T1#research
World Wide Web の提案 ── CERN

メタデータ
- 日付
- 年代
- 1980s
- Tier
- T1
- 出典数
- 08
- 関連項目
- 02
- Tags
- #research
1989年3月12日、CERN(欧州原子核研究機構)のソフトウェアエンジニア Tim Berners-Lee は、自分の上司である Mike Sendall に「Information Management: A Proposal」と題する一通の文書を提出した。
冒頭の一文は「この提案は CERN の加速器と実験に関する一般的な情報の管理を扱う」。CERN の研究者が直面する文書管理の問題 ── 研究者が頻繁に入れ替わり、装置の仕様書や論文や実験ノートが、個人ファイル、メインフレーム、独自データベースに散在し、誰も全体像を把握できない ── を、分散ハイパーテキストシステムで解決するという内容だった。実装期間の見積もりは6か月。
Sendall は読み終えた後、提案書の余白に短いコメントを書き残した。
Vague, but exciting
漠然としているが、面白い。CERN 自身がこのフレーズを「今世紀最大の控えめな表現」と呼んでいる。
CERN という場所
なぜジュネーブ郊外の物理学研究機関で、Web が生まれることになったのか。
理由は二つある。
一つは、CERN が極度に国際分散した知的協業の結節点だったこと。LHC の前身である LEP 加速器は1989年7月14日に最初のビームを周回させ、ALEPH・DELPHI・L3・OPAL の四実験に、通算で約1500名の物理学者が関わった。CERN 自身の説明によれば、同研究所は「孤立した実験室ではなく、100カ国以上・1万7000名以上の科学者からなる共同体の焦点」であり、その科学者の大半は自国の大学や研究所に籍を置いたまま、数年単位で CERN を出入りする。情報が個人に貼り付いたまま消えていく問題は、CERN ではすでに切実だった。
もう一つは、CERN が大型計算機を多数持ち、複数の OS(VMS、UNIX、Mac OS など)が共存する、極めて異質な計算環境だったこと。「どの機械からでも、どの形式のドキュメントでも、リンクで辿れる」というシステムは、CERN にとって理論的な遊びではなく、現実の運用問題への解決策だった。
NeXTcube 上の実装
Web は最後まで CERN の正式プロジェクトとして立ち上がったわけではない。Sendall がしたのは、Berners-Lee が欲しがっていた NeXTcube(Steve Jobs が Apple 追放後に興した NeXT のワークステーション)の購入に同意し、それを使って例のハイパーテキスト構想を試してみたらどうか、と勧めることだった。Berners-Lee は1999年に書いた追悼文で、その経緯をこう記している。
It was Mike who went along with my idea of getting one of the "NeXT" machines, and Mike who suggested that I could go ahead and use it to play with the idea of that global hypertext thing I had been talking about.
1990年11月12日には、Robert Cailliau の協力を得て、より正式な管理提案「WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project」が出される。同じ1990年の年末までに、Berners-Lee は次の四つを実装した:
- HTTP(HyperText Transfer Protocol)── クライアントとサーバ間でハイパーテキスト文書をやり取りする通信規約
- HTML(HyperText Markup Language)── 文書とリンクを記述するマークアップ言語
- URL ── ネットワーク上の任意のリソースを一意に指す文字列
- WorldWideWeb ── 世界初の Web ブラウザ(兼エディタ)
世界初の Web サーバ info.cern.ch は、その NeXTcube だった。Berners-Lee はそれを自室に置いたまま開発しており、誤って電源を落とされないよう、本体には赤インクの手書きラベルが貼られていた ──「This machine is a server. DO NOT POWER IT DOWN!!(このマシンはサーバです。電源を切らないこと!!)」。ラベルを貼ったままの実機は、現在も CERN が保存・展示している。
商業化を拒否した決断
1993年4月30日、CERN は WorldWideWeb のソースコードをロイヤリティフリーで提供する ── すなわちフリーソフトウェアとする ── ことを公式に宣言した。対象は仕様書ではなく、ブラウザ・サーバ・開発者向けライブラリ(libwww)という実装そのものである。
この決断には直接の対抗馬がいた。当時インターネット上の情報検索で先行していたのは Gopher であり、その開発元であるミネソタ大学は1993年、Gopher サーバ実装を独占的なものとしてライセンス料を課す方針を打ち出していた。ライセンス条件の付いたプロトコルからは利用者が離れる、という実例が目の前で起きた直後に、CERN は逆方向に振り切ったことになる。Web が Gopher を置き換えたのは、技術的優位だけの結果ではない。
Berners-Lee 自身は、Web を商業化することに一貫して反対した。彼は1994年に MIT に移り、W3C(World Wide Web Consortium)を設立して標準化の主導者となる。2004年に英国女王からナイト爵位、2016年に ACM チューリング賞。
その後
1993年末の既知 Web サーバは500台あまり、1994年末で1万台・利用者1000万人 ── CERN の記録に残るのはその程度の規模である。ITU の推計では、2025年にインターネットを使う人は約60億人、世界人口のおよそ4分の3にあたる。Netcraft の2026年6月調査は、応答した Web サイト(ホスト名)を14億8939万6284件、ドメインを3億414万6307件と数えている。なおこの「サイト数」はホスト名の総数であって、実質的に更新されている稼働サイトはその一部にすぎない。
Berners-Lee が CERN で書いた最初の Web ページは、現在も http://info.cern.ch/hypertext/WWW/TheProject.html で読める。
Mike Sendall は1999年7月15日、癌との闘病の末に亡くなった。訃報を書いたのは Berners-Lee 本人である。「Vague, but exciting」は、人類史上最も控えめな「承認のサイン」のひとつとして記録に残った。
出典
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