T1#market#enterprise
UNIVAC I 受領 ── 計算機が製品になった日

メタデータ
- 日付
- 年代
- 1950s
- Tier
- T1
- 出典数
- 06
- 関連項目
- 01
- Tags
- #market#enterprise
1951年3月31日、 米国国勢調査局が UNIVAC I の1号機を受領した。 それまで電子計算機は、 大学と軍と研究所が一台ずつ手作りするものだった。 UNIVAC I は違う。 型番があり、 カタログがあり、 複数の顧客に同じ機械を売る計画があった。 計算機が実験装置から製品へ移るのは、 この機械からである。
受領・献納・設置 ── 三つの日付は別物
年表を書くときにいちばん壊れやすいのがここなので、 先に整理しておく。
- 1951年3月31日 ── 国勢調査局が1号機を受領(accept)
- 1951年6月14日 ── フィラデルフィアの Eckert-Mauchly 研究所で献納式。 国勢調査局の職員が出席した
- 1952年12月 ── 1号機が実際に国勢調査局の建物へ搬入される
つまり「受領」から「設置」まで1年9ヶ月ある。 その間、 機械はフィラデルフィアの工場に据え置かれたまま、 国勢調査局の仕事をしていた。 移設が容易でなかったこと、 そして製造元が実機を宣伝と実演に使いたかったことが理由である。 国勢調査局自身の記録によれば、 UNIVAC I は1950年人口センサスの一部と1954年経済センサスの全量を集計し、 1950年代を通じて月次の経済統計にも使われた。
誰が作ったか
設計したのは ENIAC の J. Presper Eckert と John Mauchly である。 二人は1946年に Eckert-Mauchly Computer Corporation を設立し、 Northrop 向けの BINAC で赤字を出し、 開発費を読み違えた末に資金が尽きた。 1950年2月、 会社は事務機メーカーの Remington Rand に売却され、 Eckert-Mauchly 部門となる。 UNIVAC I が世に出たのは、 だから買収された側の製品としてだった。 発明者が会社を失ってから最初の製品が出荷される、 という順序である。
自動プログラミング部門を率いた Grace Hopper がこの機械の上で A-0 を動かしたのも、 同じ時期の同じ会社でのことだった。
「最初」に付ける限定
UNIVAC I を「世界初の商用計算機」と書くと誤りになる。
同じ1951年の2月、 Ferranti Mark 1 がマンチェスター大学へ納入されている。 マンチェスター科学産業博物館はこれを「世界初の商業的に入手可能な汎用計算機」と呼び、 「工場の生産ラインから顧客の手へ渡った最初の稼働計算機」と説明する。 Ferranti は Mark 1 を2台、 改良型の Mark 1* を7台、 計9台作った。
UNIVAC I に正しく付く限定は二つある ── 米国で作られた商用電子計算機として最初であり、 米国の民生官庁が受け取った計算機として最初 である。 どちらも狭い。 だが狭い限定を付けたほうが、 何が新しかったのかはむしろ見えやすくなる。
磁気テープという設計判断
技術的な核心は演算速度ではなく入出力にある。 UNIVAC I はパンチカードではなく UNISERVO 磁気テープ を主記憶媒体に据えた。 IEEE の記録は、 カードの装填を待たずに自前のデータへアクセスできたことが速度上の決定的な優位だったと指摘する。 水銀遅延線による1,000語の主記憶、 2.25MHz のクロック ── 数字だけ見れば小さいが、 事務処理のバッチという用途に対して、 テープは正しい賭けだった。
1952年11月4日の夜
UNIVAC I の名を一般社会に刻んだのは、 統計局の仕事ではなく大統領選挙の中継である。
CBS はこの夜、 UNIVAC に開票の早期予測をさせた。 ただしニューヨークのスタジオにあったのは実機ではない。 Remington Rand の技術者 Herman Lukoff の回想によれば、 別系統の監視盤を持ち込み、 クリスマスツリー用の点滅装置に電球を繋いで「それらしく」光らせたものだった。 計算していた UNIVAC は5号機で、 フィラデルフィアの工場にあった。
早い段階で、 UNIVAC は Eisenhower の圧勝を弾き出す。 選挙人票 438 対 93。 その予測は放送されなかった。 深夜、 Remington Rand の Arthur Draper が中継に出て、 こう説明している ── 「UNIVAC が最初の予測を出したとき、 入っていた票は300万しかありませんでした。 Stevenson に5州、 Eisenhower に43州、 選挙人票は Stevenson に93、 Eisenhower に438。 我々はそれをまるきり信じなかったのです」("When UNIVAC made its first prediction with only three million votes in, it gave five states for Stevenson, 43 for Eisenhower, 93 electoral votes for Stevenson, 438 for Eisenhower. We just plain didn't believe it.")。 そして「最初から機械を信じる度胸を持つべきだったことは明らかです。 機械が正しく、 我々が間違っていました」("we should have had nerve enough to believe the machine in the first place. It was right, we were wrong.")と続けた。 最終結果は 442 対 89 である。
伝説と記録の差
この逸話は語り継がれるうちに形が整いすぎた。 メリーランド大学の Ira Chinoy は、 CBS の放送フィルム・社内報告書・各紙の記事を突き合わせて博士論文を書き、 通説のいくつかを崩している。
- 時刻が確定していない。 Remington Rand の事後報告書「How UNIVAC Predicted the Election for CBS-TV」には二つの版があり、 最初の予測時刻を一方は午後8時30分、 もう一方は9時15分と書く。 放送画面の集計票数を追うと、 300万票に届いたのは9時15分の少し前だった
- 握り潰したのは CBS ではない。 予測を出さないと決めたのは、 フィラデルフィアにいた Remington Rand 側の面々である。 Lukoff は回想に、 彼らが顔を寄せて "We can't let this go out. The risk is too great."(これは出せない、 危険が大きすぎる)と言ったと書き残している。 CBS の誰かがその判断に加わったかどうかは、 記録からは確かめられない
- 機械だけが真実を見ていたわけでもない。 同じ夜、 記者たちは在来の手法で Eisenhower の強さに気づいていた。 AP の記者は選挙後に、 午後8時の時点で Eisenhower がリードしたと書いていたと述べている
放送された予測も一様ではなかった。 10時30分ごろに 314 対 217、 11時30分ごろには一度ほぼ互角(オッズ 8 対 7)へ振れ、 その後 100 対 1 に戻る。 マサチューセッツ州の集計値が一晩じゅう誤って入力されていたことは、 後の社内報告で判明した。
46台と、 普通名詞になった商標
商業的には Remington Rand の勝利は続かなかった。 UNIVAC は最終的に46台が作られたが、 1950年代半ばに IBM が市場を奪い返す。 それでも「UNIVAC」という語は、 しばらくのあいだ英語で電子計算機そのものを指す普通名詞のように使われた。 Grace Hopper が1952年の論文の冒頭で、 断り書きを入れたうえで UNIVAC を電子計算機と同義に用いると宣言しているのは、 その時代の空気そのものである。
計算機は、 この機械から売り物になった。
出典
最終更新: