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Netscape ソースコード公開 ── mozilla.org 設立

出典Mozilla Foundation (Wikimedia Commons) · CC BY 3.0 / MPL 2.0 · Commons で見る

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日付
年代
1990s
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T1
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1998年1月22日、 カリフォルニア州マウンテンビュー発のプレスリリースで Netscape Communications が2つのことを同時に発表した。 現行の Navigator / Communicator Standard Edition 4.0 を即日無償化すること、 そして次世代の Communicator 5.0 のソースコードを公開すること ── 後者は「第1四半期末までの最初の開発者向けリリースから」と予告された。 当時、 商用ソフトウェア業界では前例のない決断だった。

CEO の Jim Barksdale はこう述べている ── 「By giving away the source code for future versions, we can ignite the creative energies of the entire Net community and fuel unprecedented levels of innovation in the browser market」。 リリースは当時のクライアント installed base を「6800万超」とし、 ライセンスについては「building on the heritage of the GNU Public License (GPL)」と書いていた。

mozilla.org はその1か月後、 2月23日にプロジェクトとして立ち上がる。 実際のソース公開は3月31日 ── ライセンスは Netscape Public License(NPL) 1.0 で、 新規ファイル向けには Mitchell Baker が起草した Mozilla Public License(MPL) 1.0 が併置された。 NPL には「Netscape だけがこのコードを再びプロプライエタリに転用できる」条項があり、 コミュニティの反発を招いた末の二本立てである。 恐竜頭のロゴは、 Jamie Zawinski が1998年3月にアーティスト Shepard Fairey へ発注したもの ── 後の20年以上にわたって Mozilla の象徴となる。

この決断から、 Mozilla Suite、 Mozilla 1.0(2002年)、 Firefox 1.0(2004年)、 Thunderbird、 そして現在の Mozilla Foundation / Corporation 構造に至る系譜が始まる。

なぜ商用主力をオープンにしたか

1995年から1996年にかけての Netscape は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。 Navigator のブラウザシェアは1990年代半ばに9割を超えていたとされる。 1995年8月9日の IPO は公開価格28ドル、 初値の高値75ドル、 初日終値58.25ドル ── ドットコム時代の象徴的出来事。

しかし1995年12月、 Microsoft が Internet Explorer に全社を賭ける方針を打ち出す。 1997年9月に IE 4.0、 1999年3月に IE 5.0。 Windows へのバンドルで無償配布されたそれに対し、 ブラウザ単体を販売していた Netscape は価格競争へ引きずり込まれ、 収益構造が崩れた。 1998年1月のプレスリリース自身が数字を挙げている ── クライアント単体売上は1996年第4四半期に全社収益の約45%だったものが、 1997年第4四半期には約13%まで縮んでいた。

判断の下地を作ったのは、 政府向け営業部門の技術マネージャだった Frank Hecker が1997年11月11日付で書いた企画書 "Netscape Source Code as Netscape Product" である。 Hecker はこれを Marc Andreessen に送り、 Andreessen が経営層へ回覧した。 論旨は単純である ── Microsoft と同じ人員は用意できない。 ならば社外の開発者を製品の一部にするしかない。

Eric Raymond「伽藍とバザール」の影響

Eric S. Raymond が1997年5月21日に Linux Kongress(ドイツ・ヴュルツブルク) で初めて公式に発表した論文 "The Cathedral and the Bazaar"(伽藍とバザール) が、 経営判断に影響を与えたという証言が残っている。

論文の核心:

  • 伽藍モデル: 少数の専門家が閉じた環境で計画的に作る(伝統的な商用ソフト)
  • バザールモデル: 大量の参加者が分散して並列に作る(Linux 型)
  • "Given enough eyeballs, all bugs are shallow"(十分な目があれば全てのバグは浅い)

順序を取り違えやすいので明記しておく。 Raymond は Netscape の決定を発表当日まで知らされていない。 論文の Epilog で彼自身がそう書いている ── 「I had had no clue this was going to happen before the day of the announcement」。 発表直後にメールを送ってきたのは Netscape の EVP 兼 CTO、 Eric Hahn だった ── 「On behalf of everyone at Netscape, I want to thank you for helping us get to this point in the first place. Your thinking and writings were fundamental inspirations to our decision」。 Raymond が招かれてシリコンバレーへ飛び、 幹部・技術者とソース公開戦略とライセンスを一緒に設計したのは、 その翌週の1998年2月4日である。

論文はその後 The Cathedral and the Bazaar(1999年) として書籍化、 OSS 運動の哲学的バイブルとして広く読まれる。 「OSS が商用ソフトウェアより優れた開発モデルになり得る」という主張が、 Netscape の決断によって経営判断レベルで正当化された瞬間だった。

Mozilla Suite から Firefox へ

公開された Communicator のソースは、 実は当初の予想ほど簡単には扱えなかった。

  • ライセンスの都合で公開できない部分(Java、 暗号関連) を抜いた状態のコードベース
  • ビルドに商用 Motif ライブラリのライセンスを要したこと ── Raymond は後年、 これを「潜在的な貢献者がすぐ動かして見られるものを同梱する」というバザール原則の違反として名指しした
  • 旧レイアウトエンジンの限界

1998年10月26日から28日にかけて mozilla.org はロードマップを更新し、 旧 Communicator コードの全面的な書き直しと、 社内で NGLayout と呼ばれていた新レンダリングエンジン Gecko への移行を宣言する。 プレビューは12月7日。 そして Mozilla 1.0 の正式リリースは2002年6月5日 ── ソース公開から4年2か月後だった。 Raymond の総括は辛い。 「the Mozilla group didn't ship a production-quality browser for two and a half years after the project launch」。 1999年には中心人物の一人 Jamie Zawinski が経営を批判して離脱し、 「Open source is not magic pixie dust」という言葉を残している。

しかし Mozilla Suite はモノリシックで重い。 Dave Hyatt と Blake Ross が「ブラウザに特化した軽量版」として Phoenix を立ち上げ、 0.1 が2002年9月23日に出る。 Phoenix Technologies の商標主張で Firebird へ、 さらに Firebird データベースプロジェクトの抗議を受けて2004年2月9日に Firefox へ改名。 2004年11月9日に Firefox 1.0 リリース。

Firefox は IE 一極時代に風穴を開けた。 StatCounter の集計では2009年11月に 32.21% のピークに達し、 タブブラウジング、 拡張機能、 Web 標準準拠 ── 後の Chrome に引き継がれる現代ブラウザの基本要素を確立した。

Mozilla Foundation / Corporation 構造

2003年7月、 AOL(旧 Netscape の親会社) が Netscape 部門を解散。 mozilla.org の運営を継続するため、 Mozilla Foundation が設立された(米国の501(c)(3)非営利法人)。

しかし Foundation 単体では商業契約(特に検索エンジンとのデフォルト契約) を扱いにくい。 そこで2005年8月、 100%子会社として Mozilla Corporation(営利法人) を設立。 構造としては:

  • Mozilla Foundation(非営利): 全株式を保有、 ガバナンスと使命を担保
  • Mozilla Corporation(営利): Firefox 等の開発・運営、 Google 等との契約

この 「非営利持株会社 + 営利事業会社」のハイブリッド構造は、 2005年時点でほとんど前例がなかった。 後に OpenAI が非営利法人の下に営利子会社を置く形(2019年) を採るなど、 同型の構造は AI 分野にも現れる。 ただし Mozilla が直接の設計原型だったと示す資料はなく、 ここでは先行例として記録するにとどめる。

Mozilla Public License の遺伝子

MPL 1.0(1998年、 起草は Netscape の弁護士 Mitchell Baker) は、 GPL と BSD の中間を目指したライセンスだった:

  • ファイル単位のコピーレフト: GPL のように派生物全体ではなく、 改造したファイルのみ MPL 下に
  • 改造したファイルのソース公開は必須、 ただし他ファイルとリンクして独自製品にする際は閉じてよい

MPL 2.0(2012年1月3日公開) で GPL / LGPL / AGPL との併用が可能になり、 互換性問題が解消された。 Firefox・Thunderbird のほか、 LibreOffice、 Brave、 RabbitMQ など Mozilla 圏外のプロジェクトにも採用されている。

商業的には失敗した賭けの遺産

Netscape 1998 は、 単独で見れば商業的に成功した出来事ではない。 AOL による買収は1998年11月24日に42億ドル相当の株式交換で合意され、 1999年3月17日の完了時には AOL 株の上昇で約100億ドル相当になっていた。 AOL が Netscape Navigator の開発中止を告げたのは2007年12月28日、 サポート終了は2008年3月1日である。

しかし「商用主力製品をオープンソース化し、 コミュニティで再生する」という前例を作ったことの長期的影響は、 計り知れない。

  • Apache、 Linux に続く「企業発の OSS」の道筋を提示
  • 非営利財団が営利子会社を全額保有するガバナンス形態の先行例
  • Firefox が Chrome(2008年) の登場まで Web 標準の番人として機能
  • WebKit、 Chromium、 Servo(Rust 製) へと続くレンダリングエンジンの自由ライセンス系譜

追い詰められた末の賭けが、 結果的に Web を一企業のロックインから守る制度的装置となった。 mozilla.org の設立を境に、 OSS は思想運動から 多国籍企業との対抗装置 へと成熟した。

出典

  1. 一次資料The Cathedral and the Bazaar — Eric S. Raymond, 1997 / 1999

    取得日: 2026-08-03

  2. 一次資料Netscape Source Code as Netscape Product — Frank Hecker, Nov 11, 1997

    取得日: 2026-08-03

  3. 一次資料Timeline — MozillaWiki

    取得日: 2026-08-03

  4. 三次資料History of Mozilla Application Suite — Wikipedia

    取得日: 2026-08-03

  5. 三次資料Mozilla — Wikipedia

    取得日: 2026-08-03

  6. 三次資料Netscape — Wikipedia

    取得日: 2026-08-03

  7. 三次資料Mozilla Public License — Wikipedia

    取得日: 2026-08-03

  8. 三次資料Firefox — Wikipedia

    取得日: 2026-08-03

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