T1
パーセプトロン公開 ── Frank Rosenblatt

メタデータ
- 日付
- 年代
- 1950s
- Tier
- T1
- 参照年表
- AIの歴史
- 出典数
- 05
- 関連項目
- 04
パーセプトロンを世に紹介した実演には、 パーセプトロンの専用機は登場しない。 コーネル大学の広報誌 Cornell Chronicle がのちに再構成したところでは、 米海軍研究局(ONR)が記者たちに見せたのは IBM 704 ──「重さ5トン、 部屋ほどの大きさの計算機」── にパンチカードを次々と読ませる場面だった。 50回の試行のあと、 この計算機は左側に印のあるカードと右側に印のあるカードを見分けることを自ら覚えていた。
学習は本物だった。 だが動いていたのは汎用の大型計算機上のシミュレーションである。 この考えの象徴となる専用機 Mark I Perceptron は、 まだ先の話だった。 この2つを分けておくことが、 1958年7月を正しく読む最初の一歩になる。
1958年7月のパーセプトロン発表
研究の主は、 ニューヨーク州バッファローの Cornell Aeronautical Laboratory(コーネル航空研究所)の心理学者 Frank Rosenblatt で、 発表したのはコーネルではなく海軍だった。 報道の反応は、 カード仕分けの実演にしては大きすぎた。 The New York Times はこれを「NEW NAVY DEVICE LEARNS BY DOING: Psychologist Shows Embryo of Computer Designed to Read and Grow Wiser」(海軍の新装置、 やりながら学ぶ ── 心理学者が、 読み、 賢くなるよう設計された計算機の胚を披露)という見出しで報じた。 コーネル側の記録によれば、 Rosenblatt 自身もパーセプトロンを「独創的な考えを持つことのできる最初の機械」と呼んでいる。
同じ年、 Rosenblatt は理論を Psychological Review 第65巻第6号(386〜408頁)に発表した。 題は「The perceptron: A probabilistic model for information storage and organization in the brain」(パーセプトロン ── 脳における情報の蓄積と組織化の確率論的モデル)。 彼が何をしているつもりだったかが題に表れている。 パーセプトロンはまず脳のモデルとして提示され、 工学的な装置であることは二の次だった。
Rosenblatt の経歴、 学習則と収束定理の詳細、 のちの Marvin Minsky との論争は Rosenblatt 本人のページ で扱っている。 このページは発表という出来事と、 その後に組まれた機械に絞る。
学習の考え方をひと段落で
パーセプトロンは複数の入力を受け取り、 それぞれに重みを掛けて足し合わせ、 和が閾値を超えればオンになる。 答えを誤ったら、 正しい答えが出る方向へ重みを動かす。 これを多くの例について繰り返すと、 カテゴリーが直線や平面で分けられる問題であれば、 重みは解に落ち着く。 「左」や「右」の印について何もプログラムされていない。 区別は重みの中に蓄積される。 IBM 704 が「自ら覚えた」というのは、 この意味においてである。
Mark I Perceptron の内部
ハードウェアについての最良の記述は『Mark I Perceptron Operators' Manual』(操作マニュアル)である。 コーネル航空研究所が1960年2月15日、 海軍研究局の契約 Nonr-2381(00) のもとで報告書 VG-1196-G-5 として出したもので、 認知システム部門の長として Rosenblatt が承認の署名をしている。 マニュアルは Mark I を「パターンの学習と認識の装置」と呼び、 限られた種類のパーセプトロン ── 互いに結合しない連合ユニットを1層だけ持つもの ── を直接研究するための実験道具だと位置づけている。
機械は3種類のユニットからなる。
| 層 | マニュアルの記述 |
|---|---|
| 感覚(S)ユニット | 改造したビューカメラのフィルム面に、 20×20に並べた400個の光抵抗素子。 同じく20×20のネオンランプがどの素子がオンかを示し、 20×20のスイッチ列でカメラの代わりに入力を作ることもできる |
| 連合(A)ユニット | 512個。 S ユニットとはプラグボードを介して、 実質的にランダムな配線でつながる |
| 応答(R)ユニット | 接続された A ユニットからの信号の和が閾値を超えるとオンになる |
記憶は機械仕掛けである。 各 A ユニットの出力は小さな直流モーターにつながったポテンショメータを通り、 マニュアルは「512個すべての A ユニットのポテンショメータのワイパーの位置が、 パーセプトロンの記憶を構成する」と書く。 学習とは、 モーターがつまみを回すことだった。 動きは遅く ── 最大の帰還電圧でも毎分およそ16分の1回転 ── そして音がした。 記憶を消去する手順は、 段階ごとに10分ほど、 A ユニットのモーター音が「聞こえなくなる」まで待つよう指示している。 実験では、 カメラから光センサーの盤を外して遮光箱の一端に取り付け、 反対側からスライド映写機で図形を投影することもできた。
機械に教える3つの方法
マニュアルは3つの訓練手順を示しており、 それはいまも使われる区分にそのまま対応する。
- 強制学習: 刺激ごとに、 操作者が応答ユニットを望む値に切り替え、 機械はそのとき活動している A ユニットを強化する
- 誤り訂正: 機械にまず自分で応答させ、 間違えた応答ユニットにだけ訂正の強化をかける。 マニュアルは、 こちらのほうが「一般によりよい学習につながる」と書く
- 自発学習: 機械に任せておくと、 パーセプトロンは見せられたパターンを「自分で形成した分類基準で」いくつかのクラスに分ける
最初の2つはいまの言葉で教師あり学習、 3つ目は教師なし学習の初期の形にあたる。 どちらの考えも、 1960年の時点でハードウェアとして存在していた。
パーセプトロンが示したこと、 示さなかったこと
Mark I が調整できる重みは、 A ユニットと R ユニットの間の1層だけで、 S から A への配線はランダムに固定されていた。 それが訓練を可能にし、 同時に学べることの範囲を限った。 その限界の最も有名な定式化は1969年の Minsky と Papert の『Perceptrons』である。 この本が何を証明したのか、 本当に研究資金を断ち切ったのかという議論は、 Rosenblatt のページと、 AI の年表の第一次 AI の冬の周辺にまとめてある。
1958年の発表が確立したのは、 もっと狭く、 もっと長く残ることだった。 機械が明示的な規則からではなく、 例と訂正から区別を身につけられる、 ということである。 いまのニューラルネットワークの1つのユニットの算術 ── 重み付き和、 非線形性、 誤差による更新 ── は、 この形をはっきりと受け継いでいる。 多層を訓練可能にする段階は、 のちに誤差逆伝播法と Geoffrey Hinton らの仕事によって訪れ、 それが主流になる段階は 2012年の ImageNet によって訪れた。
Mark I はいまどこにあるか
Cornell Chronicle は、 Mark I Perceptron がいまスミソニアン協会にあると記している。 Smithsonian 誌は2026年、 所蔵品としてこの機械を取り上げ、 画像を知覚し分類するよう設計された、 400個の光センサーを並べた部屋ほどの大きさの格子と描写した。 このページに掲げた構成図は、 1960年の操作マニュアルの図2である。
AI という名前が付いた ダートマス会議 の2年後に置かれたこの出来事が、 分野の草創期のどこに位置するかは AI の年表 を参照。
よくある質問
- 1958年のパーセプトロンの実演では何が動いていたのですか。
- 記者発表の実演は IBM 704 上のシミュレーションで、左右に印を付けたカードを50回ほどの試行で区別できるようになるというものでした。400個の光センサーを持つ専用機 Mark I Perceptron は、これとは別に同研究所で組まれた電気機械式のハードウェアです。
- Frank Rosenblatt はどこの所属だったのですか。
- Cornell 航空研究所(Cornell Aeronautical Laboratory)の研究者です。発表を行ったのは米海軍研究局で、理論は同じ年の Psychological Review 誌 65巻6号 386–408頁に載っています。
出典
20×20に並べた400個の光センサー(光抵抗素子)、512個の A ユニット、重みを保持するモーター駆動ポテンショメータ、海軍研究局の契約番号
Mark I Perceptron がスミソニアンの所蔵品であること
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