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Tennis for Two ── 最初期のビデオゲームの一つ

1958年の Brookhaven 国立研究所公開日、Tennis for Two が展示された計測機器部門のブース
出典Brookhaven National Laboratory (Wikimedia Commons) · Public domain (PD-USGov) · Commons で見る ↗

メタデータ

日付
年代
1950s
Tier
T1
出典数
06
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Tennis for Two が初めて公開されたのは1958年10月18日、米国ニューヨーク州アプトンの Brookhaven 国立研究所の公開日である。作ったのは、研究所の計測機器部門を率いていた物理学者 William Higinbotham。これが「世界初のビデオゲーム」かどうかは定義しだいで、Brookhaven 自身もその称号をそのまま与えることは避けている。それでも「最初のビデオゲームは何か」と問われて最もよく名前が挙がるのはこのゲームであり、それには理由がある。2人のプレイヤー、画面の上を動くボール、そして遊ぶこと以外に目的が無い ── この三つがそろっていた。

公開日のためのゲーム

Brookhaven は毎年、一般向けの公開日を設けていた。研究所の歴史紹介によれば、Higinbotham は当時の科学展示の多くが静的で、見学者が関われないものだと感じていた。研究所が引く本人の言葉では、人が遊べるゲームがあれば場が活気づくだろうし、科学の営みが社会に関わりがあるというメッセージも伝えられるだろう、というのが動機だった。

着想のもとは説明書だった。研究所には小型のアナログ計算機 ── Wikipedia によれば Donner Model 30 ── があり、その説明書には、オシロスコープに曲線を描かせる方法が載っていた。例として挙がっていたのは、弾丸やミサイル、跳ねるボールの軌道で、いずれも重力と空気抵抗を受ける。跳ねるボールが Higinbotham にテニスを思い起こさせた。

Higinbotham の回想では、設計の骨組みに約2時間、手持ちの部品で中身を埋めるのに数日かかった。研究所の技術者 Bob Dvorak が約3週間で組み立て、二人で1〜2日かけて不具合を直した。研究所には1958年付けの設計図が今も残っている。

仕組み

プレイヤーが見たのは、直径わずか5インチのオシロスコープに映るテニスコートの側面図である。横線がコート、中央の短い縦線がネット、そしてボールは明るく光る点で、跳ねながら左右を行き来し、尾を引いた。各プレイヤーはボタンと回転ダイヤルの付いたコントローラを持つ。ダイヤルで見えないラケットの角度を決め、ボタンで打つ。

内部では、計算機の演算増幅器のうち4つがボールの動きを生み出し、残る6つがボールが地面やネットに当たったことを検知して、ボールのある側のプレイヤーに操作を切り替えた。コート、ネット、ボールは一つの画面を分け合う必要があった。後にゲームの復元に取り組んだ計測機器部門の Peter Takacs は、Higinbotham が当時出回り始めたゲルマニウム・トランジスタで高速の切り替え回路を作り、三つの出力を36Hz で交互に表示した、と研究所の記事で説明している。この速さなら、目には一枚の絵に見える。

見学者は何百人も列を作って遊んだ。1959年には改良され、画面は10〜17インチに大きくなり、月面の弱い重力や木星の強い重力でテニスをする設定も選べるようになった。Wikipedia によれば、この展示の後、ゲームは部品を他に使うために解体された。

「最初のビデオゲーム」には定義が要る

Brookhaven 自身のページは、先後関係についてきわめて率直である。Tennis for Two の前にはいくつかの発明があり、どれか一つに「最初のビデオゲーム」の称号を与えるのは公平でも正確でもない、と書いている。

  • 陰極線管娯楽装置 ── Thomas T. Goldsmith Jr. と Estle R. Mann が1947年1月に特許を出願し、1948年12月に成立した。Brookhaven は記録に残る最も早いビデオゲームの前身と位置づけるが、標的は画面の前に絵を重ねて示す方式で、ゲーム全体を画面に描いていたわけではない。
  • Bertie the Brain(1950年) ── Josef Kates がカナダ国民博覧会のためにトロントで作った三目並べの機械。画面ではなく、ランプの格子で盤面を示した。
  • Nimrod(1951年) ── Ferranti が英国祭のために作った Nim の対戦機。計算機の処理能力を見せるためのもので、表示も動く映像ではなく固定のランプだった。
  • OXO(1952年) ── A.S. Douglas がケンブリッジの EDSAC 上に作った三目並べ。Brookhaven の説明では、人と計算機の相互作用を研究する学術目的のもので、楽しませるためではなかった。

技術的な異論もある。厳密には「ビデオ」とは、テレビのように走査線で組み立てるラスター画像を指す。オシロスコープは電子ビームを直接振って描くので、Tennis for Two はビデオ信号をまったく出していない。それでも、プレイヤーが画面上のコートとボールを操作するという、現代のゲームと同じ体験はそこにあった ── と Brookhaven は論じる。

公平にまとめるなら、Tennis for Two は画面上を動くグラフィックスを持つ最初期の電子ゲームの一つであり、純粋に娯楽のために作られた最初の例かもしれない、ということになる。

特許は無く、法廷での再登場

Higinbotham は特許を取らなかった。Brookhaven によれば、当時の彼には説明書にある跳ねるボールの回路より新しいものには思えなかったし、取ったとしても特許は連邦政府のものになっていた。1970年代半ば、このゲームは再発見され、Magnavox が持つ最初のビデオゲーム特許をめぐる訴訟に持ち込まれる。研究所は Higinbotham の1976年の証言録取書を公開している。1982年には Creative Computing 誌が、最初のビデオゲームかもしれないとしてこのゲームを取り上げた。

Higinbotham は1994年に亡くなった。Brookhaven によれば、彼自身はレーダー表示の研究と、核軍拡競争を抑える活動で記憶されることを望んでいた。全米科学者連盟(Federation of American Scientists)の初代議長でもある。

Tennis for Two から14年後の1972年、Atari の Al Alcorn が PONG の試作機を作る。この試作機は現在 Computer History Museum の所蔵品である。続きは ゲーム機の年表 を参照。

よくある質問

Tennis for Two は世界初のビデオゲームですか
断定はできません。Brookhaven 国立研究所自身、どれか一つに「最初のビデオゲーム」の称号を与えるのは公平でも正確でもないとしています。先行例に陰極線管娯楽装置(1947年出願・1948年特許)、Bertie the Brain(1950年)、Nimrod(1951年)、OXO(1952年)があり、Tennis for Two はその中で、画面上の映像で遊べ、娯楽のために作られた計算機ゲームとして際立ちます。
最初のビデオゲームはいつ作られたのか
定義によって答えが変わります。娯楽用の映像ゲームとして挙がる Tennis for Two は1958年10月18日の公開、記録に残る最も早い前身とされる陰極線管娯楽装置は1947年1月出願・1948年12月特許です。
Tennis for Two はどうやって動いていたのか
小型のアナログ計算機が、重力と空気抵抗を受けて跳ねるボールの軌道を計算し、直径5インチのオシロスコープにコートとネットとボールを描きました。トランジスタの切り替え回路で三つの出力を36Hz で交互に表示し、一枚の絵に見せていました。
Higinbotham は特許を取ったのか
取っていません。Brookhaven によれば、当時は説明書にある跳ねるボールの回路より新しいとは思えなかったためで、取っていても特許は連邦政府のものになっていた、と本人は後に振り返っています。

出典

  1. 一次資料The First Video Game? Before 'Pong,' There Was 'Tennis for Two' — Brookhaven National Laboratory

    1958年10月18日の公開、5インチのオシロスコープ、36Hz の切り替え、1959年の改良版、先行例(1948年特許・Nimrod・OXO)、特許を取らなかった理由

    取得日: 2026-10-05

  2. 二次資料50 Years of Fun With PONG — Computer History Museum blog

    Al Alcorn による1972年の PONG 試作機

    取得日: 2026-10-05

  3. 三次資料Tennis for Two — Wikipedia

    Donner Model 30 アナログ計算機、技術者 Robert V. Dvorak、Magnavox 特許訴訟での証言

    取得日: 2026-10-05

  4. 三次資料Bertie the Brain — Wikipedia

    取得日: 2026-10-05

最終更新:

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