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Nokia 7650 発売 ── Symbian S60 が本格スマホ時代を開く

メタデータ
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- 年代
- 2000s
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- T1
- 参照年表
- 携帯電話・スマートフォンの歴史
- 出典数
- 07
- 関連項目
- 01
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2002年6月26日、 フィンランドの Nokia は Nokia 7650 と命名された端末を欧州市場で出荷した。 当時の Nokia は世界の携帯電話出荷台数の35%以上を占める絶対王者であり、 その王者が「スマートフォン」 と自称した最初の量産機がこの 7650 である。
発表そのものは半年以上前、 2001年11月19日のバルセロナである。 CEO の Jorma Ollila はこれを「その年で最も重要な発表」 と位置づけた。
スペックを並べると、 当時としては野心的だった。 縦スライド式の本体(閉じた状態で114×56×26mm、 154g)、 176×208 ピクセルのカラー TFT 液晶(4096 色)、 104 MHz の ARM9 系プロセッサ、 4 MB の RAM(ユーザ利用可能領域は 3.4 MB) と 16 MB の ROM、 GPRS(2.5G)データ通信、 そして VGA 解像度(0.3メガピクセル) の背面カメラ。 Nokia 初のカメラ付き携帯であり、 同社初の MMS 対応機でもあった。 当時の欧州小売価格は約600ユーロ。
しかし 7650 を歴史的に重要にしているのは、 ハードウェア仕様ではなく搭載 OS の方である。
Symbian と Series 60
Symbian OS は、 英国の Psion が開発した PDA 用 OS「EPOC」 を起源とし、 1998年に Nokia・Ericsson・Motorola・Psion が共同出資して設立した Symbian Ltd. に移管された。 マルチタスク、 プリエンプティブ スケジューリング、 メモリ保護、 サードパーティ製アプリの実行 ── これらを携帯電話のリソース制約下で動かす設計だった。
2001年、 Nokia は Symbian の上に「Series 60」(S60) と呼ばれるユーザインタフェース層を構築した。 5 方向キーで操作する標準 UI、 アプリのインストール/管理、 telephony API、 Bluetooth、 Java MIDP の実行環境。 これを他社にもライセンス供与し、 Sony Ericsson・サムスン・LG・パナソニックらが S60 端末を開発する基盤となる。
Nokia 7650 は、 この S60 プラットフォームを搭載した 世界最初の量産端末 である。 Symbian の歴史としては Ericsson R380(2000年) や Nokia 9210(2001年) が先行するが、 S60 という UI 標準とアプリ互換のエコシステムを成立させたのは 7650 だった。
Symbian 王国の確立
7650 の商業的成功は、 2002年第3四半期に Symbian を「欧州の手持ち機器市場」 でトップに押し上げた。 Palm OS と Windows CE を一気に追い越し、 以後数年間、 Symbian は「スマートフォン」 という用語そのものをほぼ独占する OS となる。
シェアのピークは、 実は iPhone より前 ── 2006年である。 この年 Symbian は世界のスマートフォン OS の7割前後を握った(集計機関により約67〜73%と幅がある)。 2007年でもなお6割強を保ち、 Nokia は単独で世界のスマホ販売の約半数を占めていた。
累計出荷が1億台に達したのは2006年11月。 2億5000万台に届くのはさらに先の2009年7月で、 台数そのものは Symbian のシェアが崩れ始めたあとも伸び続けた ── 市場全体がそれ以上の速さで膨らんでいた、 というだけのことである。 N シリーズ(マルチメディア端末)、 E シリーズ(ビジネス端末)、 そして Nokia N95(2007年) のような GPS・5メガピクセルカメラ・Wi-Fi 統合機が、 当時の「最先端スマートフォン」 を定義していた。
Tom Tom のカーナビアプリ、 Skype Mobile、 Opera Mobile、 そして数千本のサードパーティ製アプリが Symbian 上で流通し、 「アプリストア」 という言葉が一般化する前から、 既に Symbian Signed という証明書付きアプリの配布チャネルが存在していた。
なぜ崩壊したか
2007年6月29日、 初代 iPhone が発売される と、 Nokia と Symbian の運命は反転する。 続いて2008年9月、 Android 1.0 と HTC Dream が登場し、 Google も同じカテゴリに参入する。
崩壊の原因は、 単一ではない。
- OS の老朽化: Symbian は、 リソース制約が厳しい時代に設計された OS で、 メモリ管理・割り込み処理・アプリモデルなど多くの層が古かった。 タッチスクリーン中心への移行(Symbian^3 など) は遅く、 iOS や Android のような近代的アーキテクチャに対抗できなかった。
- 開発者体験の悪さ: Symbian C++ は学習曲線が急で、 メモリ管理に独自の「leave/cleanup stack」 規約が必要で、 開発生産性は iOS の Objective-C や Android の Java と比べて見劣りした。
- 戦略の振り子: Nokia は2010年に MeeGo(Intel との共同開発 Linux 系 OS) への移行を発表、 翌2011年2月にスティーブン・エロップ CEO の有名な「燃えるプラットフォーム」 メモを経て Windows Phone への一斉転向を決定。 Symbian を見捨て、 Lumia シリーズで Microsoft の OS に賭けた。 だが Windows Phone もアプリエコシステムを獲得できず、 Nokia の市場シェアは急降下する。
- エコシステム経済の理解不足: Apple が App Store で、 Google が Play で構築した「開発者・端末メーカー・キャリアの三者がプラットフォーマーを中心に動く」 という新しい力学を、 Nokia は最後まで自社のものにできなかった。
2013年9月、 Microsoft は Nokia の端末事業を72億ドルで買収すると発表(実際の取引完了は2014年4月25日)。 Symbian については Nokia が2014年1月1日付でソフトウェア開発と保守の支援を打ち切り、 事実上終焉する(最後の公式端末は2012年の Nokia 808 PureView)。 しかし Microsoft も Windows Phone を成功させられず、 2016年5月18日、 フィーチャーフォン事業を Foxconn 傘下の FIH Mobile とフィンランドの新興企業 HMD Global に3億5000万ドルで売却 ── 従業員約4500人とともに手放し、 モバイル端末事業から事実上撤退した。
「スマートフォン」 という語の中の化石
Symbian と Nokia 7650 が定義したのは、 「スマートフォン」 というカテゴリの最初の語彙だった。 マルチタスクで動く OS、 サードパーティ製アプリ、 通信機能と撮影機能とインターネット閲覧の統合、 メーカー横断のプラットフォーム標準(S60)。 これらは iOS・Android が引き継いだ概念であり、 Symbian 衰退後も「スマートフォン」 という用語の意味の中に化石として残っている。
フィンランドという小国が、 1990年代後半から2000年代後半までの十数年間、 世界のモバイル産業の中心だった事実は ── Nokia が崩壊したいまも ── 産業史のなかで異例である。
三系統の起点と、 置き換えた世代
Nokia 7650 の3年前、 1999年1月の BlackBerry 850 発売 と1999年2月の i モード開始 が、 「モバイル機器でのデータ通信」 の三系統(北米/日本/欧州) の起点を作っていた。 Symbian が定義したスマートフォン カテゴリは、 2007年の 初代 iPhone 発売 と2008年の Android 1.0 発表 によって新世代の OS に置き換えられる。 携帯端末の系譜については 携帯電話・スマートフォンの歴史年表を参照されたい。
よくある質問
- Nokia 7650 の発売日はいつか
- 2002年6月26日である。 Symbian OS と Series 60(後の S60)プラットフォームを搭載した最初の量産機であり、 Nokia にとって初のカメラ付き携帯でもあった。
- Symbian のシェアはいつピークだったのか
- 2006年である。 世界のスマートフォン OS の7割前後(報告により67〜73%)を占め、 累計出荷1億台も同年11月に到達した。 2億5000万台目は2009年7月である。
- Symbian と Nokia の端末事業はどうなったのか
- iPhone と Android に押されて Nokia は崩壊し、 2014年4月に端末事業を Microsoft へ売却した。 2016年5月には Microsoft がフィーチャーフォン事業を FIH Mobile と HMD Global へ売却し、 この系譜は終わった。
出典
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