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Integrated Data Store ── GE の Bachman が作った最初の DBMS

GE-225 コンピュータの操作を学ぶウェストポイントの士官候補生(1963年)。IDS の試作版はこの GE 225 で動いた
出典Warren K. Leffler, U.S. News & World Report Magazine Photograph Collection, Library of Congress (Wikimedia Commons) · Public domain · Commons で見る ↗

メタデータ

日付
年代
1960s
Tier
T1
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06
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1963年、 General Electric(GE) 社内の小さなチームが、 アプリケーションとディスクのあいだに割って入るプログラムを動かしていた。 アプリケーションはもうディスク上のファイルに直接触れない。 レコードの格納も検索も更新も削除も、 すべてこのプログラムへの呼び出しで行う。 名前は Integrated Data Store(IDS)、 設計者は Charles W. Bachman である。

当時、 誰もこれを「データベース管理システム」とは呼んでいない。 その言葉がまだ分野として成立していなかったからだ。 IDS をもっとも丁寧に調べた歴史家 Thomas Haigh は「最初」という判定に慎重で、 IDS がそれ以前のファイル管理・帳票生成ソフトの上に築かれたことを明記している。 そのうえでの結論ははっきりしている ── 「最初のデータベース管理システム」の称号に値するものがあるとすれば、 それは明らかに IDS である、 と。

IDS が生まれた事情 ── GE の「統合システム」計画

Bachman は Dow Chemical で10年働き、 最後は全社のデータ処理部門を率いていた。 1960年に GE へ移り、 ニューヨークの生産管理サービス部門に配属される。 オペレーションズ・リサーチやシミュレーション、 自動化といった新手法を、 GE の多数の事業部に横展開できるか試すのが仕事だった。

1960年代初頭の企業コンピューティングの夢は「完全統合型の経営情報システム」だった。 販売・会計・在庫・生産を一つのシステムで結び、 経営者が先週のバッチ結果ではなく現在の数字を見られるようにする。 ところが試みはほとんど失敗した。 業務ごとにファイルを磁気テープで持ち、 その形式はそれぞれのプログラムのコードが決めていた。 二つの業務をつなぐには一方の出力テープを他方の入力にするしかなく、 項目を一つ変えれば、 そのファイルを読むすべてのプログラムを書き直すことになった。

Bachman のグループはそれでも統合システムを作ろうとしていた。 製造情報管理システム MIACS(Manufacturing Information and Control System) で、 試験場はフィラデルフィアの GE 工場である。 Haigh の2016年の記事は、 試作の場を同社の低圧開閉装置(Low Voltage Switch Gear) 部門としている。 生産計画・発注・受入・在庫・部品展開を、 1台の GE 225、 メモリにして 40KB 相当の機械で回さなければならなかった。 ディスク装置は登場していたが、 当時のシステムソフトはその使い方をほとんど助けてくれない。 目的のレコードがディスクのどこにあるかを突き止めることこそが難所で、 効率よくこなせるのは一握りの熟練者だけだった。

Bachman の答えが IDS だった。 ディスクの扱いを一度だけ作って一か所に置き、 すべてのアプリケーションにそこを通らせる。

IDS は何をしたのか ── 呼び出し・メタデータ・レコード間の連鎖

Haigh が GE の社内文書から復元した経緯は具体的だ。 詳細な機能仕様は 1962年1月までに完成し、 同年5月には社内の利用部門に計画を説明している。 最初の試作版は 1963年初めに稼働し、 GE 独自の言語 GECOM から呼び出された。 Bachman が Haigh に語ったところでは、 試作の導入は 1963年夏に実データで試験され、 同じ仕事をする専用開発の生産管理システムの2倍の速さで動いた。 速度とメモリのためにアプリケーション側をアセンブリ言語へ移した高性能版が、 1964年に続く。

史家たちが IDS を「気の利いたファイル操作ライブラリ」ではなく DBMS と呼ぶ理由は三つある。

  • プログラムはファイルに触れない。 アプリケーションは IDS を呼び、 操作は IDS が代わりに行う
  • メタデータをプログラムの外に持つ。 IDS はレコード型と、 その間の関係 ── たとえば顧客とその注文 ── の記述を自分で保持した。 最初の版ではデータ記述言語ではなく、 専用書式のパンチカードでこれを与えたが、 既存のレコードを消さずに新しい要素を追加できた
  • 関係そのものを格納構造に組み込む。 レコードは連鎖でつながれ、 プログラムは親レコードから子レコードへ、 また戻ってと辿れる。 これがのちにネットワーク型データモデルと呼ばれるものである。 Bachman はこれを独自の図法 ── データ構造図 ── で描いた。 ACM の評伝は、 今日の設計者がテーブル同士のつながりを描く図をこの図法の直系の子孫としている

IDS は Bachman 設計の小さなトランザクション制御プログラム Problem Controller と組で動いた。 両者で約 4,000 語のメモリを占め、 機械全体のメモリは 8,000 語しかないこともあった。 つまりコンピュータをほぼ丸ごと占有した。 利用者が「問題」を投入すると、 Problem Controller が優先度順に対応するアプリケーションを読み込んで実行する。

欠けていたものも示唆的だ。 最初の版にはバックアップと回復の仕組みがなく、 これは 1964年、 最初の本番導入を担った International General Electric のチームが追加した。 各トランザクションの開始と、 変更前後のデータベースページをテープに記録し、 途中で失敗しても一貫した状態に戻せるようにしたのである。 最初のパッケージ版にはアクセス制御も、 プログラムを書かずに臨時の問い合わせを投げる手段もなかった。

GE の製品へ、 そして Weyerhaeuser と IDMS へ

GE は 1964年10月、 自社コンピュータの顧客向けにサポート付きパッケージとして IDS を公式に発表した。 当時のメーカー製ソフトの慣行どおり、 ハードウェアに付けて追加料金なしで提供された。 なお Wikipedia は発売機種を GE 235 とし、 Haigh は GE 225 と書く。 いずれも GE 200 シリーズの機種である。

社外の大型案件もすぐに続いた。 GE が木材大手 Weyerhaeuser 向けに作った WEYCOS は、 Haigh によれば 1965年までに全面稼働していた。 IDS と Problem Controller を、 全米のテレタイプ端末とつながった計算機の上で動かし、 遠隔の事業所から直接レコードを更新したり照会したりできた。 Weyerhaeuser は受注処理が数週間から数日に縮んだと評価している。

もっとも長く生き延びた子孫は、 横道から生まれた。 GE のユーザーだった B.F. Goodrich Chemical が GE 225 版のソースコードを受け取り、 その後 Goodrich の経営陣が IBM 機への統一を決めると、 同社の Dick Schubert が IDS を IBM System/360 へ移植した ── と Bachman は回想している。 これが Cullinane 社の IDMS になる。 Haigh は、 IDMS が2014年にも Computer Associates から新リリースを出していたと記している。

商業的には、 IDS は載っている機械に足を引っ張られた。 Haigh は IDS を IBM の IMS より柔軟で、 数年早かったと評する。 しかし GE のコンピュータ市場でのシェアは IBM の10分の1にも満たず、 当時のソフトは自社の機械でしか動かなかった。

IDS が後のすべてのデータベースに残したもの

IDS が広まったのは販売ではなく標準化委員会を通じてだった。 Bachman は CODASYL のデータベース・タスクグループ(DBTG) に加わり、 その報告書は IDS の設計をネットワーク型データモデルの標準案へと仕立て直した。 「データベース管理システム」という概念と、 データを定義する言語と操作する言語を分ける考え方を広めたのは、 個々の製品よりもこの委員会である。

1973年、 Bachman は ACM チューリング賞を受けた。 ACM の評伝によれば、 博士号を持たない最初の受賞者であり、 工学出身の最初の受賞者であり、 特定のソフトウェアで受賞した最初の人物だった。 受賞講演「The Programmer as Navigator(航海士としてのプログラマ)」は、 プログラムがレコードの網の中を航行するという、 ネットワーク型の世界観をそのまま表していた。

その世界観はすでに挑戦を受けていた。 1970年の Codd の関係モデルは、 アプリケーションはどのポインタを辿るかではなく、 どのデータが欲しいかだけを述べるべきだと主張した。 両陣営は 1974年の ACM のワークショップで討論し、 これは分野の節目として記憶されている。 1990年代の終わりまでに、 関係型システムは CODASYL 系を追い越した。

それでも、 Bachman が DBMS に与えた形はデータモデルより長く残った。 格納されたデータを一つのソフトウェアが所有し、 その記述を自ら保持し、 すべてのプログラムのアクセスを仲介し、 レコード間の関係を守らせる。 関係データベースはこの型を引き継ぎ、 関係の表現を問い合わせと参照整合性制約へ移しただけである。 設計者がテーブルを線でつなぐ図は、 Bachman が MIACS のために描いた図の末裔にあたる。

よくある質問

最初のデータベース管理システムは何か
General Electric の Charles Bachman が設計した Integrated Data Store(IDS)だとするのが通説です。試作版は1963年初めに動き、同年夏に実データで試験されました。「最初」の判定には主観が入ると史家 Thomas Haigh は断ったうえで、その称号に値するのは IDS だと結論しています。
データベースを発明したのは誰か
単独の発明者を挙げるなら Charles W. Bachman です。GE で IDS を設計し、その業績で1973年に ACM チューリング賞を受けました。ただし IDS は小さなチームで作られ、それ以前のファイル管理・帳票生成システムの上に築かれています。
IDS が製品として出たのはいつか
GE は1964年10月、自社コンピュータの顧客向けにサポート付きパッケージとして IDS を発表しました。当時のメーカー製ソフトウェアの慣行どおり、ハードウェアに付けて追加料金なしで提供されました。

出典

  1. 二次資料How Charles Bachman Invented the DBMS, a Foundation of Our Digital World — Thomas Haigh, Communications of the ACM 59(7), July 2016

    1962年1月の機能仕様、1963年初めの試作稼働と夏の実データ試験、GECOM とアセンブリ、Problem Controller と 4,000 語、1964年の回復機能、「最初の DBMS」の評価

    取得日: 2026-10-03[archived]

  2. 二次資料Charles W. Bachman: Database Software Pioneer — Thomas Haigh, IEEE Annals of the History of Computing 33(4), Oct–Dec 2011

    フィラデルフィアの工場、GE 225、1964年10月の製品発表、WEYCOS(1965年)、IMS との比較

    取得日: 2026-10-03

  3. 一次資料An Interview with Charles W. Bachman, conducted by Thomas Haigh, 25–26 September 2004 (Charles Babbage Institute / ACM SIGMOD)

    B.F. Goodrich による IBM 360 への移植(IDMS の起源)についての本人の証言

    取得日: 2026-10-03

  4. 二次資料Charles W. Bachman — A.M. Turing Award Laureate (biography by Tom Haigh)

    経歴(Dow Chemical、1960年の GE 入社)、MIACS、40KB 相当のメモリ、1973年チューリング賞、1974年の Codd との討論

    取得日: 2026-10-03[archived]

  5. 三次資料Integrated Data Store — Wikipedia

    取得日: 2026-10-03

  6. 三次資料Charles Bachman — Wikipedia

    取得日: 2026-10-03

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