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i モード開始 ── 世界初の本格的モバイルインターネット
NTT ドコモが1999年2月22日に i モード サービスを開始。 専用ブラウザ、 cHTML(コンパクト HTML) で書かれた公式サイト群、 月額300円のパケット定額前提の課金、 そして DoCoMo が運営する公式ポータル ── 世界初の本格的モバイルインターネット プラットフォームである。 サービス開始3年で加入者2000万人、 ピーク時2010年に4900万人。 着メロ・絵文字・モバゲー・QR コード読み取りなど、 後に世界に輸出される多くのモバイル文化がここから生まれた。 2026年3月31日に3G FOMA とともにサービス終了、 27年の歴史に幕を下ろす。
メタデータ
- 日付
- 1999年2月22日
- 年代
- 1990s
- Tier
- T1
- 参照年表
- 携帯電話・スマートフォンの歴史
- 出典数
- 05
- 関連項目
- 00
- Tags
- #mobile-internet#japan#ntt-docomo#emoji#ringtone#garake
i モード開始 ── 世界初の本格的モバイルインターネット
1999年2月22日、 NTT ドコモは「i モード」 と銘打った新サービスを開始した。 同時発売の F501i(富士通) を皮切りに、 ボタン一つでドコモ運営のポータルに接続し、 メールを送り、 公式サイトを読み、 そして三十年の歴史のうち最大規模を誇ることになる携帯文化が、 ここから始まる。
開始時点で世界のほとんどの携帯電話事業者は、 通話と SMS を超える試みに失敗していた。 WAP(Wireless Application Protocol) は2000年前後に欧州が推進したが、 ブラウザ体験は劣悪で、 加入者は限定的だった。 同じころ日本のドコモが、 同じ問題に別解を出した結果が i モードである。
設計の三本柱
i モードの成功は、 同時期の WAP との対比で語るのが分かりやすい。
- コンテンツは cHTML、 つまり HTML のサブセット: 既存ウェブ開発者にとって学習コストが極端に低い。 WAP は WML という独自言語を要求し、 開発者を集められなかった。
- 公式ポータルとサードパーティ収益分配: ドコモが運営する公式メニューに掲載されると、 課金代行(通信料と一緒に請求) とユーザ獲得が一気に進む。 ドコモは決済手数料9%を取り、 残り91%をコンテンツ事業者に渡した。 開発者は儲かり、 ドコモは独占的プラットフォーマーとなる。
- パケット定額・着信課金の発明: 通話時間ではなくパケット量で課金し、 受信側に通信料がかからない設計。 ガラケー文化の経済的基盤を作った。
サービス開始から3年で加入者2000万人、 ピーク時の2010年には4900万人。 当時の日本の人口比でほぼ全国民の三分の一が i モードに加入していたことになる。
絵文字・着メロ・モバイル文化の発祥
i モードが日本国外に与えた最大の文化的遺産は、 ほぼ確実に 絵文字 である。
1999年、 ドコモのエンジニア栗田穣崇(Shigetaka Kurita) が、 12×12 ピクセルの絵文字176字を設計した。 これらは i モード端末の文字フォントとして搭載され、 メールで送受信できる絵記号として一般化する。 2010年に Unicode 6.0 が絵文字をエンコードし、 iPhone・Android が採用したことで、 絵文字は世界共通の表現語彙となる。 オリジナル176字は2016年にニューヨーク近代美術館(MoMA) に永久収蔵された。
絵文字以外にも i モードからは多くの文化が育つ。 着メロ(通話着信時の楽曲再生)、 モバゲータウン(後の DeNA)、 おサイフケータイ(FeliCa による電子マネー)、 そして QR コード読み取りの一般化など、 2000年代の日本のモバイル産業は、 ほぼ i モードの生態系の上に立っていた。
一時的にモバイル先進国だった日本
2000-2005年ごろ、 世界のモバイル産業関係者は日本を「未来から来た国」として観察していた。 欧米がやっと SMS から先に進もうとしていた頃、 日本では女子高生が携帯でメールと絵文字とおまけ着メロを使いこなし、 中学生がモバゲーで遊び、 オフィスワーカーがおサイフケータイで電車に乗っていた。
孫正義のソフトバンクが「日本のモバイル文化」を欧州に輸出しようと試み、 ボーダフォン日本法人を買収(2006年)、 後に iPhone を日本独占販売(2008年)へと続く流れも、 この i モード時代の文化的優位の延長線上にある。
なぜ i モードは世界市場で敗北したか
国内成功にもかかわらず、 i モードはほぼ国外輸出に失敗した。 ドコモは2000年代に欧州・アジアの通信事業者へ i モード方式のライセンス提供を試みるが、 加入者は伸びず、 2010年代までに大半が撤退する。
敗因はいくつかある。
- 垂直統合の閉鎖性: ドコモ運営の公式ポータルに依存する構造は、 海外の通信事業者には魅力的ではなかった。 各国の通信事業者は、 自分が「ドコモになりたい」のであって、 「ドコモのライセンシーになりたい」のではない。
- cHTML の固有性: 標準 HTML への完全互換ではなく、 後の HTML5・スマートフォン Web からは分岐したまま。
- 2007年 iPhone の到来: スマートフォンが「キャリア独立の汎用 PC」として登場し、 i モードのプラットフォーム独占モデルは前提から崩壊する。 ドコモは2011-2013年に「sp モード」(スマホ向け) へと主力を移し、 i モード対応端末の販売を順次打ち切る。
2026年、 終焉
2019年10月29日、 ドコモは i モードを2026年3月31日に終了すると公式発表した。 3G FOMA 周波数帯の停波と同時に、 i モード自体のサービスを終了する。 27年の歴史に幕を下ろす日付として、 ドコモは2026年3月31日を選んだ。
サービス終了時点で、 i モード対応端末を使い続けている加入者は数十万人規模まで縮小していたとされる。 大半は既にスマートフォンに移行済みで、 残存ユーザは「ガラケー保持派」 か、 業務用に i モード メールを使い続けていた法人だった。
何を残したか
i モードが残したのは、 単に絵文字や着メロといった具体的な発明物だけではない。 それは「モバイル端末がインターネットの一部であり得る」 ということを世界で最初に商業的に証明した試みであり、 後のスマートフォン時代の経済モデル(公式ストアでの収益分配、 サードパーティ開発者の生態系) の最初のテンプレートでもあった。
2007年の iPhone と App Store が立ち上がったとき、 Apple のチームは i モードの仕組みを参照していたとされる。 ドコモが定義したプラットフォーム経済の文法は、 Apple が再実装し、 世界に展開した ── という見方は、 業界内では珍しくない。
関連する出来事
i モード開始の同年1月、 カナダの RIM が BlackBerry 850 を発売 しており、 「モバイルでメールを読む」 という二系統の実装が東西で同時並行的に走り出した。 i モードが定義したモバイル ポータル と決済の構造は、 2008年の App Store 開設 によって別の主体が再実装することになる。 携帯端末の系譜については 携帯電話・スマートフォンの歴史年表を参照されたい。