNU/Linux ── 偶然の融合
1990年代初頭、 GNU プロジェクトはコンパイラ(GCC)、 エディタ(Emacs)、 シェル(bash)、 ユーティリティ(coreutils)など UNIX 環境のほぼ全てを完成させていた。 唯一欠けていたのが カーネル。 GNU 自身の Hurd は設計が複雑で完成しなかった。
そこに1991年、 Linus Torvalds がフィンランドから Linux カーネルを公開する。 翌1992年、 Torvalds は Linux カーネルを GPLv2 で配布することを決断。 この瞬間、 GNU の userland と Linux のカーネルが融合し、 GNU/Linux が現実的なフリーオペレーティングシステムとして成立した。
Stallman 自身は「Linux ではなく GNU/Linux と呼ぶべきだ」と現在も主張している。 業界の大多数が単に「Linux」と呼ぶことに対する不満はよく知られているが、 技術的事実として、 多くの Linux ディストリビューションのバイナリの大半は GNU プロジェクト由来のコードである。
現代への接続
40年後の地形:
- クラウドインフラ: AWS / Azure / GCP の仮想マシンの大半は Linux ── つまり GNU/Linux
- Android: 内部は Linux カーネル + GPL ライセンスで配布される多数の GPL コンポーネント
- コンテナ・Kubernetes: 全てが GPL 系コードの上に成立
- TiVo / 組込み機器: GPLv3 が組まれた直接の理由(Tivoization 対策)
- AI 訓練データ: GPL ライセンスコードは「学習対象」として現在も議論の渦中
GNU プロジェクトが提示した「コードの自由をライセンスで担保する」という発明は、 後の Apache License、 BSD License、 MIT License、 そして Creative Commons まで、 全ての OSS ライセンスの祖型となった。 Stallman の1983年の Usenet 投稿は、 単なる個人プロジェクトの発表ではなく、 コードという公共財をめぐる法的・経済的構造の最初の設計図だった。