人物 :: PERSON
アラン・チューリング
計算可能性の理論を作った数学者。1936年の論文「On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem」で、後にチューリング機械と呼ばれる抽象的な機械を定義し、Hilbert の決定問題に否定的な解答を与えた。第二次大戦中は Bletchley Park で Enigma 解読に従事し、戦後は国立物理学研究所で ACE を設計、1948年からマンチェスター大学に在籍した。1950年の論文「Computing Machinery and Intelligence」は模倣ゲーム(チューリングテスト)を提案している。1952年に同性愛行為で有罪となり、1954年に41歳で死去。2013年に王室恩赦が与えられた。

プロフィール
- 生年
- 1912
- 没年
- 1954
- 在世
- 42 年
- 関連事象
- 01
- 名称
- ENAlan TuringJAアラン・チューリング
アラン・マシソン・チューリング(Alan Mathison Turing、 1912年6月23日 ── 1954年6月7日)は、 「計算する」という行為そのものに数学的な定義を与えた人物である。 計算機がまだ一台も存在しない時代に、 計算機に何ができて何ができないかを確定させた。
1936年の論文
ロンドンのパディントンに生まれ、 ケンブリッジのキングス・カレッジで数学を修め、 1935年に同カレッジのフェローとなった。 翌年、 24歳で書いたのが「On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem」である。 ロンドン数学会に1936年5月28日に受理され、 同年11月12日に読み上げられ、 会誌第2系列第42巻230-265頁に載った。
論文が導入したのは、 無限のテープと、 その上の記号を読み書きしながら有限個の状態を遷移する装置である。 チューリング自身はそれを単に「計算する機械」と呼んだ。 この抽象化によって「有限の手続きで求められる数」を厳密に定義でき、 そのうえで、 任意のプログラムが停止するかどうかを判定する一般の手続きは存在しないことを示した。 David Hilbert の決定問題(Entscheidungsproblem)に対する否定的な解答である。
同じ論文には、 他の機械の記述を入力として受け取りその動作を模倣する「万能機械」も現れる。 プログラムを機械への入力データとして扱うという発想が、 まだ紙の上でしか存在しない段階で書かれていた。
Bletchley Park
1939年9月から政府暗号学校(GC&CS)で常勤となり、 Bletchley Park でドイツの Enigma に取り組んだ。 W. G. Welchman とともに設計した Bombe が Enigma の鍵探索を自動化し、 とりわけ U ボートの通信の解読で中心的な役割を果たした。 1945年に大英帝国勲章(OBE)を受けている。 この仕事は戦後も長く機密であり、 彼の生前に公にされることはなかった。
ACE、 そしてマンチェスター
戦後は国立物理学研究所(NPL)で電子計算機 ACE(Automatic Computing Engine)の設計に取り組んだ。 1945年末から1946年初めにかけてまとめられたこの設計案は、 回路図・部品仕様・機械語の実例・費用見積までを含む、 きわめて具体的な文書である。 チューリングはその中で von Neumann の EDVAC 草稿を引いている。 ACE は当初の規模では作られず、 小型版の Pilot ACE が1950年に稼働した。
1948年、 Max Newman に招かれてマンチェスター大学へ移る。 Baby で走った3本のデモ用プログラムのうち1本 ── 長除算のルーチン ── は彼が書いたものである。
模倣ゲーム
1950年10月、 哲学誌 Mind に「Computing Machinery and Intelligence」を発表した。 冒頭の一文は明快である ── 「機械は考えることができるか」という問いを考えたい、 と。 そのうえで彼は、 語の意味を調べて答えを出すやり方を退け、 問いを別の問いに置き換える。 判定者が文字だけのやり取りで人間と機械を区別できるか、 という模倣ゲーム(imitation game)である。 今日チューリングテストと呼ばれる。
有罪判決と死、 その後
1952年2月、 チューリングは男性との関係を理由に逮捕され、 「重大猥褻(gross indecency)」で有罪となった。 収監を避けるため、 女性ホルモン(エストロゲン)の投与を受け入れている。 有罪判決により機密の暗号研究に関わる資格も失った。 1954年6月7日、 チェシャー州ウィルムズローの自宅で死去。 41歳だった。 死に至る経緯を完全に知ることはできないが、 検死審問は自死と結論している。
2009年、 当時の首相 Gordon Brown が政府としての謝罪を表明した。 2013年12月24日、 王室大権による恩赦が与えられた。 2021年6月23日 ── 彼の誕生日にあたる ── イングランド銀行はチューリングの肖像を用いた50ポンド紙幣を発行している。 裏面には Pilot ACE と数式が描かれている。
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