人物 :: PERSON
マーヴィン・ミンスキー
MIT 人工知能プロジェクト(後の AI ラボ、現 CSAIL)の共同創設者。1955年のダートマス提案書に Harvard 所属として名を連ね、翌年の会議を最後まで滞在した3人のひとり。ハーバード大学院生だった1951年に学習機械 SNARC を作り、Seymour Papert との共著『Perceptrons』(1969年)、フレーム理論(1974年)、『The Society of Mind』(1985年)を残した。1969年 ACM チューリング賞。2016年没。

プロフィール
- 生年
- 1927
- 没年
- 2016
- 在世
- 89 年
- 関連事象
- 01
- 名称
- ENMarvin MinskyJAマーヴィン・ミンスキー
マーヴィン・ミンスキー(Marvin Lee Minsky、 1927年8月9日 ── 2016年1月24日)は、 1956年のダートマス会議 に参加した第一世代 AI 研究者であり、 1959年に MIT 人工知能プロジェクト(後の MIT AI Lab、 現 CSAIL)を John McCarthy と共同で設立した。 単独の発明より、 半世紀にわたる研究ラボの運営と、 同時代の議論への介入で記憶される人物である。
経歴
ニューヨーク市生まれ、 ユダヤ系の眼科医の家庭で育つ。 Fieldston School、 Bronx High School of Science、 Phillips Academy(Andover)を経て海軍に勤務(1944-45年)、 Harvard 大学で数学学士(1950年)、 Princeton 大学で数学博士(1954年)。 Princeton の博士論文は「Theory of Neural-Analog Reinforcement Systems and Its Application to the Brain Model Problem」である。
Harvard Society of Fellows の Junior Fellow(1954-57年)、 MIT リンカーン研究所スタッフ(1957-58年)を経て MIT に移り、 死去まで在籍した。 東芝寄付講座(Media Arts and Sciences)教授と電気工学・計算機科学教授を兼ねた。
ひとつ、 繰り返し誤って書かれる点を確定しておく。 1955年のダートマス提案書 は、 ミンスキーの所属を Harvard University と記している(数学および神経学の Harvard Junior Fellow)。 Princeton は1954年に博士号を取った場所であって、 提案書執筆時の所属ではない。 また、 1956年の会議を最初から最後まで滞在したのは McCarthy、 Ray Solomonoff と彼の3人だけだった。
MIT AI Lab の設立と運営
1959年、 ミンスキーはマッカーシーと共に MIT に「人工知能プロジェクト」を設置した。 マッカーシーが1962年に Stanford へ移籍した後も、 ミンスキーは MIT に残り、 ラボを単独で率い続けた。 1970年代の AI Lab は、 LISP マシン、 知識ベースシステム、 ロボティクス、 計算機支援設計(CAD)の主要拠点となる。 シーモア・パパート、 リチャード・グリーンブラット、 リチャード・ストールマン(フリーソフトウェア運動の創始者)も AI Lab 文化の中で育った。
主な業績
1951年 SNARC
ハーバード大学院生時代 ── 博士号取得の3年前である ── ミンスキーは Dean Edmonds とともに SNARC(Stochastic Neural Analog Reinforcement Calculator)を建造した。 真空管と航空機の自動操縦装置の余剰部品で組まれた、 ランダム結線のヘブ則ベース強化学習機械である。 Frank Rosenblatt の パーセプトロン(1958年) に7年先行する、 物理的ニューラルネット最初期の実装のひとつ。
1969年『Perceptrons』
シーモア・パパートとの共著『Perceptrons: An Introduction to Computational Geometry』(MIT Press、 1969年)は、 単層パーセプトロンが XOR のような線形分離不可能な関数を学習できないことを厳密に証明した。 この結果自体に争いはない。 争いがあるのはその周囲の二点で、 どちらも正確に書く必要がある。
第一に、 この本は多層ネットワークを例外として扱ってはいない。 ミンスキーとパパートは、 多層システムへの拡張は「sterile(不毛)」であろうと推測しており、 この推測は後年バックプロパゲーションによって否定された。 1988年の増補版は1980年代の復興を論じる序文と補遺を加えたが、 新しい科学的結果は含んでいない。
第二に、「『Perceptrons』が第一次 AI 冬を招いた」という主張は定説ではなく係争中の説である。 著者自身が1988年版で、 1970年代にニューラルネット研究が衰えたのは本のせいではなく研究内部の問題によると論じており、 その後の歴史研究も、 1969年の時点で研究者の多くはすでにコネクショニズムを離れていたと指摘している。 そして1970年代半ばの資金縮小には、 この本を経由しない文書化された因果が別にある ── 英国の Lighthill 報告、 米国の ALPAC 報告・Mansfield 修正条項・DARPA 音声理解研究計画の打ち切りである。 それが イベントの記録 の内容である。
留保なしに言えるのは、 出版の時期 ── 記号 AI が主流の座を得た瞬間と重なったこと ── が、 この本に「パーセプトロン論争を終わらせた議論」という評判を与えた、 ということである。 その判定は、 Geoffrey Hinton らの世代によるバックプロパゲーション(1986年)と、 決定的には AlexNet(2012年) によって覆された。
1974年 フレーム理論
論文「A Framework for Representing Knowledge」で提案した「フレーム」は、 状況や対象に関する常識的知識を構造化データとして保持する枠組みで、 1980年代のエキスパートシステム と、 その後の意味ネットワークの系譜に繋がる。
1985年『The Society of Mind』
著書『心の社会』(The Society of Mind)で、 心は単一のアルゴリズムではなく、 多数の単純な「エージェント」の協調と競合から創発する、 と論じた。 マルチエージェント AI の概念的源流である。
受賞・栄誉
| 年 | 賞 |
|---|---|
| 1969年 | ACM チューリング賞 ──「For his central role in creating, shaping, promoting, and advancing the field of Artificial Intelligence」 |
| 1989年 | Killian Award(MIT) |
| 1990年 | 日本国際賞 |
| 1991年 | IJCAI Award for Research Excellence |
| 1995年 | IEEE Computer Society Computer Pioneer Award |
| 2001年 | Franklin Institute ベンジャミン・フランクリン・メダル |
| 2006年 | Computer History Museum フェロー |
| 2013年 | BBVA Foundation Frontiers of Knowledge Award |
| 2014年 | Dan David Prize |
Epstein 関連の論争
2019年8月、 米連邦裁判所で公開された Jeffrey Epstein 性的人身売買事件の関連資料に、 当時17歳の Virginia Giuffre が、 Epstein に指示されて Minsky と性行為をしたと証言した部分が含まれていた。 Minsky は2016年に既に死去しており本人の弁明は不可能で、 未亡人の Gloria Rudisch はこの申し立てを否定している。
事件はミンスキー個人より、 MIT メディアラボと Epstein の未公表の資金関係 ── Joi Ito(メディアラボ所長)の辞任、 そして CSAIL のメーリングリストでこの件に言及したリチャード・ストールマンの MIT 辞職に発展した一連のスキャンダル ── の文脈で広く報じられた。 2020年1月に報じられた MIT 自身の調査によれば、 メディアラボ共同創設者の Nicholas Negroponte は電子メールで、 MIT における Epstein の最も親しい友人は Minsky であり、 Minsky は Epstein を獄中訪問もしたと述べている。 Minsky は2002年に Epstein から10万ドルの研究助成を受けており、 これは Epstein から MIT に渡った最初の資金で、 Epstein の最初の逮捕の6年前にあたる。
死去と影響
ミンスキーは2016年1月24日、 88歳で脳出血により死去した。 学術的影響は二方向に走る。 ひとつは MIT AI Lab という機関そのもの ── 1970年代以降の AI 研究の主要な訓練場である。 もうひとつは概念的影響 ── フレーム、 マルチエージェント、 常識推論、 知識表現 ── これらは1980年代の記号 AI 主流派の語彙を作った。
皮肉なことに、 ミンスキーが批判した統計学習・コネクショニズムが、 2010年代以降の AI ブームの主役となった。 だが「知能とは何か」を問う哲学的姿勢 ── 工学的ハックではなく、 心の仕組みそのものを記述しようとする態度 ── は、 Anthropic の Claude(2023年) のような現代の大規模言語モデル研究にも、 解釈可能性研究という形で受け継がれている。
関連する出来事
出典
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