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リチャード・ストールマン

1983年に GNU プロジェクトを発表し、1985年10月に Free Software Foundation(FSF)を設立した自由ソフトウェア運動の創始者。コピーレフトを考案し、GNU GPL の主な著者でもある。MIT 人工知能研究所で Emacs を書き、のちに GCC を開発した。2019年9月16日に FSF の会長と理事を辞任し、MIT CSAIL の職も辞した。2021年に FSF の理事に復帰し、2026年10月時点でも理事会に名を連ねている。

2024年4月、ボローニャ大学での講演後のリチャード・ストールマン
出典Patafisik (Wikimedia Commons) · CC BY-SA 4.0 · Commons で見る ↗

プロフィール

生年
1953
存命
存命
在世
1953–
関連事象
01
名称
ENRichard StallmanJAリチャード・ストールマン

リチャード・M・ストールマン(Richard M. Stallman、 RMS、 1953年 ── )は、 1983年9月に GNU プロジェクト を発表し、 1985年10月に Free Software Foundation(FSF)を設立した、 自由ソフトウェア運動の創始者である。 GNU の発表、 GNU 宣言、 GPL の仕組みはイベントのページに詳しい。 このページでは、 それ以外の経歴 ── 書いたプログラム、 「オープンソース」という語との距離、 そして2019年と2021年の出来事 ── を扱う。

プログラマとしての仕事

ストールマン自身のサイトに載る略歴によれば、 1974年に Harvard 大学で物理学の学士を得て、 1971年から1984年まで MIT 人工知能研究所で働いた。 そこで書いたのが拡張可能なテキストエディタ Emacs である。 年は資料によって1年ずれ、 自身のサイトは1976年、 FSF の理事紹介は1975年としている。

GNU のための仕事として、 1984年1月5日に MIT の職を辞して開発を始めた。 本人が自ら開発した部品として挙げるのは、 GNU Compiler Collection(GCC)、 GNU のデバッガ gdb、 GNU Emacs などである。 GCC の公式リリース一覧では、 最初のベータ版 0.9 が1987年3月22日、 1.0 が同年5月23日に出ている。

ACM は二度、 彼の仕事を表彰した。

年賞対象
1990ACM Grace Murray Hopper Award拡張可能なエディタ EMACS の開発
2015ACM Software System AwardGCC の開発と指導

2015年の ACM の発表は、 GCC を「a lynchpin of the free software movement」と呼んでいる。 自身のサイトの受賞一覧には、 1990年の MacArthur Foundation Fellowship も載っている。 1991年ごろから2019年までは、 MIT の Visiting Scientist(客員研究員)だった。

「オープンソース」と呼ばない理由

ストールマンの立場で外から最も分かりにくいのは、 「オープンソース」という語を使わないことだろう。 GNU のサイトに載る本人の文章「Open Source Misses the Point of Free Software」はこう説明する。 1998年、 自由ソフトウェアのコミュニティの一部が分かれて「open source」の名で活動を始めた。 この語はもともと「free software」の誤解を避けるために提案されたが、 やがて自由ソフトウェア運動とはかなり異なる哲学と結びついた ── と。

同じ文章は、 二つの語が指すソフトウェアはほぼ同じ範囲でも、 拠って立つ価値が根本的に違うと書く。 自由ソフトウェア運動にとって自由ソフトウェアは「an ethical imperative」であり、 オープンソースは実用上の良し悪しだけで考える、 という対比である。 名前へのこだわりは他にもある。 Linus Torvalds の Linux カーネル と GNU を組み合わせたシステムについて、 自身の略歴は、 人々がそれを単に「Linux」と呼んで GNU プロジェクトの功績を認めないことを嘆き、 「GNU/Linux」と呼んでいる。

2019年 ── FSF と MIT からの辞任

2019年9月16日、 FSF は短い告知を出した。 創設者で会長のストールマンが、 会長職と理事会から辞任したというものである。

SD Times によれば、 この辞任は、 Jeffrey Epstein の事件と、 故 Marvin Minsky について彼が MIT のメーリングリストに書いた発言が批判を受けた後のことだった。 あわせて MIT CSAIL の職も辞し、 自身のサイトに次のように書いたと SD Times は伝えている。

I am resigning effective immediately from my position in CSAIL at MIT. I am doing this due to pressure on MIT and me over a series of misunderstandings and mischaracterizations.

2021年 ── 理事会への復帰

2021年、 ストールマンは FSF の年次会議 LibrePlanet で、 自身が理事に戻ったことを発表した。 FSF によれば、 この発表は職員にとっても完全な不意打ちだった。 反応は二つに割れた。

日付出来事
2021年3月23日彼をすべての指導的立場から外すよう求める公開書簡と、 彼を支持する公開書簡が、 それぞれ公開される
2021年3月25日Red Hat が、 FSF と FSF 主催イベントへの資金提供をすべて直ちに停止すると発表
2021年4月12日FSF 理事会が声明を出し、 議決権を持つ会員が数か月の議論を経て彼を理事に任命したと説明

FSF の声明は、 復帰させた理由を「We decided to bring RMS back because we missed his wisdom.」と書く。 同時に、 彼が誤りを認めていること、 発表の手順が拙かったことへの謝罪、 そして理事として他の理事と同じ方針 ── 利益相反とセクシュアル・ハラスメントの禁止を含む ── に従う無給のボランティアであることを明記している。 2026年10月時点の FSF のサイトでも、 彼は理事会の一員として掲載されている。

FSF の2021年の声明は、 彼を「the most articulate philosopher」と呼ぶ一方で、 「his personal style remains troubling for some」とも書いている。 自由ソフトウェア運動の創始者に対する評価の両面を、 運動の中心にある団体自身が一つの文書に並べて残している。

関連する出来事

  1. GNU プロジェクト発足 ── Stallman の自由ソフトウェア宣言

よくある質問

リチャード・ストールマンは何を作ったか
1983年に GNU プロジェクトを発表し、1985年10月に Free Software Foundation を設立しました。コピーレフトを考案して GNU GPL の主な著者となり、MIT 人工知能研究所で Emacs を、のちに GNU のコンパイラ GCC を開発しました。GCC は2015年に ACM Software System Award を受けています。
ストールマンはなぜ2019年に FSF を辞めたのか
2019年9月16日、FSF の会長と理事を辞任しました。SD Times は、Jeffrey Epstein の事件と Marvin Minsky に関して彼が MIT のメーリングリストに書いた発言が批判を受けた後のことだと報じています。同時に MIT CSAIL の職も辞し、本人は理由を MIT と自分への圧力と、一連の誤解と誤った描写だと書きました。
ストールマンは今も FSF の理事か
はい。2021年に FSF の議決権を持つ会員が彼を理事に任命し、FSF の理事会は同年4月12日にその声明を出しました。2026年10月時点の FSF のサイトでも理事会の一員として掲載されています。

出典

  1. 一次資料Staff and Board — Free Software Foundation

    取得日: 2026-10-26

  2. 三次資料Richard Stallman — Wikipedia

    生年月日

    取得日: 2026-10-26

最終更新:

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