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EDVAC 報告書第一草稿 ── プログラム内蔵方式が文章になった日

『First Draft of a Report on the EDVAC』の表紙。契約番号 W-670-ORD-4926、1945年6月30日、ムーア校の記載がある
出典John von Neumann / Internet Archive scan of Samuel N. Alexander's copy (Wikimedia Commons) · Public Domain · Commons で見る

メタデータ

日付
年代
1940s
Tier
T1
出典数
05
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01
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1945年6月30日付の表紙には、ごく事務的な文字が並んでいる。 「First Draft of a Report on the EDVAC / by / John von Neumann」、 その下に「Contract No. W-670-ORD-4926」、 米陸軍兵器局とペンシルベニア大学のあいだの契約番号、 そして「Moore School of Electrical Engineering」。 装丁も要旨もない、 タイプ打ちの原稿である。

この草稿が、 その後八十年にわたって作られるほぼすべての計算機の設計図になった。

五つの器官と、 命令を置いた記憶

草稿は、 計算する装置を五つの「器官(organ)」に分ける。 中央演算部 CA、 中央制御部 CC(両者を合わせて C)、 記憶 M、 入力 I、 出力 O。 加えて装置の外側にある記録媒体を R と呼ぶ。 今日「CPU・メモリ・入出力」と呼ばれている区分は、 ここで初めて名前を与えられた。

決定的なのは M の扱いである。 §2.4 は記憶が必要になる場面を (a) から (h) まで列挙するが、 そのうち (b) は「複雑な問題を司る命令」であり、 (c) は関数表、 (d) は初期条件と境界条件、 (e) は中間結果である。 つまり命令も数値も同じ記憶に置かれる。 プログラムを配線ではなく記憶の内容として扱う ── プログラム内蔵方式と呼ばれることになる考え方が、 このリストの一項目として、 何の力みもなく書かれている。

もう一つの特徴は語彙である。 von Neumann は真空管でもリレーでもなく「素子(element)」という抽象語から出発し、 §4.2 で神経細胞との類比を導入する。 全か無かの二状態、 興奮性シナプスと抑制性シナプス、 シナプス遅延。 草稿が引用する文献は生涯にわたってただ1本、 W. Pitts と W. S. McCulloch の1943年の論文「A logical calculus of the ideas immanent in nervous activity」だけである。 工学的細部を剥ぎ取り、 論理として書く ── その選択が、 特定の部品に依存しない設計図を生んだ。

「第一草稿」という題名は正確である

この文書は完成していない。 Godfrey が1993年に組み直した版の凡例が指摘するとおり、 15.0 節より後の未執筆の節への前方参照は、 原稿では空欄のまま放置されている。 プログラミングの節も入出力系の節も、 ついに書かれなかった。 手書きの原稿も見つかっていない。

Godfrey はまた、 この草稿が最初期に与えた影響の一例として、 Alan Turing が国立物理学研究所(NPL)向けの ACE の提案でこれを引いていることを挙げている。 未完成の内部文書が、 発表された論文のように読まれ、 引かれた。

帰属をめぐる四十年

草稿は Herman Goldstine の手で配布された。 著者名は von Neumann ただ一人。 これが長い係争の起点になる。

Charles Babbage Institute の復刻版に付された解説は、 記録が支持する線を慎重に引いている ── ムーア校のスタッフは von Neumann が関与する少なくとも8ヶ月前から命令を機械の中に置くことを検討しており、 草稿に入った着想は J. Presper Eckert、 John Mauchly、 Arthur Burks、 Goldstine、 von Neumann のあいだで詳細に議論されていた。 一方で、 von Neumann がその議論の重要な触媒であり主要な寄与者であったこと、 そしてそれらの着想を工学的細部を除いた理論の形で記述したのは彼一人の仕事だったことも、 同じく明らかである。 論争の多くは、 実践する科学者と技術者が理論構成・技術的実現可能性・設計・製作のそれぞれに置く価値の違いから生じている。

「von Neumann が着想した」でも「von Neumann が横取りした」でもない。 記録が言えるのはそこまでである。

特許を消した文書

Eckert と Mauchly は計算機の商業化を考えており、 ENIAC と EDVAC の特許権を取るつもりでいた。 制限なく配られたこの草稿はその妨げになる ── 彼らはそう懸念し、 懸念は現実になった。 1947年に出願された特許主張について、 連邦裁判所は後年、 1945年の草稿の配布が公開にあたると判断した。

結果として、 プログラム内蔵方式は誰の所有物にもならなかった。 マンチェスター、 ケンブリッジ、 プリンストンの各チームが、 許諾を求めることなく同じ設計を出発点にできたのは、 この偶発事のためである。

EDVAC そのもの

肝心の機械はずっと遅れた。 EDVAC の契約は1946年4月、 弾道研究所(BRL)への納入は1949年、 限定的な稼働開始は1951年である。 44ビット語を1024語、 水銀ディレイラインに保持する構成だった。 その間に、 草稿を読んだ側が先に動いている ── マンチェスターの Baby が1948年6月にプログラムを記憶から実行し、 ケンブリッジの EDSAC が1949年に実用に入った。

設計図が機械より先に世界へ出てしまった、 という一事が、 この草稿の性格をよく表している。

出典

  1. 三次資料First Draft of a Report on the EDVAC — Wikipedia

    取得日: 2026-08-12

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