人物 :: PERSON
エドガー・F・コッド
関係モデルの考案者。IBM サンノゼ研究所から1969年の社内報告と1970年の CACM 論文を出し、データの物理的な格納方法とそれを問う言語とを切り離す枠組みに数学の裏付けを与えた。英空軍の飛行中尉、STRETCH の多重プログラミング、自己増殖オートマトンの簡約という前歴を持つ。IBM は既存製品 IMS の収益を守って商品化に踏み切らず、Oracle と Ingres が先に市場へ出た。1981年 ACM チューリング賞。1985年に「本当に関係型か」を判定する規則を Computerworld に発表し、OLAP という語も彼の造語である。
プロフィール
- 生年
- 1923
- 没年
- 2003
- 在世
- 80 年
- 関連事象
- 01
- 名称
- ENEdgar F. CoddJAエドガー・F・コッド
エドガー・フランク・「テッド」・コッド(Edgar Frank "Ted" Codd、 1923年8月19日 ── 2003年4月18日)は、 データの格納方法とデータの問い方とを切り離すという着想を、 一人で数学の水準まで引き上げた研究者である。 1970年の CACM 論文 は出発点にすぎない。 残りの人生の大半は、 その着想を業界に ── まず自分の勤務先に ── 受け入れさせるための交渉に費やされた。
経歴
イングランド南岸ドーセット州のポートランド島に、 7人きょうだいの末子として生まれた。 父は革製造業、 母は教師。 オックスフォード大学 Exeter College に給費生として進み化学を読んだが、 1942年、 学業による徴兵猶予の資格を持ちながら志願し、 英空軍沿岸軍団の飛行中尉として飛行艇 Sunderland に乗った。 復学後は専攻を数学に変え、 1948年に学位を得ている。
同年渡米。 ニューヨークで短期間デパートに勤め、 テネシー大学で半年間数学を教えたのち、 1949年に IBM へ入社した。 最初の担当は SSEC のプログラミングで、 続いて IBM 701 の設計に加わる。 1953年、 マッカーシズムへの抗議として IBM と米国を離れ、 カナダ・オタワの Computing Devices of Canada でデータ処理部門を率いた。 1957年に IBM へ復帰し、 ポキプシーで STRETCH(IBM 7030)に携わり、 世界初とされる多重プログラミングシステムを開発するチームを率いている。 1961年からはミシガン大学に学び、 1965年に博士号を取得。 学位論文は von Neumann の自己増殖オートマトンの簡約で、 必要な状態数を29から8まで減らせることを示した(1968年に Cellular Automata として刊行)。
1968年から1972年へ
1968年、 コッドは IBM サンノゼ研究所へ移り、 データベースへ関心を向ける。 翌1969年に社内報告 Derivability, Redundancy and Consistency of Relations Stored in Large Data Banks を、 1970年に CACM 論文を出した。
1970年の論文だけを見て彼の仕事を語ることはできない。 この論文が定義したのは置換・射影・結合・合成・制限の5演算であり、 言語については a universal data sublanguage based on an applied predicate calculus ── 応用述語論理の上に立つ普遍的なデータ副言語 ── の構想を述べたにとどまる。 「関係代数」「関係計算」「関数従属性」という語はここには一度も現れない。 正規化を関数従属性の言葉で組み直した Further Normalization of the Data Base Relational Model は1971年、 関係代数と関係計算の等価性を示す Relational Completeness of Data Base Sublanguages は1972年である。 教科書に載る「コッドの理論」は、 三年がかりで積み上がった。
IBM の15年
IBM の反応は冷ややかだった。 チューリング賞に付された伝記(著者は C. J. Date)は、 既存の非関係型製品 IMS の収益を守りたかったことを理由に挙げ、 IBM は当初この構想を受け入れようとせず、 敵対的といってよい態度だったと書いている。 結果として、 Relational Software Inc.(のちの Oracle)と Relational Technology Inc.(のちの Ingres)が IBM に先んじて製品を市場に出した ── Oracle V2 の出荷は1979年6月、 IBM の SQL/DS は1981年、 DB2 は1983年である。
しかもその IBM 製品は、 コッドから見れば関係モデルの実装として不完全だった。 System R が採用した SEQUEL(のちの SQL)は、 彼自身が設計した問い合わせ言語 Alpha ではない。 1984年、 コッドは IBM を辞める。
13の規則
1985年10月14日と21日、 コッドは Computerworld 誌に二回に分けて記事を書いた。 前編の題は "Is your DBMS really relational?"。 「関係型」を名乗るベンダーが急増したことへの反撃であり、 判定基準を規則の形で示した。 通称は「12の規則」だが、 実際には0番から12番までの13条ある。 冒頭の Rule Zero は、 関係型を名乗る以上、 データベースの管理はすべて関係型の機能を通じて行えなければならない、 と要求する。 後編では実在する三製品を実際にこの基準にかけた。
晩年は分析用途への拡張に向かい、 OLAP(On-Line Analytical Processing)という語を作っている。
受賞・栄誉
- 1974年 英国コンピュータ協会フェロー
- 1976年 IBM フェロー
- 1981年 ACM チューリング賞。 受賞理由は「データベース管理システムの理論と実践への根本的かつ継続的な貢献に対して」
- 1981年 全米工学アカデミー会員
- 1996年 IEEE Computer Pioneer Award
- 2004年、 ACM SIGMOD は年次の革新賞を SIGMOD Edgar F. Codd Innovations Award と改称した。 SIGMOD の前身 SICFIDET は1970年にコッド自身が設立した組織である
影響
コッドは2003年4月18日、 フロリダ州ウィリアムズ島で没した。 現金化されたのは彼ではなく業界のほうで、 年間数百億ドル規模に育った関係データベース市場から、 彼が直接の利益を得ることはなかった。
彼が残したのは製品ではなく判定基準である。 「これは本当に関係型か」という問いを、 感想ではなく検査として立てられるようにしたこと ── そこに1970年代以降のデータベース工学が科学として成立した理由がある。 SQL は彼の設計ではなく、 その意味で彼の勝利は完全ではない。 それでも、 現金自動預払機も航空券の予約も、 いまだにコッドが1970年に書いた枠組みの上で動いている。
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