人物 :: PERSON
ピーター・ナウア
天文学者として出発し、ケンブリッジで EDSAC を使って彗星と小惑星の軌道を計算したことから計算機へ移った。デンマーク初の計算機会社 Regnecentralen で ALGOL Bulletin を編集し、1960年1月のパリ会議に向けて ALGOL 60 報告の草案を書き上げ、その編集者となる。John Backus の構文記法を整え直し、のちに Backus-Naur 形式(BNF)と呼ばれるものにした。1969年からデンマーク初の計算機科学教授として1998年まで教え、computer science ではなく datalogi(データ学)という語を提唱した。1985年の「Programming as Theory Building」は、プログラムを成果物ではなく人が保持する理論として捉え直した論考である。2005年 ACM チューリング賞。
プロフィール
- 生年
- 1928
- 没年
- 2016
- 在世
- 88 年
- 関連事象
- 01
- 名称
- ENPeter NaurJAピーター・ナウア
Peter Naur(1928年10月25日 ── 2016年1月3日)は、 デンマークのフレデリクスベアに生まれた。 ALGOL 60 報告 の編集者として知られるが、 その肩書きは彼が実際に果たした役割 ── 国際委員会の議論を、 一貫した一つの文書に鋳造すること ── を、 やや小さく見せる。
天文学から
1949年、 コペンハーゲン大学で天文学の修士。 1950年から51年にかけてケンブリッジ大学に滞在し、 EDSAC を使って彗星と小惑星の軌道を計算した。 計算機との出会いはこの仕事の副産物である。 1957年、 小惑星51番 Nemausa と赤緯の基本系に関する論文で博士号を得る。 天文学者としての訓練を受けた人が計算機科学の基礎を書いた、 という経歴は当時それほど珍しくない。
Regnecentralen と ALGOL
1959年から1969年まで、 デンマーク初の計算機会社 Regnecentralen に勤め、 並行してデンマーク工科大学とニールス・ボーア研究所で教えた。
1958年チューリッヒ会議の ALGOL 暫定報告のあと、 コペンハーゲンで実装会議が開かれ、 Regnecentralen が ALGOL Bulletin を刊行する。 その編集者が Naur だった。 議論の場を持っていたことが、 彼を国際的な設計論争の中心に置くことになる。 1959年11月、 ヨーロッパ側の言語設計グループの一員に選ばれた。
1960年1月のパリ会議に先立ち、 Naur は暫定報告と準備会合の勧告からまったく新しい草案を書き上げた。 会議はそれを土台として採り、 項目ごとに合意を積んでいく。 出来上がった報告は、 委員会の概念の和集合であり、 合意の積集合である ── と報告自身が書いている。
その報告で、 彼は John Backus が ALGOL 58 のために作った構文記法を整え直し、 言語全体をその記法で書き下した。 1964年に Donald Knuth が呼称の変更を提案し、 以後この記法は Backus-Naur 形式(BNF) と呼ばれる。
コペンハーゲン大学の記述によれば、 言語に再帰を入れるよう推したのも Naur である。 1962年4月には原報告の著者の一部が再び集まり、 Revised Report をまとめた。
datalogi
1969年、 デンマーク初の計算機科学の教授に就任し、 1998年まで務めた。 この職を土台に、 1970年にコペンハーゲン大学の計算機科学科(DIKU)が独立する。
Naur は computer science という語を好まなかった。 計算機という機械の名を学問の名に据えるのは筋が悪い、 という立場である。 彼が提唱した datalogi ── データの性質と用法の科学 ── は、 デンマークとスウェーデンで実際に定着した。 学科名がいまも datalogi であるのはその結果である。
プログラムとは何か
後年の彼の関心は、 形式的な言語定義から離れて、 プログラミングという人間の営みそのものへ向かった。
1985年の論考「Programming as Theory Building」は、 プログラムを納品物としてではなく 書いた人々が保持している理論 として捉える。 コードもドキュメントも、 その理論の不完全な射影にすぎない。 だから元のチームが解散すれば、 コードが残っていてもプログラムは死ぬ ── ソフトウェア工学の議論に、 いまも繰り返し引かれる主張である。 1992年の Computing: A Human Activity はこの線の集大成にあたる。
彼は最終的に、 計算機が人間の判断を再現することはできないという立場を取った。 形式化の可能性を誰よりも精密に示した人が、 形式化の限界を主張し続けたことになる。
チューリング賞
2005年、 ACM チューリング賞。 コペンハーゲン大学が引く受賞理由は次のとおりである ── 「プログラミング言語の設計と Algol 60 の定義、 コンパイラの設計、 そしてコンピュータプログラミングの技芸と実践に対する根本的な貢献に対して」("For fundamental contributions to programming language design and the definition of Algol 60, to compiler design, and to the art and practice of computer programming.")。
2016年1月3日、 デンマークのヘアレウで没した。
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