T1#pda#palm#mobile#stylus
Palm の Pilot 1000/5000 発売 ── PDA カテゴリを定義した手のひらコンピュータ

メタデータ
- 日付
- 年代
- 1990s
- Tier
- T1
- 参照年表
- 携帯電話・スマートフォンの歴史
- 出典数
- 09
- 関連項目
- 00
- Tags
- #pda#palm#mobile#stylus#handheld
1996年1月29日、 カリフォルニア州パームスプリングスの Demo '96 会議で、 US Robotics の Palm Computing 事業部は二機種を発表した。 Pilot 1000(メモリ 128 KB、 実売299ドル) と Pilot 5000(512 KB、 369 ドル)。 プレスリリースは3月の出荷開始と、 Windows PC 向けの4月発売を告げていた。 縦12センチ弱、 重さ160グラム、 単4電池二本で数週間動く、 シャツのポケットに収まる機械である。
売られた名前は単に「Pilot」である。 よく知られた PalmPilot という綴りは、 Pilot Pen 社との商標紛争を経た1997年の第二世代からで、 のちにさらに Palm へと短くなる。
それまでの「PDA」── Personal Digital Assistant という言葉自体、 Apple の John Sculley が1992年、 Newton を披露する過程で作った造語だった ── は、 大きく、 重く、 手書き認識は使い物にならず、 価格は700ドルから1000ドル超に及んだ。 Apple Newton はこの三重苦を抱えたまま市場を萎縮させ、 1998年に終焉する。 その萎縮した土壌の上に、 Palm は突き刺さるように現れた。
なぜ Palm は成功したか
設計者の Jeff Hawkins は、 Newton の失敗を冷徹に分析していた。 彼が出した結論は単純だった ── 「PDA は PC の代わりではなく、 PC の付属品である」。
この前提から、 設計上の決断がすべて派生する。
- シャツのポケットに入るサイズ: Newton は本のような大きさだった。 Palm は名刺ケース程度に収めた。 Hawkins は試作期間中、 木片を削った模型をシャツのポケットに入れて持ち歩き、 「これより大きい製品は失敗する」という基準を物理的に固定した。
- PC との HotSync 同期: 専用クレードルに置けばボタン一押しで PC のスケジューラ・連絡先と双方向同期する。 PDA をスタンドアロンの計算機としてではなく、 PC データの携行端末として位置付けた。
- Graffiti 手書き入力: 自由筆記の認識は諦めて、 ユーザに「Graffiti と呼ばれる、 一画で書ける単純化アルファベット」を学ばせる方針に切り替えた。 学習コストはあるが精度は破格で、 US Robotics は「毎分30語、 認識率100%」と謳った。 Newton の「自然な手書き認識」の失敗を反面教師にした選択である。
- 専用 OS と省電力: マルチタスクなし、 ファイルシステムなし、 アプリは PC からインストール。 単4電池二本で数週間稼働する設計を貫いた。
299ドルという価格も、 699ドルで発売され後継機は1000ドルを超えた Newton MessagePad と比べれば衝撃的に安かった。
18か月で100万台、 PDA 市場の独占
伸びの速さは決算にそのまま出た。 Palm の売上は1996年5月までの11か月で約700万ドル ── Pilot 発売直後の一四半期分にあたる ── 、 翌1997年5月期には1億1400万ドル。 累計出荷は発売から約18か月で100万台を超え、 IBM PC や Macintosh より急な普及曲線を描いた。 1998年の世界シェアは IDC 調べで68%、 欧州で72%、 アジアで59%である。
| アジア | 59% | |
|---|---|---|
| 全世界 | 68% | |
| 欧州 | 72% |
商業的成功の規模は、 単一製品としては当時の家電業界では稀だった。 US Robotics は1997年6月に 3Com に買収され、 Palm 部門は 3Com の中で独立性を保ったまま開発を続ける。 1999年9月に 3Com が分社化を発表、 2000年3月に Palm, Inc. として独立上場した。
ポケットの計算機とアイコンの格子
Palm Pilot は単なる電子手帳ではなかった。 それはコンピュータと人間との関係を一段階近づけた製品だった。
- 「常にポケットに計算機が入っている」 状態の発明: スマートフォン以前の十年間、 Palm はこの体験を提供した唯一の主流製品だった。
- ホーム画面のグリッド配置: アイコンが格子状に並ぶ画面は Palm OS が広めた UI 言語であり、 後の iPhone のホーム画面にも継承される。
- PC との同期文化: HotSync は、 後に iTunes・iCloud・Google Sync・Microsoft Exchange へと続く、 「個人データを複数のデバイスで一貫させる」 という概念を一般化した。
- サードパーティ開発の生態系: Palm OS は早期から SDK を公開し、 数千本のアプリ(無料・有料) が流通する独自のエコシステムを形成した。 App Store 以前の、 もっとも成功したモバイルアプリ流通の先例である。
天井は2001年に見えた
Palm の天井は2001年ごろに見えた。 Treo シリーズ ── 2002年に、 Palm を離れた Hawkins と Dubinsky が興した競合 Handspring が出し、 2003年の Handspring 吸収でようやく Palm 自身の製品になった ── で通話機能を統合し「スマートフォン」 への移行を試みるが、 2007年の iPhone とその後の Android の津波には抵抗できなかった。 Palm OS の近代化(Palm OS Cobalt) は失敗、 webOS への賭けも遅すぎた。 2010年に HP が買収、 2011年に webOS 端末事業を終了。 webOS そのものは2013年に LG へ、 Palm の商標は2014年に中国の TCL へ渡った。
しかし衰退の事実は、 1996-2002年の Palm が PDA カテゴリそのものを発明した事実を消さない。 後続のスマートフォン UI が前提とする多くの慣習 ── ポケットサイズ、 アプリのグリッド、 PC 同期、 スタイラス/指のタッチ操作 ── は、 Palm が一旦完成させた語彙の上に成立している。
関連する出来事
Palm Pilot より三年早い1993年には Apple が Newton MessagePad を投入していたが、 手書き認識の精度と価格で市場に拒絶された。 Palm はその失敗を分析して別解を出した製品である。 一方、 Palm が定義したホーム画面とアプリ流通の文化は、 2007年の 初代 iPhone 発売 と2008年の Android 1.0 発表と HTC Dream によって、 別の物理形態と OS で再実装されることになる。 モバイル機器の系譜については 携帯電話・スマートフォンの歴史年表を参照されたい。
出典
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