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Oracle V2 出荷 ── 史上初の商用 SQL リレーショナル DB

メタデータ
- 日付
- 年代
- 1970s
- Tier
- T1
- 参照年表
- データベースの歴史
- 出典数
- 05
- 関連項目
- 02
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1979年6月、シリコンバレーの小さなスタートアップが、リレーショナル DBMS「Oracle」のバージョン 2 を出荷した。同社自身の記述によれば、これが市場に出た最初の商用 SQL リレーショナルデータベース管理システムである。
奇妙なのは、出さなかった側のほうだ。関係モデルを発明し、System R でそれを実証したのは IBM だが、IBM 最初の商用リレーショナル製品 SQL/DS が出るのは1981年になる。
ひとつの会社の3つの名前
社名の変遷はしばしば混乱して伝わるので、Oracle 自身の30周年記念タイムラインに沿って書き出しておく。
| 年 | 社名 |
|---|---|
| 1977年 | Software Development Laboratories(SDL)── Larry Ellison、Bob Miner、Ed Oates が設立 |
| 1979年 | Relational Software, Inc.(RSI)── Oracle V2 出荷と同じ年に改称 |
| 1982年 | Oracle Systems ── 製品名が社名に昇格。サンフランシスコで最初のユーザ会議を開催 |
| 1995年 | Oracle Corporation |
Oracle Systems への改称を、Oracle 自身の記述は1982年としている。二次資料の多くは1983年とする。争いがないのは順序のほうで、先に名前を得たのはデータベースであり、会社はその名を後から引き受けた。
名前の出どころ
3人の創業者は Ampex Corporation で出会っている。Oracle の語りでは、出発点は一篇の読み物だった。Ellison が「『IBM Journal of Research and Development』を日課のように眺めていて」、リレーショナルデータベース管理システムの動作するプロトタイプを記述した論文を見つけ、Ampex の同僚 Miner と Oates に見せ、「どの企業もこの技術の商業化に踏み切っていないことを、まもなく知った」。
名前は別のところから来た。「Oracle」は、3人が Ampex 時代に関わった CIA のプロジェクトのコードネームである。 『International Directory of Company Histories』の社史は、創業者たちが「中央情報局(CIA)を説得し、失効していた5万ドルの特殊なデータベースプログラム構築契約を引き継がせてもらった」と記録している。Oracle の30周年記念号は Project Oracle のユーザガイドの写真を載せ、「限られてはいるが極めて重要な読者 ── CIA の計算機利用者 ── に向けたマニュアル」と説明している。
V1 は出荷されていない
1978年に完成した版が Oracle Version 1 である。アセンブリ言語で書かれ、PDP-11 上の RSX で、128K のメモリで動き、Oracle のコードとユーザのコードを分離する実装だった。これは正式にリリースされていない。
顧客の手に渡った最初の版は 1979年6月の Oracle V2 である。バージョン 1 に「バグだらけ」という評判が付くのを避けたかった、というのが通例の説明だ。動作環境は DEC PDP-11、実装言語は PDP-11 のアセンブラ、構文は SQL の前身である SEQUEL に近いものだった。
関係モデルは、Oracle に何を売らせたのか
1979年の競合製品は、階層型(IBM の IMS)か、ネットワーク型/CODASYL 系だった。いずれもアプリケーション側が、レコードが物理的にどう配置され、どのポインタを辿ればよいかを知っていることを要求する。この結合は、技術上の問題であると同時に商売上の帰結を持っていた ── データベースとは、機械を売ってくれた会社から買うものであり、その機械のファイル構造に合わせて調整されたものであり、そこで書いたクエリはその設置環境だけの資産だった。
リレーショナルな系は、「どのデータが欲しいか」の記述を「どうやって取りに行くか」の記述の上に置く。クエリが名指すのは関係と述語であり、アクセス経路への変換は DBMS の仕事になる。格納レイアウトを変えてもアプリケーションは動かない。そして問い合わせ言語がそこまで機械から離れてしまえば、その中にベンダー固有のハードウェアに依存するものは何も残らない ── だからこそ、売る機械を1台も持たないスタートアップが、機械を売っている企業の顧客に入り込めた。後に Oracle の製品戦略担当副社長となる Ken Jacobs は、当時をこう言い切っている ──「昔は、データベースはハードウェアベンダーから来るものだった。Oracle は、異なるハードウェアと OS の上で動く DBMS を提供した最初期の1社だ」。
最初の顧客は CIA であり、以後も米政府機関が続いた。大量の機密資料に対して任意の問いを立てる必要のある組織には、問いをファイルレイアウトから切り離しておく理由が誰よりも強くあった。
移植性という判断
Version 2 は1機種の上でしか主張を証明できない。1983年の Version 3 は C 言語で作り直された ── 関係モデルの理論上の移植性を、出荷可能な製品系列に変えた一手である。Oracle の記述によれば、これがメインフレーム・ミニコン・PC のすべてで動作した最初の RDBMS となった。
「Version 3 の Oracle は、可搬な Oracle だった。C で書かれ、何百もの OS とハードウェアプラットフォームで動き、我々の市場を劇的に広げた」 ── Ken Jacobs(Oracle 製品戦略担当副社長)
言語そのものと同じくらい、その運用規律が効いた。当時の上級副社長 Andy Mendelsohn いわく ──「Oracle では違うやり方をした。どこへでも移植できるコードを1バージョンだけ持っていた」。ソースツリーは1つ、移植は多数 ── これに対し IBM の SQL/DS(1981年)と MVS 上の DB2(1983年)は IBM の OS でしか動かなかった。IBM 製品がメインフレーム上で確立する頃には、Oracle はその外側 ── DEC、Sun、HP の UNIX 機 ── に大きなインストールベースを築いていた。
IPO からエンタープライズ標準へ
Oracle は 1986年3月15日、NASDAQ で210万株を公開した。当時の従業員は450人、年間売上は 5,500万ドルである。
エンタープライズの既定値へ押し上げた版が続くが、その功績はしばしば取り違えられる。Oracle Version 6(1988年) が行レベルロック、ホットバックアップ(管理者がデータを退避している間もユーザは作業を続けられる)、そして PL/SQL をもたらした。Oracle7(1992年) がストアドプロシージャ、トリガ、宣言的な参照整合性を加え、Oracle がエンタープライズ RDBMS の事実上の標準になった時点として名指されるのは通常この版である。2001年の 9i で Real Application Clusters、2013年の 12c でマルチテナント(プラガブル DB)、2018年以降の 18c/19c で自律型データベースへと進む。
Sun 買収、そしてクラウド
2010年、Oracle は Sun Microsystems を74億ドルで買収し、MySQL、Java、Solaris、SPARC を一挙に取得した ── 最大のオープンソース RDB 競合を内側に取り込み、サーバ・ストレージ・OS を自社で持つ形である。
2010年代は苦しい ── AWS・Google・Microsoft がクラウド市場を取った ── が、Oracle Cloud Infrastructure と AI インフラへの転回が事業の形を変えた。2025年1月に発表された Stargate への参画もその一部である。2026年5月31日に終わった会計年度で、Oracle の売上高は 674億ドル。この転回を表しているのは売上より受注残のほうで、残存履行義務(remaining performance obligations)は 6,380億ドル、1年前の1,380億ドルからの増加を、同社は「当期に締結されたいくつかの重要なクラウド契約」に帰している。
読んだ側が先に出荷した
Codd の11ページが世に出たのは1970年である。9年後にはそれが製品になっていた。学術的な着想が市場に届くまでの時間としては短い。
そして渡り切ったのは、論文を生んだ研究所ではなかった。IBM は研究成果を公開し、その2年前に3人が始めた会社がそれを読んで先に出荷した。この構図 ── 大企業の内側で理論が記述され、外側のベンチャーが市場を取る ── は、MySQL、PostgreSQL から MongoDB、Snowflake に至るまで、データベース産業で繰り返される。
よくある質問
- Oracle にバージョン1が無いのはなぜですか。
- 1978年に完成した Version 1 が社外へ出されなかったためです。バグの多い初版という評判を避けたかったからだと説明されるのが通例で、顧客が最初に受け取った版は1979年6月の V2 でした。
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