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チャールズ・バベッジ

英国の数学者で、自動計算機の構想を最初に具体的な設計図にした人物。1822年に階差機関を発表し、政府資金で建造を進めたが、技師 Joseph Clement との争いで1833年に工事が止まり、完成部分は全体の約7分の1にとどまった。1834年には、穿孔カードで命令を与え、数を保持する「ストア」と演算を行う「ミル」を分けた解析機関を構想し、生涯改良を続けたが資金は得られなかった。1847〜49年に設計した階差機関第2号は、Science Museum が生誕200年の1991年に計算部を、2002年に印字装置を完成させ、設計どおりに動くことが示された。

チャールズ・バベッジの肖像写真(1860年)
出典Unknown author (Wikimedia Commons) · Public domain · Commons で見る ↗

プロフィール

生年
1791
没年
1871
在世
80 年
関連事象
00
名称
ENCharles BabbageJAチャールズ・バベッジ

チャールズ・バベッジ(Charles Babbage、 1791年12月26日 ── 1871年10月18日)は、 計算を機械に任せるという考えを、 部品の一つひとつまで描いた設計図にした英国の数学者である。 数表を作るための階差機関と、 穿孔カードで命令を与える汎用の解析機関を設計したが、 どちらも生前には完成しなかった。 彼の設計が正しかったことが確かめられたのは死後120年たってからで、 ロンドンの Science Museum が1991年に階差機関第2号の計算部を組み上げた。

経歴

生年は長く1792年とも書かれてきたが、 甥が死亡記事の1週間後に The Times へ1791年12月26日だと投書しており、 1975年に Anthony Hyman がロンドンの St Mary's Newington 教会に1792年1月6日付で出生が登録されているのを見つけたことで1791年に確定した(MacTutor)。 父は銀行家である。

1810年10月にケンブリッジ大学の Trinity College に入学した。 当時のケンブリッジは Newton 流の記法で微積分を教えていたが、 バベッジは大陸の Leibniz 流の記法を好み、 1812年に John Herschel、 George Peacock らと学生の団体 Analytical Society を作って、 Lacroix の微積分の教科書を英訳した(1816年刊)。 1814年に Peterhouse から学位を得て、 1816年に24歳で王立協会フェローに選ばれ、 1820年には王立天文学会の創設に深く関わった。 ケンブリッジ大学のルーカス教授職にも就いている(MacTutor は1827年就任で12年間、 Turing の1950年の論文は1828〜1839年とする)が、 講義はしなかった。 その時間は計算機に注ぎ込まれていた。

階差機関(1822年〜1833年)

19世紀初めの航海士・技師・銀行家は、 印刷された数表に頼って計算していた。 数表は人間の計算者が作り、 計算・転記・植字・印刷のどの段階でも誤りが入った。 Science Museum によれば、 バベッジは1821年、 数表の誤りに苛立って、 友人の Herschel との会合で “I wish to God these calculations had been executed by steam” と言ったという。

彼が選んだ方法は差分法である。 多項式の値の表は、 足し算と引き算だけを繰り返せば次々に作れる。 掛け算より機械にしやすい。 1822年6月14日、 バベッジは王立天文学会で読まれた論文で階差機関を発表した。 MacTutor によれば、 彼はそれまでに小さな試作機を完成させており、 この試作機は n² + n + 41 の値を5分間に約60個のペースで出した。

本格的な機械には政府が資金を出した。 部品は真鍮の歯車・棒・爪車からなり、 数は10歯の車輪の位置で十進法のまま表された。 何百もの同一の精密部品を作る仕事は、 腕の良い職人仕事と量産の中間にあり、 技師の Joseph Clement が担当した。 1832年に約2,000部品からなる一部分が組み上がる ── 設計全体の約7分の1で、 バベッジはこれを人前で動かしてみせた。 しかし1833年、 Clement との争いで工事は止まった。 Science Museum によれば、 財務省がそれまでに支出した額は £17,500 で、 1831年に Robert Stephenson の工場が作った新品の蒸気機関車22両分に当たる。 政府が続行しないと決めたのは、 その9年後の1842年である(MacTutor)。

解析機関(1834年〜)

階差機関が止まっていた1834年、 バベッジはもっと野心的な機械を考え始めた。 解析機関は、 一つの決まった計算ではなく、 与えられたどんな計算でも実行することを目指した。

その構成は、 今のコンピュータを知る人には見覚えがある:

部分役割今日の言い方
ストア(store)数と途中の結果を保持する。 50桁の数を1,000個(MacTutor)メモリ
ミル(mill)演算を行う演算装置
穿孔カード演算の順序を指示する。 Jacquard 織機が模様を織るのに使った方式プログラム
印字・カード出力結果を出す。 カードに出して後で読み戻せば容量を実質的に増やせる出力・外部記憶

ストアとミルを分けたことについて、 Science Museum は現代のコンピュータの内部構成の基本的な特徴だと書いている。 完成していれば小型の蒸気機関車ほどの大きさで、 蒸気で動くはずだった。 バベッジは何通りもの版を設計して生涯改良を続けたが、 階差機関の経験から政府には頼らず、 資金は最後まで得られなかった。 1871年に死去したとき、 ミルの一部の試作品が製作の途中だった。

Alan Turing は1950年の論文 Computing Machinery and Intelligence で、 解析機関を「ディジタル計算機」の先駆けとして紹介し、 “Although Babbage had all the essential ideas” と書いたうえで、 完全に機械式だったことから、 電気を使うかどうかは理論上重要でないという論点を引き出している。

Menabrea と Lovelace

1840年、 バベッジはトリノを訪れ、 現地の数学者たちと解析機関について議論した。 その一人で軍の技術将校だった L. F. Menabrea が資料をまとめ、 1842年10月にジュネーブの雑誌にフランス語で発表した。 これを英訳し、 原文の約3倍の長さの注釈を付けて1843年に出したのが エイダ・ラブレス である。 バベッジは自伝『Passages from the Life of a Philosopher』(1864年)で、 注釈を付けるよう勧めたのは自分だったと書いている。 注釈のうちどこまでがラブレス自身の仕事かという論争は、 彼女のページにまとめた。

階差機関第2号 ── 1991年に動いた設計

1847年から1849年にかけて、 バベッジは解析機関のために考えた技術を使って階差機関を設計し直した。 階差機関第2号は最初の機械の約3分の1の部品で同じ仕事をする。 ただし彼はこれを作ろうとはしなかった。

Science Museum は1985年に建造に着手した。 博物館が持つバベッジの模型・部品と、 彼の計算機に関する技術資料のほぼすべてを収めた Babbage 文書を使い、 当時の計算機担当学芸員 Doron Swade が指揮した。 生誕200年の展示に合わせて1991年に計算部が完成し、 2002年に印字装置が加わった。 Computer History Museum によれば、 完成した機械は部品8,000点、 重さ5トン、 長さ11フィート(約3.4メートル)で、 設計から153年後の完成だった。 動力は蒸気ではなく手回しのクランクである。 博物館はもう1台を作り、 長年カリフォルニアの Computer History Museum で展示されていた。

その後、 Swade らは2011年までに解析機関の試作を目指す Plan 28 を立ち上げ、 Science Museum は Babbage 文書をデジタル化した。 2016年には目録とともに7,700点を超える画像がオンラインで公開されている。

評価

バベッジの計算機は、 どれも彼の生前には動かなかった。 同時代の政府にとって、 最初の階差機関は高くついた失敗だった。 それでも、 彼が残した設計図・ノート・試作部品は、 プログラムで制御され、 記憶と演算を分けた汎用機械という考えが19世紀前半にすでに紙の上にあったことを示している。 そして1991年の第2号は、 その設計が当時の工作精度でも作れるものだったことを、 実物で確かめた。

ほかに、 1830年の『Reflections on the Decline of Science in England』は英国の科学界のあり方を批判し、 翌年の英国科学振興協会の設立につながった(MacTutor)。

よくある質問

チャールズ・バベッジは何をした人か
数表を機械で作るための階差機関(1822年発表)と、穿孔カードで命令を与える汎用の解析機関(1834年に構想)を設計した英国の数学者です。数を保持するストアと演算を行うミルを分けた解析機関の構成は、現代のコンピュータの内部構成と同じ考え方だと Science Museum は説明しています。
バベッジの機械は完成したのか
生前にはどれも完成しませんでした。最初の階差機関は1833年に工事が止まり、約7分の1の部分だけが組み上がりました。解析機関はミルの一部の試作が死去時に製作中でした。階差機関第2号は Science Museum が設計図に基づいて建造し、1991年に計算部、2002年に印字装置を完成させています。
階差機関第2号はどれくらいの大きさか
Computer History Museum によれば、部品は8,000点、重さ5トン、長さ11フィート(約3.4メートル)です。蒸気ではなく手回しのクランクで動きます。
バベッジとエイダ・ラブレスの関係は
二人は1833年6月に出会い、ラブレスは小さな階差機関の実演を見て以来の友人でした。1843年、彼女は Menabrea による解析機関の解説論文を英訳し、原文の約3倍の長さの注釈を付けて発表しました。注釈を付けるよう勧めたのはバベッジだったと、本人が自伝に書いています。

出典

  1. 一次資料Charles Babbage's Difference Engines and the Science Museum — Science Museum, published 18 July 2023

    1822年6月14日の発表、Clement による約2,000部品の部分(1832年完成、全体の約7分の1)、1833年の中断と£17,500、1834年の解析機関、ストアとミル、階差機関第2号(1847〜49年設計、1985年着手、1991年に第1段階、2002年に印字装置、Doron Swade)

    取得日: 2026-10-26

  2. 一次資料The Babbage Engine — Computer History Museum

    階差機関第2号は8,000部品・5トン・長さ11フィート、2002年にロンドンで完成、設計から153年後

    取得日: 2026-10-26

  3. 一次資料Babbage, Charles. Passages from the Life of a Philosopher (London: Longman, 1864) — Project Gutenberg eBook #57532

    Lovelace に注釈を付けるよう勧めた経緯と、ベルヌーイ数の部分についての記述

    取得日: 2026-10-26

  4. 一次資料Turing, A. M. Computing Machinery and Intelligence. Mind, October 1950, pp. 433-460

    第5節の解析機関への言及(ルーカス教授職を1828〜1839年とする)

    取得日: 2026-10-26

  5. 二次資料O'Connor, J. J. & Robertson, E. F. Charles Babbage (1791 - 1871) — MacTutor History of Mathematics Archive, University of St Andrews

    生年の確定(Hyman 1975)、Analytical Society、ルーカス教授職、政府資金と1842年の打ち切り、ストアの容量

    取得日: 2026-10-26

  6. 三次資料Charles Babbage — Wikipedia

    取得日: 2026-10-26

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