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Wikipedia 公開

メタデータ
- 日付
- 年代
- 2000s
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- T1
- 参照年表
- インターネットとWebの歴史
- 出典数
- 08
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2001年1月15日、Larry Sanger は Nupedia のメーリングリストに「Wikipedia is up!(Wikipedia が動き出した)」という件名のメッセージを送った。リストの参加者への頼みはささやかなもので、ちょっと付き合って、行って小さな記事を一つ書いてみてほしい、というものだった。
Nupedia は、Wikipedia が手助けするはずだったプロジェクトである。Sanger の後年の数えによれば、その時点で Nupedia が完成させた記事は、1年近くかけて24本に満たなかった。
Nupedia ── 七段階の百科事典
Nupedia は2000年3月に始まった。資金を出したのは Jimmy Wales と2人の共同経営者が所有するウェブ企業 Bomis で、哲学の博士号を持つ Sanger が編集長として雇われた。モデルは参考図書としては正統的なもので、記事は専門家が書き、編集・事実確認・査読の多段階の工程を通る。Nupedia のボランティアの諮問委員会との調整を経て、工程は最終的に七段階になった。
この工程は品質を生んだが、それ以外はほとんど何も生まなかった。Sanger が2005年に Slashdot に寄せた回想録は、2001年を迎える頃にはもう、立ち上げにほとんどプログラミングを要しない、もっと開かれた仕組みを真剣に考えていたと率直に書いている。
2001年1月の10日間
その後の経過は、当時の記録からほぼ1日単位でたどることができる。
| 日付 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 2001年1月2日 | 夕食の席で Ben Kovitz が Sanger に wiki の仕組みを説明 | Sanger の回想録 |
| 2001年1月10日 | Sanger が Nupedia-L に「Let's make a wiki」を投稿。wiki が設置される | Sanger 自身による投稿の記録 |
| 2001年1月11日 | Sanger が「Wikipedia」という名前を提案 | History of Wikipedia |
| 2001年1月13日 | wikipedia.com と wikipedia.org を登録 | .com・.org レジストリの記録 |
| 2001年1月15日 | wikipedia.com で公開。「Wikipedia is up!」 | Sanger の記録、History of Wikipedia |
1月10日の Sanger の投稿は、このプロジェクトを決定づける言葉で wiki を擁護している。wiki はコンテンツを作るための「究極の『開かれた』単純な形式」であり、ほとんど即座に導入でき、保守はごくわずかで、全体としてリスクが非常に低い、と。同じ投稿は、Nupedia を置き換えるか補うための、もっと単純で開かれたプロジェクトの案の一つとして wiki を位置づけていた。
名前は Sanger の発案である。彼は2005年に、この名前を思いついたのは自分だと書いている。wiki と encyclopedia を合わせた造語だ。ドメインが .com だったのは、Sanger の説明によれば、自分の給与やプログラマ、サーバの費用を広告で賄うことを当時検討していたからである。2002年、Wales が利用者に広告は載せないと請け合ったのを機に、.org へ移った。
なぜ成長したのか
wiki では誰でもどのページでも編集でき、過去の版はすべて残るので、間違いは作るのと同じくらい簡単に戻せる。これが、Nupedia を遅くしていた関門と、荒らしへの恐れの多くを取り除いた。Sanger は、自分と Wales が最初期に合意した方針の一つが「偏りのなさ」、つまり中立性の方針だったと回想している。論争のある題材では、一つの見方を代弁するのではなく、すべての側を公正に示すべきだというものである。これは今も「中立的な観点」として生きている。
成長は当時の基準では急速だった。
- 2001年3〜5月 ── ドイツ語、カタルーニャ語、フランス語、スウェーデン語、イタリア語など、最初の英語以外の版が開設
- 2001年末 ── 全言語版を合わせて約2万本
- 2002年3月 ── ドットコム・バブル崩壊のなかで Bomis が資金を引き揚げ、Sanger が去る
- 2003年6月20日 ── プロジェクトを運営する非営利団体ウィキメディア財団が設立。Nupedia は同じ年に事実上終わる
- 2006年3月1日 ── 英語版が100万本目の記事に到達
2026年10月時点で、Meta-Wiki の「List of Wikipedias」は、ウィキメディア財団のもとで作られた言語版を364、うち閉鎖された16を除いて稼働中を348と数えている。記事の合計は約6840万本である。
創業者は誰か
答えは誰に聞くかで変わり、当事者の2人は一度も合意していない。
Sanger の立場は、自分は共同創業者だというものである。彼は、2001年9月の New York Times が自分をそう書いたこと、そして2002年1月の Wikipedia 自身の最初のプレスリリースが2人を創業者としていたことを挙げる。Wikipedia の Wales の記事によれば、Wales 自身も2002年8月には「共同創業者」という表現を使っていた。
Wales の立場は、2000年代半ばから公に一貫しており、自分が唯一の創業者だというものである。プロジェクトの費用を払ったのは Bomis であり、Sanger は自分の従業員だった、という理由による。Sanger は自身の記録の中で、Wales が自分の共同創業者としての立場を否定し始めたのは2005年か2006年、ちょうど Wikipedia が世間の注目を集め始めた頃だったと書いている。
Sanger は、争いを決着させはしないが整理はする区別も示している。事業としての意味での創業者は費用を払った Bomis であり、百科事典を構想して初期の共同体とルールを作ったという意味での創業者は自分だ、というものである。争いのないことは、2001年1月の一連の出来事の順序と、そこに2人がともにいたことである。
その後の Wikipedia
Wikipedia は、初期のウェブが繰り返し問うてきた問い ── ソフトウェアと文書化された規範だけでつながった見知らぬ人々が、一緒に信頼できるものを作れるのか ── に対する、最もわかりやすい実地の答えの一つである。答えは単純ではない。正確さ、偏り、運営をめぐる争いはプロジェクトと同じだけ古い。それでもプロジェクトは四半世紀にわたって動き続けている。
自ら立ち上げに関わったプロジェクトを後に批判する側に回った Sanger は、Wikipedia の経験は、高い信頼性を持つ百科事典には専門家による監督が必要だという自分の当初の判断を覆してはいないと論じている。開かれた参加と専門性の間のこの議論は、2001年1月の10日間にすでにあり、今も決着していない。
よくある質問
- Wikipedia の創業者は誰ですか。
- Jimmy Wales と Larry Sanger が2001年1月15日に公開しましたが、創業者の扱いは当人同士で決着していません。Sanger は共同創業者だと主張し、Wales はこれを認めていません。
出典
一次資料wikipedia.com — registration record (Verisign RDAP)
wikipedia.com と wikipedia.org はいずれも 2001-01-13 登録
最終更新: