人物 :: PERSON

グレース・ホッパー

Yale の数学博士から海軍予備役に入り、Harvard Mark I の最初期のプログラマの一人となった。Eckert-Mauchly / UNIVAC で自動プログラミング部門を率い、1952年の A-0、続く MATH-MATIC と FLOW-MATIC を世に出す。FLOW-MATIC は COBOL 仕様が着想の源として挙げた三つのうちの一つで、彼女自身は CODASYL の技術顧問だった。1986年に79歳で退役した時点で米海軍で最年長の現役士官。2016年に大統領自由勲章を追贈された。

海軍准将時代のグレース・ホッパーの公式写真(1984年)
出典James S. Davis, U.S. Navy (photo ID DN-SC-84-05971), via Wikimedia Commons · Public domain · Commons で見る

プロフィール

生年
1906
没年
1992
在世
86 年
関連事象
03
名称
ENGrace HopperJAグレース・ホッパー

グレース・ブリュースター・マレー・ホッパー(Grace Brewster Murray Hopper、 1906年12月9日 ── 1992年1月1日)は、 「計算機は算術しかできない」という当時の常識に対して、 「計算機に翻訳をさせればよい」と答え続けた人物である。 数学者として出発し、 海軍少将として退役した。 その間の43年は、 プログラムを書く行為を機械の側から人間の側へ引き寄せる作業に費やされている。

経歴

ニューヨーク市に生まれた。 1928年に Vassar 大学を数学と物理で卒業(Phi Beta Kappa)、 Yale 大学で1930年に修士、 1934年に数学の博士号を得た。 指導教官は Øystein Ore、 学位論文は既約性判定に関するものである。 その後 Vassar で数学を教え、 准教授となった。

1943年12月、 海軍予備役に入隊。 マサチューセッツ州ノーサンプトンの士官候補生学校(WAVES)を経て中尉(lieutenant junior grade)に任官し、 ハーバード大学の兵器局計算プロジェクトに配属される。 ここで Harvard Mark I の最初期のプログラマの一人となり、 続く Mark II・Mark III にも携わった。 Mark I の運用マニュアルを書いたのも彼女である ── 計算機の取扱説明書という文書形式が、 ここで生まれた。

コンパイラ

1949年、 ホッパーは Eckert-Mauchly Computer Corporation に移る。 最初の商用電子計算機 UNIVAC I を作っていた会社である。 上級プログラマとしてコンパイラに関する最初の論文を発表し、 1952年には A-0 と呼ばれるシステムを動かした。 現代の用語で言えばこれはリンカ/ローダに近く、 当時それがコンパイラと呼ばれていた ── 大統領自由勲章の顕彰文は端的に「彼女は最初のコンパイラを作った」と書くが、 実態は「コンパイラ」という語の意味がまだ定まっていない時期の仕事である。 海軍の公式伝記は、 より慎重に「コンパイラに関する最初の論文を発表した」と記す。

1954年、 彼女は同社の自動プログラミング部門の初代責任者となった。 部門が出したのが MATH-MATIC と FLOW-MATIC である。 FLOW-MATIC の狙いは明快だった ── 数学者ではない事務処理の担当者が読める記法にすること。

COBOL との関係

1959年、 米国防総省の招集により CODASYL が事務処理向け共通言語の策定に着手する。 COBOL の最初の仕様 が着想の源として挙げるのは FLOW-MATIC、 IBM の Commercial Translator、 AIMACO の三つで、 ホッパーは CODASYL の技術顧問を務めた。

彼女は COBOL を書いていない。 仕様を書いたのは短期委員会(Short Range Committee)であり、 彼女はその委員ではない。 「COBOL の母」という通称は、 彼女が実際にしたこと ── COBOL が引き継いだ設計思想を先に作り、 その後10年にわたって普及を推し進めたこと ── を、 むしろ小さく見せる。

虫と、 ナノ秒

1947年、 ハーバードの Mark II の継電器に蛾が挟まって機械が止まった。 チームはその蛾をテープで作業日誌に貼り付け、 傍らに first actual case of bug being found と書いた。 日誌は現在スミソニアン国立アメリカ歴史博物館にある。

ただし、 スミソニアンの目録はこの逸話を正確に位置づけている。 「bug」は彼女の造語ではない。 機械の不具合を bug と呼ぶ習慣は Edison が1870年代に使っていた時点まで遡り、 この日誌もおそらく彼女のものではない。 スミソニアンが彼女に帰しているのは、 語を作ったことではなく、 Mark II のチームとともに bug と debug という語を広めたことである。

もう一つ有名なのが「ナノ秒」の実演である。 通信衛星がなぜ遅いのかと将官に問われた彼女は、 1フィートにわずかに足りない長さ ── 約30cm、 光が1ナノ秒に進む距離 ── の電線を配って回った。 目に見えない量を手に持たせる、 という教え方だった。

海軍での経歴と栄誉

1966年末、 60歳・中佐で予備役を退いたが、 翌年召集され、 以後は現役に留まる。 1973年に大佐、 1983年に大統領指名で准将(commodore)。 1985年11月、 この階級の呼称が rear admiral(lower half、 少将下位)へ変更され、 彼女の階級名も改まった。 1986年8月14日、 79歳で退役した時点で、 米海軍で最年長の現役任官士官だった。 退役式は USS Constitution 艦上で行われ、 国防殊勲章が授与されている。

  • 1969年 DPMA「Man of the Year」初代受賞者
  • 1971年 ACM が Grace Murray Hopper Award を創設
  • 1973年 全米工学アカデミー会員、 および英国コンピュータ協会 Distinguished Fellow(米国人として初、 国籍を問わず女性として初)
  • 1991年 米国国家技術賞
  • 2016年11月22日 大統領自由勲章(追贈)

影響

イージス駆逐艦 USS Hopper(DDG-70)は彼女の名を冠する。 女性技術者の年次大会 Grace Hopper Celebration も同じである。

彼女が主張し続けたのは、 一つのことだった ── プログラミング言語は計算機に合わせるのではなく、 それを使う人間の職業に合わせて作るべきである。 事務処理には事務処理の語彙がある、 という主張から COBOL は生まれ、 65年を超えて基幹系で動き続けている。 現在の高級言語がすべて前提にしている「翻訳層を挟む」という発想も、 A-0 から数えて70年以上、 一度も外されていない。

関連する出来事

  1. UNIVAC I 受領 ── 計算機が製品になった日
  2. A-0 システム ── 「コンパイラ」という語がまだ別の意味だった頃
  3. COBOL 仕様策定

最終更新:

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