人物 :: PERSON
ドナルド・D・チェンバリン
Raymond Boyce とともに SQL の原型 SEQUEL を設計した IBM の研究者。1944年サンノゼ生まれ。ハーヴィー・マッド・カレッジで工学を学び、スタンフォード大学で電気工学の博士号を取って1971年に IBM のワトソン研究所へ入った。当初の担当はタイムシェアリング OS だったが、計画の統合を機にデータベースへ移り、1973年にサンノゼへ移って System R の管理者の一人となる。のちに文書処理システム Quill、DB2 の解説書、W3C の XQuery 1.0(2007年勧告)の編集に携わった。2003年 IBM フェロー、2009年 IBM 退職。2018年には JSON 向けの SQL++ の入門書を書いた。

プロフィール
- 生年
- 1944
- 存命
- 存命
- 在世
- 1944–
- 関連事象
- 01
- 名称
- ENDonald D. ChamberlinJAドナルド・D・チェンバリン
ドナルド・D・チェンバリン(Donald D. Chamberlin、 1944年生まれ)は、 Raymond Boyce とともに、 のちに SQL と呼ばれる言語を設計した人物として知られる。 ただしその仕事は、 1971年に始まる IBM 研究部門での長い経歴のうち数年を占めるにすぎない。 オペレーティングシステムを作るつもりだった電気工学者が、 文書整形の研究に寄り道し、 DB2 の解説書を2冊書き、 W3C の XML 問い合わせ言語の編集者を務め、 70代に入ってからは SQL の利用者に JSON の問い合わせ方を教える手引きを書いた ── そちらの経歴はあまり語られない。 2001年の聞き取りでは、 1971年からずっと研究スタッフのままで「30年あまり一度も昇進していない。 そして私はそれがかなり気に入っている」と冗談めかして語っている。
スプートニク、 キャンベル高校、 ハーヴィー・マッド
カリフォルニア州サンノゼに生まれ、 当時はまだ独自の町並みを残していた隣町キャンベルのキャンベル高校に通った。 父は高校の英語教師で、 のちに校長になった。 母は専業主婦で、 両親とも技術者ではない。
技術の道を選んだきっかけを、 本人は1957年に置いている。 中学2年生(8年生)のときにソ連がスプートニクを打ち上げ、 自分たちの世代にとって技術が国家の優先課題であり、 技術者が足りていないことがはっきりした ── チャールズ・バベッジ研究所の Philip Frana にそう語っている。 機械いじりが好きだった彼は、 1962年、 クレアモントのハーヴィー・マッド・カレッジに入った。 1955年創立の理工系の小さな大学で、 工学を専門分野に分けず一般工学の学位だけを出していた。 1966年に卒業。 本人の記憶では6期生前後だったという。
スタンフォード ── 電気工学、 副専攻に計算機
全米科学財団(NSF)のフェローシップを得てスタンフォード大学の大学院へ進む。 計算機科学科はできたばかりで、 本人は「このコンピュータという商売がものになるか」確信が持てなかったため、 評価の定まった電気工学科を選び、 計算機科学を副専攻にした。 1967年に修士、 1971年に博士。 指導教員は論理回路の最小化や高信頼ハードウェア設計で知られる Ed McCluskey で、 学位論文は今なら「データフロー計算機」と呼ばれる並列計算機の設計だった。 当時スタンフォードの若手教員だった Bill McKeeman からも大きな影響を受けたと述べている。
在学中の夏はヒューレット・パッカード、 ゼネラル・エレクトリック、 パロアルトのロッキード研究所で働いた。 ある夏にはニューヨーク州ヨークタウンハイツの IBM 研究所でインターンをしている。 結婚したばかりで、 夫婦で1962年型のシボレーに乗って大陸を横断し、 それを新婚旅行代わりにした。 その夏の経験が気に入り、 卒業後に同じ研究所へ戻ることになる。
ヨークタウンハイツと System A
1971年、 IBM の T.J. ワトソン研究所に入所する。 担当はデータベースではなく、 インターン時代から関わっていた System A という実験的なタイムシェアリング OS で、 仮想記憶を研究していた。 やがて IBM がこの計画をポキプシーの製品開発部門と統合すると、 彼はヨークタウンに残る道を選ぶ。 取り残された人々のために、 管理者の Leonard Liu がデータベースの研究を始めた。 Liu は部下に論文を読ませて報告させ、 その中にはコッドの関係モデルと、 当時業界の主流と見なされていた CODASYL の仕事の両方が含まれていた。 チェンバリンは CODASYL の言語で問い合わせを書くことを覚える。 データベースが専門になったのは「自分にとっては偶然だった」と後年語っている。
SQUARE、 SEQUEL、 System R は、 それぞれのページへ
転機は1972年、 コッドがヨークタウンで開いたシンポジウムだった。 チェンバリンと Boyce はそこで初めてコッドに会い、 まず SQUARE という問い合わせ記法を設計する。 1973年に IBM がデータベース研究をサンノゼに集約すると、 英語のキーワードで書く言語 SEQUEL を作り、 1974年5月に発表、 System R の試作に組み込んだ。 1977年の商標問題を経て名前は SQL になる。 Boyce の1974年の急逝も含め、 その経緯は SEQUEL と System R のページ にある。 言語は1986年に ANSI 規格となった(SQL 標準のページ)が、 この規格に掲載された委員名簿にチェンバリンの名前はない。
1973年、 彼は Liu、 Frank King、 Boyce、 Vera Watson とともに西海岸へ移り、 翌年には Mike Blasgen と Franco Putzolu が続いた。 チームは発足時でおよそ12人、 最盛期でも20人に満たず、 彼はそれをシステム研究に最適な規模だったと見ている。 名前の由来も覚えている。 計画には名前が要ると King に言われて、 関係型(relational)の R を取って System R とした。 もっとも Putzolu は、 R は自分の飼い犬 Rufus の頭文字だと言い張っていたという。
System R の管理者として
チェンバリンは System R の管理者の一人になった。 のちにコストベースの問い合わせ最適化器を作る Patricia Selinger がハーバードの応用数学の博士号を持って加わったとき、 最初の上司は彼だった(本人いわく「1974年かその頃」)。 計画の総括論文 A History and Evaluation of System R(Communications of the ACM、 1981年10月)の筆頭著者でもある。 1988年、 ACM はソフトウェアシステム賞を System R に贈った。 受賞者として名前が挙がる6人は、 チェンバリンのほか Jim Gray、 Raymond Lorie、 Gianfranco Putzolu、 Patricia Selinger、 Irving Traiger である。
2001年の聞き取りで、 青いスーツを着た社員の大軍という IBM の印象について問われると、 「IBM で31年働いてきたが、 青いスーツを着たことは一度もない」と答えている。
Quill ── 文書処理への寄り道
彼は数年間データベースを離れ、 文書の処理と整形の研究に取り組んだ。 本人はこれを「自分の経歴のもう半分」と呼ぶ。 携わったのは Quill という実験システムで、 SGML の文書を二つの表示で見せ、 利用者がどちらでも操作できるようにした。 一つはマークアップのタグがすべて見えて編集もできる論理的な表示、 もう一つはページの見た目をそのまま映す WYSIWYG の物理的な表示である。 Quill は製品にならなかった。 本人は、 研究のすべてが System R のように成功するわけではないと認めつつ、 タグと見た目を対応させる考え方は Adobe FrameMaker のような道具に生きていると見ている。
DB2 の解説書2冊
1990年代にはアルマデン研究所で DB2 の開発チームに加わっていた。 1998年に出した A Complete Guide to DB2 Universal Database は、 それ以前の著書 Using the New DB2: IBM's Object-Relational Database System を大幅に改訂したものである。 出版社による当時の著者紹介には、 サンタクララ大学のコンピュータ工学の非常勤教授という肩書きも見える。 SQL:1999 と SQL:2003 へのオブジェクト関係拡張や DB2 の仕事で彼と組んだ Michael Carey は、 のちにこの1998年の本を、 SQL とその DB2 での実現を学ぼうとする人にとって最良の本の一つだと評した。
XML、 Quilt、 XQuery
最後の大きな研究主題は、 彼の経歴の二つの半分をつなぐものだった。 2001年の説明によれば、 XML は出版の世界から来た形式で、 銀行口座のように一様なレコードと違い、 文書は一つ一つ形が異なり、 メタデータをタグとして自分の中に抱えている。 だからそれを問い合わせるには新しい種類の言語が要る。 彼は1999年末の発足時から W3C の XML Query ワーキンググループで IBM を代表した。 2000年には Jonathan Robie、 Daniela Florescu とともに Quilt という言語を提案する。 W3C の仕様書は XQuery が Quilt から派生したと明記しており、 2007年1月23日に XQuery 1.0 が W3C 勧告になったとき、 チェンバリンは6人の編集者の一人だった。
2003年に IBM フェローに任命された。 2009年に IBM を退職し、 同じ年にカリフォルニア大学サンタクルーズ校の Regents' Professor に任命されている。
SQL++ と JSON
引退しても、 問い合わせ言語の仕事は終わらなかった。 Carey の序文によれば、 JSON データ向けの SQL 風言語 N1QL を紹介する Couchbase の初期のセミナーに顔を出したことで興味を持ったという。 2018年9月、 Couchbase はチェンバリンの SQL++ For SQL Users: A Tutorial を刊行した。 SQL++ は、 カリフォルニア大学サンディエゴ校の Yannis Papakonstantinou と学生たちが最初に設計した言語で、 SQL にわずかな機能を足して JSON を問い合わせられるようにしたものである。 この手引きは、 SQL を知っている読者にそれを教える。 SQL を最初に設計した一人が、 73歳で、 半構造データへの拡張の入門書を書いたことになる。
受賞と栄誉
1994年に ACM フェロー、 2007年に IEEE フェローとなり、 1997年に米国工学アカデミー(NAE)の会員に選ばれた。 2003年に ACM SIGMOD の Edgar F. Codd Innovations Award、 2005年にチューリッヒ大学の名誉博士号を受け、 2009年にはコンピュータ歴史博物館のフェローに「SQL とデータベースアーキテクチャに関する基礎的な仕事」に対して選ばれている。 IEEE は2026年の John von Neumann Medal の受賞者に SQL の共同発明者として彼を選び、 メダルは2026年4月24日にニューヨークで開かれる授賞式で贈られることになっていた。
関連する出来事
よくある質問
- SQL を発明したのは誰か
- IBM の Donald D. Chamberlin と Raymond Boyce です。二人はコッドの関係モデルを英語のキーワードで問い合わせる言語 SEQUEL を設計し、1974年5月に発表しました。Boyce は同じ年に26歳で亡くなり、SEQUEL は1977年に SQL と改名されています。
- SQL はいつ発明されたのか
- 原型の SEQUEL は1974年5月に論文で公表されました。チェンバリンと Boyce は1972年にコッドのシンポジウムに出たあと、1年かけて関係型の問い合わせ言語の設計を試しています。SQL という名前になったのは1977年です。
- チェンバリンは SQL のあと何をしたのか
- 文書処理システム Quill の研究、DB2 の解説書の執筆を経て、1999年末から W3C の XML Query ワーキンググループで IBM を代表し、XQuery 1.0(2007年勧告)の編集者の一人になりました。2018年には JSON 向けの SQL++ の入門書を書いています。
出典
生い立ちと両親、スプートニク、ハーヴィー・マッド、スタンフォードと McCluskey、夏の就業とインターン、System A、Leonard Liu、1973年の移動、System R の命名と規模、Selinger、Quill、XML Query ワーキンググループ
二次資料Donald Chamberlin — Computer History Museum Fellow, 2009
学位の年、1971年の入社、IBM フェロー(2003年)、UCSC の Regents' Professor(2009年)、ACM・IEEE フェロー、NAE、チューリッヒ大学名誉博士
一次資料XQuery 1.0: An XML Query Language — W3C Recommendation, 23 January 2007
編集者の一覧、Quilt からの派生、Quilt 論文の書誌(Chamberlin・Robie・Florescu、2000年)
一次資料A Complete Guide to DB2 Universal Database — Don Chamberlin, 1998 (Elsevier)
刊行日、前著 Using the New DB2 の改訂であること、当時の著者紹介
一次資料SIGMOD Edgar F. Codd Innovations Award — recipients
受賞年2003年(CHM のプロフィールは1997年としているが、主催者の一覧に従う)
最終更新: