T1#research#standard
BASIC、 ダートマスで最初に動く

メタデータ
- 日付
- 年代
- 1960s
- Tier
- T1
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- 06
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1964年5月1日の午前4時ごろ、 ニューハンプシャー州ハノーバー、 ダートマス大学カレッジホールの地下で、 隣り合った2台のテレタイプ端末から同時に RUN が打たれた。 双方に正しい答えが返ってきた。
大学自身の計算機年表は、 この瞬間を「BASIC の誕生」ではなく Dartmouth Time-Sharing System(DTSS)の誕生として記録している。 2台から投入された同一のプログラムが同時に実行され、 それぞれに正解が返った ── 重要なのは答えが合っていたことではなく、 2つ同時に動いたことだった。 端末に座った一人は数学科教授の John Kemeny で、 もう一人は学生のプログラマである。 走ったプログラムは、 大学の年表によれば次の2行だった。
10 Print 2+2
20 End
なぜ言語とシステムが不可分なのか
BASIC(Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code)は、 単独の言語設計として始まったわけではない。 Kemeny と Thomas Kurtz が解こうとしていたのは「学部生に計算機を使わせる」という問題で、 その解が 時分割 + 初学者向け言語 の組だった。
時分割を使えという助言は外から来た。 IEEE Computer Society の Computer Pioneers は、 1961年ごろ John McCarthy が Kurtz に「君たちは時分割をやるべきだ」("you guys ought to do time-sharing")と勧めたと記している。 当時の主流はバッチ処理で、 学生はカードデッキを提出して翌日に結果を受け取る。 その往復では、 計算機は教材にならない。
そこで彼らは両方を作った。 1963年春に General Electric の GE-225 と通信処理用の DATANET-30 を選定し、 1964年2月に稼働。 大学の年表は、 全米科学財団(NSF)からの助成50万ドル、 GE-225 とソフトウェアの価格80万ドルという数字を挙げている。 システムと BASIC コンパイラを書いたのは、 主として学部生のチームだった。
そして5月1日に、 それが動いた。 ただし DTSS の平均故障間隔は当初およそ5分だった、 と同じ年表が正直に書いている。
設計されたのは「教えやすさ」である
BASIC の文法上の選択 ── 行番号、 英語に近いキーワード、 変数宣言の省略、 即時実行 ── はすべて、 専門家でない利用者が短い導入で書き始められることを狙っている。 当時の代表的な言語である FORTRAN と ALGOL は、 職業プログラマのために設計されていた。
狙いが当たったかどうかは、 証言ではなく利用統計で答えられる。 1967年8月の DTSS 利用調査によれば、 学内利用の半分は工学・物理・数学・経済・心理・経営の6学科によるもので、 利用者として最大の集団は1〜2年生だった。 その学生たちは利用時間の3分の2を授業課題に、 残りの3分の1を調査の分類でいう「娯楽」に使っている。 想定読者は計算機科学の専門家ではなく、 実際に来たのも専門家ではなかった。
技術的に見落とされやすい点がひとつある。 ダートマスの BASIC はインタプリタではなくコンパイラだった(compile-and-go 方式)。 後年、 家庭用計算機に載った BASIC の大半がインタプリタだったため、 「BASIC = インタプリタ言語」という理解が広まったが、 それは移植先の制約であって原設計ではない。
配り方が歴史を決めた
6月には学内の一般利用が始まり、 端末は3台から11台に増えた。 同じ1964年、 ニューイングランドの7つの中等学校にテレタイプが引かれる ── Phillips Exeter Academy、 St. Paul's School、 Hanover High School など。 これが後の Dartmouth Educational Network に育ち、 最盛期にはニューイングランドの30の大学と20の中等学校、 カナダの12大学を結んだ。
そして決定的だったのは、 処理系を無償で配ったこと である。 1960年代はソフトウェアが有償の商品になっていく時期だが、 Kemeny と Kurtz は普及そのものを目的としてコンパイラを無料で提供し、 他機関への移植を歓迎した。 BASIC が「パブリックドメインに置かれた」という言い方は広く流通しているが、 大学が形式的に権利を放棄したのか、 権利を保持したまま無償配布したのかは資料によって食い違う。 争いがないのは、 金銭も許諾も要求されなかったという事実のほうで、 実務上はそれで十分だった。 誰でも BASIC を名乗る処理系を書いてよかったのである。
その結果は次の十年に現れる。 1975年、 Bill Gates と Paul Allen が Altair 8800 向けの BASIC を書いて Microsoft を作った(Microsoft 創業)。 以後、 Apple II、 Commodore、 TRS-80、 そして日本の各社の8ビット機まで、 電源を入れると BASIC のプロンプトが出るのが当たり前になる。 何百万人もの最初のプログラミング言語が BASIC だったのは、 言語が優れていたからというより、 1964年のダートマスが値札を付けなかったからである。
方言の乱立と True BASIC
無償で配ったことは、 同時に統制を失うことでもあった。 各社の BASIC は互いに非互換になり、 Kemeny と Kurtz はこれを歓迎しなかった。 1983年、 二人は元学生らと True BASIC 社を設立し、 ANSI / ISO 標準に沿った処理系を売り始める。 Kurtz は1974年から1985年まで ANSI の BASIC 委員会 X3J2 の議長を務めた。
言語を無料にすることと、 言語を守ることは両立しない ── その教訓は、 その後のオープンソース史で何度も繰り返されることになる。
出典
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